過去日記目次へ


ばっくとぅとっぷ


今日の福岡日記 3月6日(土)


 本日より水曜日まで、四泊五日で九州へ。長崎熊本佐賀は昔に行ったことがあるので、今回はそれ以外の鹿児島大分宮崎の土地を踏む(福岡も既訪だけど通り道なのでどっちみち降りる)のが目標。移動手段は例によって鉄道、ということで九州周遊きっぷ使用。この切符だと行き帰りの手段も縛られちゃうっぽいので、行きはフェリーとか使いたいなーと思ったけど大人しく新幹線で。ということで、第一に降り立った先は小倉。



 九州に降り立った瞬間目に飛び込んできた謎看板。なんだこのおっちゃん。



 目的は… 私の旅行なんですから言うまでもないですね。小倉城です。街中の一度焼けてる城というとことで、となりのNHKだかのビルの方が立派だったりするのはもうお約束(苦笑)。



 最上階の唐造りが特徴的な天守ですが、破風などの装飾はオリジナルにはなかったものを戦後復興するときに付け足したもの。まあ、その旨しっかり伝わってるのなら特に文句は言いません。



 ここの最上階、なんかに似てるなーと思ったのですがあれですね、スパロボのSRXの頭部。窓ガラスがはっきり分かる画像だとなおさら(そうか?)



 ……言うまい。近江の猫のなんたらとは、言うまい。



 なんか場内に置いてあった四年式十五糎榴弾砲。



 隅櫓… ではなく、それっぽい形をした漬物屋。景観としっかり調和している、といえばそうなのですが、逆にここまでやられるとそれはそれでどうなんだろうと思ってしまう。わがままですね。




 北の丸に残る建築群…… ではなく、これもまた当地に遷座した神社の建物。この城、本体よりもこういうダミーの方が多いのな(笑)。



 中でもこのホールと思しき建物の装飾が、なんかこう狂気じみてる感じがしてステキです。



 そんなところで離脱ー。



 城沿いにあった乃木希典旧宅の碑。西南戦争までここにいたということで、彼はここを発ったあと人生を左右する大事件に巻き込まれることに…



 河馬ってアレをまき散らす習性がありましたよね。おちおち通れんなこのあたり。



 駅前の商店街をふらふらしていて、特に下調べとかしてないのにメロンとかだらけを見つけてしまった時ほどおのれの業の深さを認識する時はありません。 …しかし畜生、京都より大分広いじゃないかってか京都が狭すぎんだ…



 小倉を出て音速(ソニック)号で博多へ。京都を朝に出て小倉に寄り道しちゃったので、到着時点で既に14時30分くらい。ということで、あまり多くは見て回れないのでした。まあ、一度は来てるしいいか…



 ……てか、こいつなんか結構行く先々で見かけたのですが、市民権を得たマスコットなんですか…?



 福岡市博物館。呑取こと名槍・日本号が展示されてるらしいということで来たのですが、なんか特別展でポンペイ展とかやってた(終了前日)ので、ついでだからそっちも見ることに。 …古代ローマということで給湯器つき個人風呂の復元展示があったりして、なぜか現代日本にタイムスリップして現代風呂の技術を吸収して帰っていった建築技師のあんちゃんの顔とかがちらついて困りましたが(笑)。あ、残念ながら日本由来の技術っぽい展示品はありませんでした。きっとまだ土中に眠っていることでしょう。

 お目当ての日本号は…… でかい! そして派手(笑)!! 刃の龍の彫刻はまだしも、3メートルばかりの柄にびっしりと螺鈿が施してあるとかお前。まあ、実戦用じゃないんでしょうねえ。

 あとは漢倭奴国王でおなじみの金印とか、日光一文字などの国宝が大物でしょうか。いや金印は大物というかかなり小さいですけど。昔どっかの博物館で複製を見たりして小さいことは知っていたので、感動とか衝撃は薄め。

 博物館自体は写真のとおり、想像していたよりもかなり綺麗で大きかったです。市の博物館ということで地元ネタ中心の展示ですが、黒田家関係だとどうしても頑張るけど報われない若殿とそれにダメ出しを続ける家臣団の情景が自動的に想像されてしまい、もう(参考)。



