過去日記目次へ


ばっくとぅとっぷ


今日の知覧日記 3月9日(火)


 この日の目的地は知覧… 町の名前的にいうと南九州市ですか。目的は知覧特攻平和会館の飛燕、疾風と、町外れにある知覧城。鹿児島からだとバスで1時間程度。途中、最福寺入口なる停留所を通過するのですが、あとで考えるとこのお寺って、毎年阪神の金本と愉快な子分たちが護摩行やってる、まさにその寺…?



 お茶でも有名な知覧に入ったあたりで。あ、あれ? この人は世田谷の方で泥棒猫を追っかけたり財布を忘れる愉快な……?




 知覧特攻平和会館へは特攻観音入口(割と凄い名前ですが…)で下車してすぐ。特攻隊員や「特攻の母」鳥浜トメ像に混じって、



 自衛隊のT-3と、数年前に都知事が制作した映画に使われた隼の模型。まあ、これは模型以上でも以下でもないというか。



 復元された三角兵舎。

 さて、施設の中には疾風一型甲飛燕二型改零式艦上戦闘機五二型丙の残骸、あとこれも例の映画に使われた隼三型甲の実寸大レプリカが展示してあります。 …が、施設内撮影は禁止。特攻隊員の遺品の展示してある、鎮魂のための施設なんですから当然のこと、ですね。実際周りに展示してあるものをじっくり眺めてると、はしゃいで飛行機の写真撮るような気分になるはずもない(それらについては、何も感想を書きません。というか、私にはうまくまとめて書くことなどできません)わけで。

 …ただ、同時にやっぱり世界に1機しか残ってないような機体ですから、やはり写真は撮りたいよなあ、という気持ちもどうにも否定できず…… 負けた国でもあり投了にいたるまでの過程が無茶苦茶(こんな施設を必要とするように)なだけに、そういう名目でもなければ保管もままならなかったり鎮魂のシンボルとして確かに最もわかりやすいものではあるのですが、過去の技術遺産と慰霊の対象とを分けて考えることはやっぱり難しいんですかねえ… ともあれ、少なくとも屋内の施設でしっかり保存してある、という点だけでもありがたいとしておくべきでしょう。

 というわけで肝心の写真がないのでわざわざ貴様の駄文だけなら読む価値もないわ、といったところですが、飛燕は機種周りはさすがにMe109とかMC.202似ですね。 …ただ、腹のラジエーターはイメージよりなんか… デカい、そして角い(角張っている)。横幅いっぱいに広がってるせいで、コクピットがレザーバックなのと相まって随分下半身デブに見えるような(笑)。しかもこれ、たしか効率あんまりよくなかったんでしたっけ? あと塗装については何度も塗り替えられてるみたいなので言うほどのものでもないのでしょうが、なんかでこぼこしてるような… こういうもの、なのかなあ…?

 疾風は…… 垂直尾翼ちっさい(そして丸っこい)なあ。でもってやっぱり紫電改よりかなりスタイルいいですね(というか、紫電改が相当、なあ……)。ありがちながらこの趣味に日本の海から入った身としてはこのライバル2機種だとどっちかというと紫電改びいきできていたのですが、スペックだけでなく形状でもここまで差がついてると色々認めないといけません(笑)。

 この疾風についてはアメリカから帰ってきたときには飛行可能だったのに、その後の保存が残念だったせいであたら… という話が有名ですね。惜しい話です、ほんと。世の中には残骸通り越して破片状態からなんとか外見だけレストアされました、みたいな機体もあって、それさえも貴重だというのに…

 最後の(隼はまあ、レプリカなので)零戦は海に沈んだ機体を引き上げたままの状態で、後ろ半分が失われて外板も剥がれたり腐食したりしているのですが、そのことによりかえって内部構造がじっくり覗けました。なんだかんだで一番じっくり見ていたような。



 昼は会館横の農協のレストランというか食堂で、茶美豚のカツ定食1000円。基本的にドケチで観光地価格を忌み嫌い、それならおにぎりかパンかなんか買うか飯抜く、みたいなノリが平素の私としては快挙です(笑)。まあ、折角鹿児島来てるんですし、これからまた歩くわけですし。

 というわけで、次の目的地は知覧城。観光マップなどだとかなり大回りしないと行けないようにも見えましたが、グーグルマップで見たら特攻平和会館の裏から細い道でつながってるみたいなので、それを信じて。こういう普通あんまり行かないであろうような細い道なんかを探すとき、グーグルをはじめとした最近のネットの地図は本当に便利です。間違いなく行動範囲を広げてくれてるよなあ、昔と比べて。



 畑と住宅の間の小道や人っ子一人いない山の車道を暫く歩くと見える、知覧城入口の案内板。




 なんでこんな辺鄙なところの山城跡に来ようと思ったかは、この案内板の空撮写真を見れば理解していただけるかと(無理か)。規模もデカい上にまるで鉈かなんかで切り込んだかのような深々とした空堀。シラス台地だからこうなるようですが、他ではなかなか見られないステキ形状。



