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ばっくとぅとっぷ


今日の羽前日記 6月14日(火)


 今回の旅行の目的地は青森を除いた東北5県。JR東日本管内1日乗り放題1万円のJR東日本パスを使う前提で予定を組んだものの、マイル利用の飛行機で乗り込んだこともあって結局一日たりとも交通費が1万円に達しないというだいぶ間抜けなプランになりましたが、まあ、もう飛行機、とっちゃいましたしということでレッツゴー。大まかなプランは山形から会津若松に入り、その後宮城・岩手・秋田と移動して最後にまた山形から西に戻る感じで。



 そういうわけでJALのちっさいボンバルディア機に乗って伊丹から山形空港へ。山形空港の周りは空からも明瞭にわかるくらい果樹園だらけ、空港から山形市に向かう道路沿いにも色づきだしたさくらんぼがずっと並んでおり、さすが果樹王国山形県だなあなどと。



 例によって例のごとく私の旅行の基本目的は城巡りということで、今回も空港から乗合タクシーに乗ってやってきた山形市では山形城を見てタッチ&ゴー。基本的には土塁メインの城ですが、門のあったところだけは石垣で固めている感じですね。



 二の丸は体育館やら野球場やらが並ぶ公園化。本丸はこの通り土塁や桝形の石垣は残っているものの、



 内部は雑草生え放題の荒地と化しています。一応門や塀の復元計画はあるみたいですが、どうもあまり進展していないような…







 唯一二の丸東大手門は往時の姿に復元されています。門自体はそんなに大きくないものの両脇に多聞櫓を従えた(片方は枡形内側の櫓門でもある)姿はなかなか。なんでも江戸城の城門に匹敵する規模だとか。



 その東大手門の内側の広場にあるのが、有名なサーモンナイトもといシスコ…(参考:最上義光とは (モガミヨシアキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)もとい、出羽の驍将最上義光像。ほのぼのエピソードから武勇譚、智略の逸話まで各種取り揃えて一部ネットなどで大人気の名将。 …まるっきし一般的ではない紹介のような気もしますが、それはさておき。



 同じ広場には明治以降の城の例にもれず当地に駐屯していた(その際建物がぶっ壊された。言っても詮無いことですけど)歩兵第32連隊の碑も。沖縄戦参戦部隊で終戦後の生き残りが約50名。 …1個連隊が最後にはわずか50名、ですか……

 …でも、なにが酷いってそういう限りなく文字通りの全滅に近い部隊について記録した碑がこの連隊一つだけ、あるいは沖縄という一つの戦場にいた部隊だけではなく結構どこの護国神社や駐屯地跡などにも探せばあること、でしょうか。無茶苦茶な話だよなあ、ほんと…



 さておき。城の東側の堀は真横にJRの線路が通っていたりします。高松の琴電も堀端ぎりぎりを走っていましたが、こちらは堀端というかむしろ堀の中。多分、線路を通すために堀の一部を埋め立てたんでしょう。金沢城の周りの道路みたいに全部埋め立ててしまわずに少しだけでも堀を残したのは謎といえば謎。いや、少しでも残してくれる方がありがたいのは当然ですけど。

 まだ少し時間があったので、城の東にある最上義光歴史館にも寄る。長谷堂合戦の際に最上義光が振るっていた鉄の指揮棒や妹・義姫(多分色々と有名な政宗のおかん)宛の手紙、このエピソードに出てくる政宗からの手紙などが展示されていて感慨深いものが。



 しかし、この館でキャラクター化されてる義光はなかなかワイルド系ですね。実際長谷堂では先頭に立って大暴れしてたり温泉で盗賊退治してたりと結構パワフル系の話も多い人で、なんとなく私がより強く抱いていた理知的な謀将的イメージは結局信長の顔グラ一つによるところが大きいというのは確かなのですが。

 …それはそれでいいとして、指の指紋らしきぐるぐるが妙に気になる… なんかあるのか、わざわざイラストにこの渦巻を描き加える意味……



 そんなどうでもいいことに首をかしげつつ、次は山形新幹線つばさに乗って米沢へ。



 去年の大河ドラマの影響やそれ以前から累積するものもあってでしょう、毘と龍と愛と義の文字が乱舞するある意味すごい町でした。どうでもいいけど愛の商品券とか、いざ換金しようとしたら「ほほう、では閻魔様に換金してもらうといい」とか言われそうで少しヤだ(笑)。



 穀蔵院ひょっとこ斎どのもお出迎え。関ヶ原の後はそのまま上杉家についてきて、当地で晩年を過ごしてましたから。

 事前の調べでは駅から城跡まで結構な距離があり、バスも本数的に当てにならない感じ、しかも滞在時間に制限があるのでタクシーの利用も検討していたのですが、運良くその少ないバスを捕まえることができたのでベストパターンで城跡まで到着。時間が1時くらいだったのでとりあえず昼飯にしようということでまずは手近なラーメン屋に。