 結構混んでる特別展を見たこともあってこの時点で17時すぎ。本日最後の目的地は福岡城。城地は学校があったり運動公園(かつての平和台野球場とか)になっていたりと、よくある都心で公園化された城跡。 …しかし、この大手門&潮見櫓から入って本丸までの間にグラウンドとかで結構な距離があるのには騙されました。いや、大手門なんだから城の外郭にあって当然ではあるのですが。



 天守があったかどうかについては議論が存在するようですが、二重三重になってる天守台はかなり立派。



 天守台から。もし天守があったのならかなり立派なものだったことでしょう。立派すぎて逆に取り壊されちゃったのかもしれませんが。



 地震予測用の水位計がついてるらしい井戸。ということはまだ枯れてないんですね。



 祈念櫓。櫓というか、ねえ…… と思ったら、寺に移築→再移築の過程で漆喰が剥がされたりして外観は様変わりしているらしい……

 実は他に多聞櫓+隅櫓が残っており、しかもそれこそが重要文化財指定されていたりするのですが、このときは気づかずにあっさり帰還してしまうという(泣)。ともあれ、せっかく博多きたんだしということでラーメン食ってホテルに帰還。

今日の太宰府日記 3月7日(日)


 この日の目的地は大宰府方面。西鉄に乗って太宰府へ。でもって、太宰府といえばやっぱり真っ先に訪れるのは天満宮でしょう。



 天満宮といえば牛!! ……いやまあ、もう一つの天満宮の近辺を日夜ふらついているわけですから、この取り合わせ自体は私自身にはあんまり珍しくもないのですが。でもこっちの牛のほうが角は大きいかも。




 門と本殿。後述のイベントもあったせいか、参拝客はかなり多め。門の内側には夜間に太宰権帥ビーム(ライトアップとふりがな)を発射するためのライトが3基。



 有名な飛梅の花はもう散ってしまってるっぽい。しかし、京都から道真を慕って飛んできた梅を、北野の近傍の住人がわざわざ太宰府まで来て拝んでるとか、考えてみればをかしき話ではあります。



 こっちの梅は今が見頃か。



 お神籤はセルフサービスのみっぽい。ちなみに引いた結果は中吉。



 今日はたまたま曲水の宴が行われる日であったらしく、あるいは単に休日だからか境内には猿回しなどの大道芸や屋台が出て、さらには福岡の地酒の試飲&即売会が催されていました。 …ということで、真昼間から左手に屋台のやきとり、右手に試飲会の紙コップを装備していやっほう。なんだかんだで1合分くらいは試飲したような… あ、ちゃんと買いもしましたよ? …この後、まだまだ予定があることもうっかり忘れて…




 曲水の宴の準備風景と入場行列。次の予定もあるので本番は見ていませんが、このシーンは一応。



 誰が置いてったんでしょうこの犬。3時くらいまで周りに人が集っていてもずっと寝てたような。




 次の目的地は九州国立博物館。現在ある国立博物館の中で最新のもの。ちなみにここ以外の東京、京都、奈良は行ったことがあります。地図だと太宰府天満宮からは一見回り道をしないようにも思えますが、写真のようなエスカレーターと動く歩道を駆使した直通ルートが設けてあるのでアクセスは楽。

 さすが新しいだけあって建物は広く、部屋の配置もなかなか斬新。その反面収蔵品については案内のボランティアさんも「まだ新しいだけにここ自身のお宝は少ないですから…」と話していた程度、ではあります。まあ、ここの博物館のコンセプトとして、中国あたりも含めた他の博物館の収蔵品の修復作業などを請負い、その際に預かったものをちょっと貸してもらって展示する、みたいな機能を重視しているとのことですので、あまり固有の名物にこだわることもない、のかもしれません。