 空堀跡の道を通って中へ。整備はされていて歩きやすいです。



 本丸跡の虎口… ですが、何が何だかさっぱりですね(苦笑)。



 本丸跡の石碑と土塁跡。広いです。直前に登った岩屋城がそんなに大きくなかっただけにそう感じますが、これでも全体からすればほんの一部なんですね。




 蔵之城(城、とついてますが他でいう曲輪のことでしょう)跡の枡形とか掘立柱建物跡とか。よく「この城は独立性の高い曲輪の集合体で〜」みたいな説明がありますが、この城なんかまさにそうですね。切り立った台地の間の溝がそのまま空堀になってる感じ。「凹凹」で突起部が曲輪窪みが空堀とか、そういう風に表現してもいいくらい。



 空堀跡と桝形跡。そう書いてあるんだから間違いないでしょう。



 真ん中の盛り上がりが多分土塁跡。端の方は広がっていますが、櫓でも建ってたのでしょうか。



 帯曲輪かなんかでしょうきっと。

 本丸、蔵之城の他に奥の今城、弓場城の方にも行けるのですが、弓場城への登り口は階段の木が朽ちて上に落ち葉が堆積しており、折からの小雨模様で滑りやすいという最悪の条件だったため、あと5メートルというところで「これはしゃにむに登っても降りれなくなる」と判断して断念。また土壌がシラスだからなのか、木の枝とかを刺してもなかなか踏ん張ってくれないのです。ただ歩いていても踏み心地がどうも違いますし、ほんとにこのあたりの土地は独特なんだなあ。



 というわけで今城の方にだけ登る。



 案内パンフレット(城内、本丸・蔵之城と今城・弓場城方面への分岐点に立ってるポストの中に入っていた)によると、空堀というか低地を挟んだむかいの丘も一つの曲輪らしい。ほんと、でかいなあ…



 そんな感じで撤収。入ってくる時にはスルーしちゃったのですが、第二次大戦時の防空壕が二箇所ほどあるんですね。



 駐車場横のこの幅広い低地も空堀跡… というか、低地を超えて向かい側の山々にも曲輪が。ここまで来ると空堀と行っていいのかちょっと疑問(笑)。



 帰りは武家屋敷群や市役所のある、町の中心方面へ。本当はこっちから入ってくる前提なのでしょう。駐車場も完備、この通り立派な案内板もありと、車での来城者には結構至れり尽くせりか。 …いやまあ、一人非機械化部隊であるところの私にはあまり関係ありませんが。



 というわけで、市街に戻ってくる。復元されて資料展示をしている富屋食堂(特攻隊関連史跡)。



 知覧といえば普通は特攻隊の他は武家屋敷群。一般公開されている数軒の家の庭を見ながら散策。




 庭のことなどよくわかりませんが、なかなかに立派なものです。しかし、街並みは結構長く続いているのですが、生垣だけ残っていて中は空き地、とか駐車場畑、みたいな感じになってるスペースも多いような。非公開の家ももちろん多いわけで、群、というか点在、といった感じの気もします。



 ある家の軒先にて。



 白壁に落書き、というのも(嘆かわしいことに)ありふれた光景ですが、しかしゴッツイ罰則ってどんなもんなんでしょう。ゴッツイて。




 さて、武家屋敷群を終端までいってちょっと裏に回ると、知覧城の出城、亀甲城の跡があります。小高い丘を螺旋状にぐるぐるぐるぐる登っていくと石碑(南朝義臣知覧氏彰忠碑)のある本丸跡と思しき場所に。途中に井戸があったのですが、新しいっぽいから別にいいかなーと思って写真撮らなかったらそれも遺構っぽい。 ……というか、どうも私が入ったのは裏口的な道のようで、実は川沿い側からだともっとわかりやすい道があったらしいということに、今調べていて気づく……



 このあたりで大体4時頃、次のバスは5時半回ってしまうのでここらで撤収。途中、バスの窓から明らかに雲とは違う色形の塊が見えたのですが、桜島の噴煙、かなあ。



 鹿児島に戻って、天文館(繁華街)で夕食。その際に見かけた顔ハメ(繁華街のど真ん中に顔ハメが置いてあるだけで相当なものだと思う)なのですが、湯砲っておまえ…



 そしてまた結局ラーメン。博多で散々食ったのに飽きませんねこの人も。

今日の別大日記 3月10日(水)


 気がつけば4泊5日の無闇に長大な日程になってしまったこの旅行もいよいよ最終日。今日は大分と別府に寄りつつ、本拠の京都まで退却します。朝7時台の九州新幹線つばめに乗って新八代→特急リレーつばめで熊本、そこから九州横断特急で一気に大分まで… あ、なんか雨降ってきた。まあしばらくは車内だから別にいっかー。



 周遊きっぷでは新幹線には乗れないので別料金。まあ、はじめて乗る列車ですしそれくらいはいいんですけど別に。周遊きっぷはそれよりも往復路に東海道新幹線が入るとややこしくなる、というのが面倒だなあ。まあ京都から九州いくなら新大阪まで新快速で出ればいいだけ、ではあるのですが。やっぱ普通なら直通してるものをわざわざ乗り換えというのはちょっとだるい。

