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ばっくとぅとっぷ

土浦・水戸日帰り紀行 9月20日(土)(9月23日筆) 


 試験終了につき、気分転換もかねて近場へ旅に。今回の目的地は茨城。土浦の陸上自衛隊武器学校内に展示されている戦車群を第一目標に、土浦城なども見つつ水戸へ。偕楽園に行くことで岡山後楽園に続く三園制覇の一歩とする。ちなみに水戸から夜行バスで京都へ、母校の文化祭に顔を出す。

 ということで、上野発の常磐線土浦行き9時25分に乗車。試験の一夜漬けのせいで疲れきった身体は、列車の発車を待つことすらなく、眠りの中へ・・・なに終点まで行きゃいいんだ、乗り越す心配はないさ・・・
 で、振動を全く感じなくなって目が覚めると、そこは二駅前のひたち野うしく。しかも一向に発車する気配なし。まだ半分寝ている頭で何があったのかと考えていると、アナウンスが。「ただいま、架線事故のため停止しております。復旧できしだい発車いたします。乗客の皆様にはご迷惑を・・・」

 うわ、最悪の幕開け。乗った電車が足止め喰らうなんて、松本に行ったときの「しなの」が畑の真ん中で人身事故起こしたとき以来ですよ。そしてこのときになって台風が来ているということを知ったり。試験期間で外に出ないしテレビも見ないし、サイトの更新もしてないからニュースに触れる機会が絶たれていたことのツケがここに。折りたたみは持ってきてましたし、水戸からしか京都に行くバスは出ないから決行しかないわけですが。
 つーわけで30分遅れで土浦着。雨はまあ、そんなに大したことはない模様。写真すら撮れないような状況だとどうしようかと思いましたが。とりあえず西口からバス、阿見公民館前(だったかなぁ)行きに乗り、武器学校前へ。
 バスに乗ること20分前後。浜松のように交通から隔絶したとこにあるわけでなく、武器学校は武器学校前の停留所のすぐ後ろにありました。当たり前か。入り口のゲートにて、見学の旨告げると受付に通されます。そこで住所氏名など用紙に記入すると、見学許可用バッヂを貸し出され、受付のお姉さん(曹長さんでした)に簡単な説明を。どこまでが立ち入り許可区域ですよ、とか野外展示物は撮影許可です、とか。「立ち入り禁止区域には入らないでください。警衛隊が飛んできますよ」ってそんな笑顔で言われても・・・

 当然というかなんというか、見学可能区域が駐屯地の奥深くにあるわけはなく、入り口のすぐ近く、ゲートから見て右手にあります。最も娑婆に近い側に、簡単な屋根がかけてあって旧軍兵器その他が。もう一本奥の道の、桜並木の下には米軍供与のものも含め自衛隊の使ってきた車両が。ではまず旧軍兵器から。なお、解説とかに戦車研究室さんのデータベースへの直リンを多用してお送りします・・・

 
まずは、皇軍初の戦車にして、ノモンハンで赤い国の戦車に徹底的にやられた八九式中戦車乙。
 
 とはいえ、普段戦車なんか見ない現代人にはやはり、戦車であるというだけで無敵っぽさを漂わせてはおります。このリベット使いまくりなのも、昔の鎧兜のようといえばそのようでそれはそれで。しかし履帯を防御する鉄板・・・やっぱ薄いなぁ・・・
 


 そしてその隣には三式中戦車。通称、チヌ。帝国陸軍唯一の、量産された「M4中戦車に対抗でき・・・そうな戦車」。75o野砲改造砲搭載。上の写真の八九式の57o短砲身砲と比べると、いかにでかい砲かわかるってもんです。画面に入りきりません。もっとも、同じころに盟邦独逸ではさらにアホみたいに長い主砲を搭載したパンターなんかがガンガン作られて配備されて戦っていたわけですが・・・
 