 で、この博物館のウリの一つは、その文化財修復室などを見学できるバックヤードツアー。実はこれを見るのがここの目的なのでした。当日申し込みなので申し込みを済ませて、余った時間をもう一度天満宮に降りて潰し(上の写真にはこの時のものも含まれています)、ツアーに参加。ボランティアのガイドさんに案内してもらって、博物館ヴァイタルパートに施してある免震構造や収蔵庫、調査設備や修復設備などを見学。確か以前ニュースか何かでも見たことがありましたが、紙の資料の修復室や精密三次元プリンターあたりが凄いなあと。あと地震がきたらヴァイタルパートは揺れないようになってるけどそれ以外の部分は普通に揺れるので、建物の中に緩衝用のスペースがあるというのも面白いですね。ちょっと見てみたいぞ、その光景(地震なんてきたら困りますが)。

 博物館見学終了後、酒瓶が入って重くなったカバンを駅のコインロッカーに放り込んで身軽に。なぜならこれから軽いハイキングを行うのです。参拝客で賑わう門前を抜け、連歌屋なる地区を通過して四王寺山へと向かう林道へ。 …しかし、福岡といい太宰府のこのあたりといい、ほんとエクセル・サーガな地名だらけですね。いや順序が後先なのは知ってますが。ここまであっちゃこっちゃからとってたとは。



 などと適当なことを考えながら無二無三に林道を驀進すること50分くらい、大体カーブを示す標識の数字が20を超えたあたり(21だっけか22だっけか)が太宰府における最後の目的地、岩屋城跡。信長の野望なりやってる人ならおなじみ大友家の切り札二号にして西国無双の実の親父、高橋紹運が島津の大群を迎撃して玉砕した城。実は太宰府からすぐそこなんですね。この階段を登れば目的地ですが、一旦階段を下りて



 高橋紹運墓(胴塚)へお参り。この周りとか下の奥には多少の土塁などが残っているようですが、道っぽいものもなかったので面倒くさいし上の方に。と、なんかタクシーでやってきたらしきおばちゃん観光客の集団が下におりている間にやってきていました。一応観光コースになってるんですねえ、ここ。

 なお、上への道は大野城(古代山城)への道と分岐していますが、だりいし時間的問題からそちらへは行っていません。博物館のバックヤードツアーの時間が固定されていることもあって、この時点で4時過ぎてましたし…



「嗚呼壮烈 岩屋城址」の碑。割と有名だと思いますが、実は立てられたのは戦後の昭和30年代(ところで、どういう人が立てたんでしょうこれ? ざっとぐぐった限りでは出てこないような…)。まあ、これだけはっきり文面が残ってるんだから言わずもがなかもしれませんが。左後ろの盛り上がってるところが櫓台の跡だったりするのかもしれませんし、しないのかもしれません。



 その盛り上がりに開いていた穴。なんの意味があるのかは不明。



 盛り上がりの上から全景。かなり狭いですが、普通の山城の中枢部なんて案外こんなレベルなのかもしれません。信貴山とかもこれが? と思うくらい狭かったですし(当然最上部以外にもそ周辺に付属する曲輪があって面積稼いでもいるでしょう)。



 一段下。きっと多分曲輪の跡。




 木がちゃんと切ってあることもあり、眺望は最高。水城、大宰府政庁跡、九州国立博物館などが一望に見渡せます。九博、こうしてみるとやっぱり大きい建物です。右下は紹運の墓。こうしてみると結構離れた位置にあるように見えますが、間を繋いでいた遺構が林道通すときに破壊されちゃったからそう見えるだけっぽい。



 ひとしきり眺望を堪能したのち、また40分ばかりかけて太宰府駅へ戻り、博多に帰還。夕飯食べて(朝のコンビニおにぎりはさておき昨日から昼夜はラーメンしか食ってない… いくら当地名物かつリーズナブルだからってお前…)博多駅前のネカフェでシャワー浴びつつ時間を潰し、夜行特急ソニックにちりんに乗車。それでは、おやすみなさい。

九州旅行記中編へ


ばっくとぅとっぷ

アクセスカウンター
SEO [PR]  ローン比較 再就職支援 バレンタイン 無料レンタルサーバー SEO