 さて、新幹線に乗ってトンネルの多い車窓をぼけーっと眺めているうちに、あることに気づく。 …あれ? なんか白い個体が流れてるような…

 

 なお、熊本駅での乗り換えですが、なんか駅の構造が複雑(というか番号の振り分けがわかりにくい)で、乗り換え5分しかないのに一瞬混乱してちょっと焦ってしまったりしています。規模的にはそこまででもないのに…



 立野駅。このあとスイッチバック。



 阿蘇方面に入る頃には、窓の外は完全に雪景色。確かにニュースで東日本北日本を中心に大雪の恐れ、とか言っていた気はしますが、まさか九州、それもどちらかといえば南の方でこんな風になるとはなあ…



 波野駅。九州の鉄道駅で一番高い場所にある、らしい。

 雪の影響で少々遅れて列車は大分に。なんか、ほんとは別府までいくはずだったけれどダイヤの乱れにより大分までで運休… などという不穏なアナウンスも。元々大分で一端降りるつもりだったから今はいいとして、後々のこと考えるとこれはちょっと当初計画どおりにはいかんかもなあ、という危惧を抱きつつ、とにかくも市街へ。



 今までの雪景色が一転して、大分は見事に晴れ。これも神のご加護でしょうか。ね、そーりん! そーりん!



 …そんなわけないやん…




 私にとっては当然ながら、ここで降りた目的もやっぱり城。府内城(宗麟のそれではなく、慶長期のもの)。現存二基に加えて復元三基の櫓が立ち並び、間の塀もちゃんと復元されている(これって地味ながら結構重要というか、いくら櫓を二つ三つ復元したとしても本来それらを結んで防御ラインを作っているべき塀なり多聞櫓なりがないとなんか間抜けに見える… と思うのは私だけでしょうか)ので、外観の見栄えはなかなか良好。右上写真のに写る平べったい櫓が現存建築の宗門櫓。



 周りをぐるっと回りながら。奥に見えるのが天守台でしょうか。4層のものでしたが18世紀に焼失。



 多分これがもう一個の現存櫓の人質櫓? 案内板とかはなかったような…



 復元された廊下橋を通って城内へ。城内は県庁、後に文化会館が置かれているためそれほどのものは残らず。まあ、近世の城というのはそもそも政庁としての機能がメインなわけで、その跡に役所や公共施設を建てるというのは、石垣や堀まで徹底破壊でもしない限りはある意味正当な利用方法として是認されるべきなんじゃないかなあ、などと思ったりもします。



 …ただ、だからって砂利敷の駐車場区画が結構な面積を占める状態はちょっとどうかとも思う(笑)。



 というわけで城も見たので駅に戻る。案の定、ダイヤは乱れてます。特急が2、3本運休とか…



 九州上陸初日に小倉で見かけて衝撃を受けたおっちゃん、ここにも。JR九州全体のキャラクターだったのかこの人…

 普通電車で別府へ。意外と、というかほとんど隣なんですね別府と大分。



 別府駅前、別府観光の父の像。なかなかにステキなポーズです。「子供好き」などと解説にありましたが、この裾つかんでる子供は… 全力で振り回されてるような… 子供好き…?



 駅前にあった手湯。

 本当はここでちょっと時間をとって地獄の一つや二つでも見るかなーなどとも計画していたのですが、ダイヤが乱れていることとなにより雪こそ降ってないけど風が強くてかなり寒いことからプランを変更、大人しく昼飯食って外湯に入って撤収する方向で。



 大分に来たから、ということで昼飯は大分名物とり天。



 ほんとはもっと色々探して巡ればよかったのでしょうが、高等というステキな単語に惹かれて。なんか高等湯と並湯では泉質が違うっぽいですが、折角なので高等湯の方に。それでも300円ですから、普通の街中の銭湯より安いですし。ということで、40分ほど浸かって冷えていた身体を加熱。寒い日だったからこそ格別というか、むしろここで身体をあっためとかないと気力体力が残念なことになるとこだったというか(笑)。

 十分あったまった後、再び移動開始。



 USA。ほんとはここのHACHIMANにもお参りして神託をもって帰ったけど土壇場で「やっぱあの神託は嘘でしたてへ」とかやりたかったのですがってそれやったら残念な名前に改名させられた上左遷されちゃいますけど。



 小倉方面に向かうと再び雪景色。このあとは新幹線(+新大阪から在来線)で簡単撤収ですが、これもまた雪の影響でスピードを落としての運転でした。珍しいこともあるものですねえ。まあ、遅れたといっても許容範囲だったので旅のアクセントとしてはなかなか面白い光景でしたが。



 最後にお土産から。海軍カレーってほんと海軍があったところならどこでも売ってるようになりましたね。そのうち大津あたりでも売り出したりして(強風大好きっ子)。芋ジュースの方はまだ開けてないのでよくわかりません。てかよく見たら宮崎…? いや、宮崎も一応踏みはしたから土産として間違ったわけではないのだけれど…

ばっくとぅとっぷ

アクセスカウンター
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送