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ばっくとぅとっぷ


ワシントンDC4日目 5月14日(木)



 さて、この日に宿を移動。4泊したホステルから普通のホテルへ移動して2泊だけ。経済的理由の他、そろそろ休憩日を入れないと疲労がピーク(既に転戦20日に達しつつあり、このあたりが一番きつかったです。思い返せば)でもありますし、人目を気にせずホテルの部屋で更新したりごろごろしないと。



 ホテルは野球のナショナルズのスタジアムの近く。物理的な中心部との距離は若干縮まりましたが、エリア的な辺境度ではあまり変わってないような。一応セブンイレブンとマクドがあったのでより不便になった、ということはないですが、車専用の大通りの近くということもあり、寂しさはややアップしたかも。このあたりでちょっと悪い予感はしていたのでした…

 ホテル自体はなんかプールも付いてるようなでかいところ。さすが高いだけのことはあります。 ……ネットで「とにかく一番安いところ」で探したんだけどなあ。もうちょっと前から計画を練っていたらより安くあげられたような気もしますが、まあ過ぎたことは気にせずに。さあ、休むぞ…

フロントのお姉さん:「チェックイン? 4時からよ?」

 ……ふげ。

 そういえば、ホテルのチェックインって普通時間制限ありましたね…… サンフランシスコの超安宿も、ボストンのホテルも昼間からチェックイン余裕だったので忘れてました…… 仕方ないので、荷物だけ預けて時間を潰しに外出。元々疲労していたことに加えて、さあ休めると思っていたところ先制攻撃を食らったのでこの時点(11時くらい)から早くもボロボロでした。そして、そのコンディション不良がここからの惨敗劇を呼び込んだのです……

 とりあえず翌日に予定していた最後の観光を前倒しするとして、この時点で行くべきと思っていた候補は海軍工廠内の海軍博物館とホロコースト記念博物館(ホロコースト自体は割とどうでもいい…−というと激烈に語弊がありますが。人類史上に残る惨劇(当然否定説とか論外という前提で)であることは理解しています、当然−特別展でやってるらしいナチスのプロパガンダポスター展の方が目当て)、あとアーリントン墓地。このうち、前者二つは日本にいるうちは予定には組み入れておらず、ちょっと前にDCを訪れられたある方からそんなところもありましたよと教えてもらったもの。よって、候補とはいっても事前リサーチはあまりできず、せいぜいGoogleマップで大まかな位置を確認したり(しかもプリンタがないから印刷はできない)できた程度。

 …で、その結果海軍博物館については、海軍工廠まではたどり着いたものの博物館への道が分からず、現役の軍の施設をうろうろしたり警備兵に道を聞いたりするだけの気力がどうしても湧かずに突入断念。ホロコースト記念博物館の方はモール近くの博物館街道にあるので迷うはずはないものの、あまりに人多すぎだったのでこれも列に並んでまで(しかも、思いっきり気が滅入る展示物がズラズラ並んでいることが目に見えている)入る気にならず、これまた断念。結局、疲れ切った足を引きずりやや背中が丸まってることを自覚しつつ、地下鉄に乗ってアーリントン国立墓地へ……



 アメリカの関わった戦争の戦没者が眠る、アーリントン国立墓地。日本でいう靖国や千鳥ヶ淵的、というと青筋立てて怒ったり両者の間にあるらしい差について懇々と説いてくる人もいるかもしれませんが、そんな瑣末事、私の知ったことではありません(笑)。ただ、一つ日本の同種施設のの違いは厳然とあり、それはべらぼうに広いこと。事前に調べておかないと1日がかりでも墓地が見つからなかったという話まで嘘か真か語られています(今はちゃんとデータベースがあるみたいですが)。



 墓地は当然西洋風の、芝生の中に墓石が整然と並ぶ光景。日本と違っておどろおどろしい場所、というよりは静かな(さすがに騒いだらまずかろう)散策の場所みたいな雰囲気もある、のは多分よく知られたこと。しかし本当に広く、そして結構起伏が…… いやまあだからって墓地内を運行してる観光バスに乗ったりはしませんが。そこはそれ意地というもので。とはいえ、結構いい風が吹いていたこともあり街中を行くあてもなくとぼとぼ歩くよりはよほど気持ちが良かったです。墓地だけど。



 JFKこと、合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディと夫人の墓。そんなに大きくはありませんが、周りは観光客だらけ。



 小高い丘の上にある無名戦士の墓。米国を訪れる各国首脳が献花するところですね。





 前ではちょうど衛兵交代のセレモニーをやっていて、ここも人だかりになっていました。もちろん私も暫く見物していたのですが、これが…… 終わらない、というか終わったと思ったらさらに最初に戻ってエンドレス。