 ここの戦車は、昔はなんかヘンな3色迷彩が施されていたらしくえらく不評だったらしいですが、今は普通に一色。ただし、接近すると迷彩の痕跡がうっすらと残っています。そしてやっぱりアンバランスな砲塔と車体。そりゃ、今まで生産されていたへっぽこ戦車の砲塔だけ巨大化させてもなぁ・・・表向きは立派だけれどこれで対抗するのは厳しかったかも・・・やすりで削れるかどうかとかは別として・・・
 



 他に、この建物(と呼んでいいのかどうか)には、ソ連から鹵獲したのか向こうのお国の45ミリ対戦車砲(長・短)やら、120ミリ・82ミリの迫撃砲やら、
 俗にラッチュ・バムなどといわれる76ミリ対戦車砲が置いてあったり、

日本製155ミリ迫撃砲(試作品)やら

自衛隊の35o連装高射機関砲、はては

 米軍の4.5インチロケット発射機やら

 105mm無反動砲まで。一体どんなコンセプトなんだこれ。


 

 
 この建物の隣には、現役最新鋭の96式装輪装甲車99式自走155mm榴弾砲(ただし試作車)が無造作においてありました。
 では、現役車両が出てきたところで自衛隊装備車両シリーズへ。









上からM24チャーフィー軽戦車。軽戦車の分際で八九式よりはよほど強そう。まあ、世代が全然違いますけど。戦後日本に供与された中で、日本人の体格にぴったりって事でこの戦車が最も愛用されたとかいうのが泣けます。

イージー・エイト。M4シャーマンの最終生産型。別に現地で応急的に修理したとか、そういうわけじゃないです。名前の元ネタになってるのは確かだけれど。
M36戦車駆逐車。連合軍最強の主砲を持つものの、あくまでも自走砲なんで装甲はかなり薄め。
LVT5。水陸両用。歩兵支援用の超短くて太い砲身がキュート。
M42ダスター対空自走砲。うーー、よく知らない(苦笑)。

 こっから国産カナ国産カナ。

60式自走81mm迫撃砲。60式装甲車の車体に迫撃砲を載せてみた。

73式装甲車で、その発展型の

75式130mm自走多連装ロケット弾発射機



74式自走105mm榴弾砲75式自走155mm榴弾砲。なんで同時期に同じ種類の車種を二種類も作ったんだ・・・まあ、某帝國海軍の局地戦闘機乱立状態よりはマシですが。

82式指揮通信車の試作車。

87式砲側弾薬車。補給車ってやつ。

 で、お待ちかねかは知りませんけど国産戦車三代。

61式戦車。戦後初めて、10年ぶりに日本が作った戦車。今までがアレな戦車ばっかりで、まともなのを作り出してすぐに終戦だったという事情も考えると、これができたのは充分評価に値するかと。個人的にはこの丸っこさが好き。怪獣映画の出演量も一番。

74式戦車。小学校のころ、図書室の学研の図鑑でこの戦車の図解とか見たなあ、とか記憶に残ってたり。90式と61式に比べて個性が今ひとつのような気もしますが、結局のところそんな理由もあって嫌いではない。

 国家予算に対して世界最強とか、50tあるから重すぎて日本では使えないとか50tしかないから装甲が薄すぎるとかあらゆる評価が下される不思議な戦車、90式戦車。個人的には強いと思いますけどね。しかしまあ、三式中戦車とかと比べると車高、低いなぁ・・・開発年代が下るごとに低姿勢になっていくあたりが進化論。装甲はなんか昔に戻ったように切り立っているんですけどね。そこが好きな要因の一つかも。

 60式自走106mm無反動砲。実物を見るに、やっぱり小柄でキュート。しかし、こんな奴をイラクに持って行って一体何がしたかったんだ・・・?

 90式戦車回収車。90式戦車の派生型。元が格好いいだけに裏方車両に改造されても格好いい。四角にまとまっているところがいいんです。

203o榴弾砲。でも結局この大きさでも「普通」と思ってしまうのは、たぶん自分の趣味が海軍から始まっているから。陸では立派に巨砲だもんなぁ。

 他に



ヘリも置いてあったんすけど専門外なんで勘弁してください。 あとは

風雨に晒されて風化しかけてるF86セイバーとか、

T33A練習機とか。

 で、奥に併設されている予科練記念館「雄翔館」へ。 館の前に

日本軍機らしき飛行機がおいてありますが、これはノースアメリカンのT-6テキサン練習機。なんかの映画で零戦役を務めたようですが、零戦というか艦攻だよなぁ・・・
 雄翔館内部は、特攻で散った予科練卒業生の遺書、遺品などの展示。こんなマニア丸出しの旅行記を書いてはいるものの、むしろだからこそ、心の中で黙祷。もはや特攻隊員と同世代になってしまった事を思うと、自分の適当な生き方を恥じることしきり。今、自分はあんな決意の篭ったしっかりとした文字で遺書など書けるのか・・・

 一般解放日ではなかったので、基地内で見られるところはこれだけ。本当は火砲館も普段でもガラス越しで撮影が可能なのですが、雨のせいで軒下に水がたまりまくっていて、その中に足を突っ込んでまで写真をとる気は起きなかったので撮影は断念。 あ、どうでもいいけど

 駐屯地内の自販機は大学とかと同じで安目っぽい。

 それはさておき、再びバスに乗って土浦市街へ。次の目的地、土浦城。
 ・・・といっても、地方都市において一旦取り壊された城がどういう末路をたどっているかはもうよく知ってるんですけどね。







こうしてとると立派に見えるものの。本丸の一部のみが切り取られて保存されている感じでした。そして堀が浅い。膝までないように見えるくらい浅い。水城ということで、幅とかは立派なものでしたが浅いだろこれは。歳月を経て埋まったのか安全のため埋めたのか?それとも昔からこの深さなのか?
 信長の野望とかやってると、小田家やら千葉家やらがこの城で最後の抵抗をするも北条か佐竹に瞬殺されるのも、なんとなく納得・・・

 当初予定ではその小田家の小田城まで歩いていこう(駅から35分)と思っていたのですが、常磐線は事故ってるし雨だしで断念して早く水戸へ行くことに。また一時間ダイヤの乱れた電車に揺られる。そして今度は何事もなく水戸へ。
 ついたのが既に15時を回っていたので、とりあえず偕楽園だけ見れたらいいなあ、くらい。さらにこのころには既に戦車を撮りまくったせいでデジカメの容量は数枚しか残っていないし。いい加減歩くのもめんどくさいのでバスに乗って偕楽園へ。
 結構町外れなんだなぁ。オフシーズンということもあり、日本三大名園の一つというわりには地味な感じ。景観的には兼六園>後楽園>偕楽園だそうですが、むべなるかな。ただ、梅林はシーズンにはなかなかすごそう。あと、千波湖の眺望も、雨に煙るという状況もあいまってなかなか風情はありました。

 偕楽園を出たころには既に夕闇迫り、どこも閉まってそうなのでとりあえず水戸城跡だけ見に。まさに跡、だったのでさっさと終了。三の丸跡に保存されている、「日本史をややこしくした学問の総本山」弘道館の外見だけ見て(4時閉館)、駅前へ。この時点で6時。バスは9時。ああー・・・やることねぇ・・・
 いつもながら、全然知らない地方都市での夜行までの待ち時間というのは筆舌に尽くしがたい暇さがあります。しかも外雨だし。仕方ないからココ壱で晩飯食って、駅前で見つけた本屋で2時間ほど立ち読み。オーフェンの最終刊とか出てたので買って、あとは雨に晒されるバス停のベンチで震えながら読んでました。
 バスは定刻通り到着。そして、そのまま私は母校の文化祭へ。
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