 後で調べたところ、夏期は30分おきに交代しているようです。セレモニーで30分おきだったら、それはエンドレスにも見えるよなあ。しかし忙しすぎないかそれ。




 無名戦士の墓のちょうど裏手には二つのスペースシャトル事故、チャレンジャーとコロンビアの慰霊碑やイランのアメリカ大使館占拠事件人質救出作戦の際の戦死者の慰霊碑、米西戦争の引き金となった戦艦メインのマストなどが。




 歩いて入り口の方へ戻る途中、アーリントン・ハウスへ。これは南北戦争の時の南軍の名将、リー将軍の家。というか、リー将軍の家の周りに南北戦争の戦死者を埋葬しているうちに、気が付いたら墓地になっていたのがここの由来だったりします。ここも小高い丘の上。傍には小さい畑なども復元されていました(さすがに作物は植えられてないっぽい)



 リー将軍の家からケネディの墓、入り口方面。右手にワシントン記念塔が見えます。

 そんなところでアーリントンをあとに(海兵隊記念碑までは足を延ばさず:2kmくらいあるからあの時の体調では無理無理)。まだちょっと時間があったので、キャッスル地下のアジア美術専門の美術館のうち昨日行ってない方(多分フリーアギャラリー)へ。



 廊下の端に佇む仁王像。写真を撮り忘れてしまいましたが、もちろん反対側の端は相方もいます。



 エジプト方面でしょう。こういう青い色って好きだなあなどと、常々。




 青と金に埋め尽くされた孔雀の間。 ……しかし、いくら青が好きとはいえ、これは落ち着きません。豪華ではありますが(笑)。

 こんなところで大体4時を超えたので、今度こそホテルへ。今度こそ無事チェックインして、さあ4日間のホステル暮らしでたまった洗濯物でも洗うかなーと思ったら、今度は中途半端にいいところすぎるせいかランドリーが併設されていないという… プールより、今はプールよりランドリーが付いていてほしかった…

 結局頑張って風呂場で踏み洗いしましたが、今度は部屋の冷房効きすぎ、しかも消すスイッチが見当たらず結局生乾きにしかならなかったというおまけつき。部屋そのものはかなり快適でしたが、こうして見ると今回の旅行で一番の宿は市内中心部、ランドリー併設でネット可能、部屋のクオリティもそれなりでネットもできた(最初に一騒動ありましたが)ボストンの宿が一番であったなあと。つうか中途半端に宿替えなくてもよかったかも(苦笑)。



 最後にDCの地下鉄などで見かけた文物。軍は今日もアフガンで世界平和と自由のために頑張っていますよ… というものですが、米軍じゃなくてNATOの広告。確かに米軍も参加してるから変ではありませんが、しかし写ってるのは英国海兵隊。うちの国だけじゃなく愉快な仲間たちもちゃんと仕事してるよ、ということなんでしょうか。



 空軍チャリンコレースのお知らせ。協賛企業がノースロップ・グラマンだったり。



 さすがお膝元だけあって、地下鉄の切符の裏にも大統領がいます。人気だなあ。前任者の時はなかった…… ですよね、こんなの(知りませんけど)?

ワシントンDC→ニューヨーク 移動日 5月16日(土)



 DC最終日は休養日にして、いよいよ旅の終着点、ニューヨークへ。この日も鉄道にて旅行記書きながら移動。途中、ニューヨークの手前のニューアークでうっかり降りかけてしまうなどというポカミス未遂はあったものの、無事ニューヨークに到着。 …だって仕方ないじゃないですか。地名が似ているだけならまだしも、駅の名前まで同じペン・ステーションなんですから… ややこしすぎるわ!



 ともあれ、無事ニューヨークに到着。写真は駅の中の土産物屋に飾ってあった、カニ道楽のカニのごとくうねうね動く巨大ビクトリノックスと、同じ店に飾ってあった謎のおっさん。誰だこのパンツ一丁。



 たどり着いたニューヨークはさすがに人が多く、そしてそれ以上に黄色いタクシーだらけ。ともかく、これから二か月の間活動拠点となるブルックリンへ移動、無事滞在先に到着。かくして約三週間の新大陸転戦はいったん終了、これよりしばらくの間はニューヨークに腰を据えての第二章となるのでありました。というわけで、ここからは旅行記というよりはどこか特別なところに行った日の分だけ記録をお届けすることになります。まずはハドソン川に浮かぶ空母イントレピッドへ。

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