 実は米沢牛焼肉ラーメンなるメニューもあったので頼んでみようかと一瞬思いましたが、なんか1600円くらいしたので醤油辛味噌ラーメンに。いくら米沢牛ったってラーメン、それも昼飯に1600円出す気はちょっと、ねえ(笑)。




 腹ごしらえもしたところで米沢城へ。今は上杉謙信を祀る上杉神社になっていて、遺構は土塁と堀くらい。本丸だけなのである意味当たり前ですが、構造も非常にシンプル。





 ただ、やたら銅像はあります。本丸外も合わせると上杉鷹山が2体、謙信が1体、そして景勝&愛の人が1セット。最後のはやっぱりというかなんというか、作られたのは去年(笑)。



 あと、参道沿いにひっそりと伊達政宗生誕地の碑などもありました。 …あまりにひっそりしすぎていて危うくスルーするとこだったぞw 元々米沢は伊達累代の本拠地だったのにすっかり上杉に上書きされてるなあ。あはれ…



 本殿。例によってというか明治の神仏分離とかでそれまで仏式で祀っていたものを神式に改めたということですが、いきなりのことで祀られてる側もさぞかし面食らったことでしょう。謙信といえば毘沙門天、というイメージですから。なお、本来はこの神社の宝物庫に謙信や景勝所要とされる甲冑や例の愛のアレが展示されているのですが、3月の地震の影響で公開停止中。補強工事をしているみたいでした。収蔵品が無事だったらいいのですが…



 続いて二の丸跡にある上杉伯爵邸。大正時代の建物。今は料亭というかなんというかになっているようです。そういえば現上杉家当主の人ははやぶさプロジェクトチームの一員でしたっけ。確か当時話題になっていたような。

 城近辺はこんな物。まだ多少時間があるので、20分ほど歩いて上杉家廟所に。読んで字のごとく謙信以降の米沢藩主歴代の墓所。



 外界の空気を遮断するかのような杉木立の中に立ち並ぶ小さな霊廟群。心なしか吹いてる風も清浄なように… 思うのは単にこっちのミーハー気質のせいでしょう(笑)。



 中央に鎮座するのは当然謙信。その遺骸は甲冑を着た姿のまま甕を棺とし、死後も上杉を守護すべく上杉家の転封に伴い春日山→会津若松(鶴ヶ城内にも仮安置所の跡がありました)→米沢城と転々と安置され(なんか矛盾した表現だが気にしない)、明治になってからこの地に落ち着いたとのこと。 …なまじ神格化されてしまうというのも落ち着かないものですね。すっかり忘れられて置き去りにされるのとどっちがマシかというと難しいところとはいえ(なお、実は本体は高野山の墓に… という説はここでは無視する)。

 これで米沢見物は終了。駅に戻り、福島→郡山と乗り換えて会津若松で宿泊。



 おまけ。上杉神社の土産物屋にて。死んでからのお引越しに付き合わされて謙信公も大変だなあ、と先ほど書きましたが、お友達の信玄公も巻き添えにされてしまっているようです。もはや完全なとばっちり。一応娘の嫁ぎ先兼息子の仕官先という縁もあるといえばありますけど。 ……まだ行ったことないけど甲府の武田神社にも逆に謙信連れてかれてたりするのかなあ。してそうだなあ……



 今更ゆるキャラがいる程度は特筆すべき話になりませんが、慶次をモデルにしたっぽいキャラとお船をモデルにしたっぽいキャラの見分けがいまいちなような。そうでもないか。



 米沢城から上杉家廟所までの道すがらで見かけたキャラクター。売り文句になっている各機能はさすが雪国… ですが… 一体なんでこんなキャラを……
 トリケラトプスあたりの角竜(の角がないやつ)を正面から見た感じ、のつもりなのでしょうか。どっちにしても目が離れすぎてたり無駄にシンメトリカルなあたりがなんとも、怖い(笑)。



 米沢駅にて。ねるとんとか何年ぶりに聞いた言葉だろうおそるべし東北… と思ったのですが、なんか最近の婚活ブームとかいうあれでひそやかに使用が復活しつつある、ん、で、しょうか…?

 いやまあ私にはなんの関係もないのでどうでもいいのですけれども。

今日の会津日記 6月15日(水)




 旅行二日目。駅の近くのホテルからバスに乗り、当然のように真っ直ぐ鶴ヶ城(会津若松城)へ。



 その駅にあった中途半端に和風な時計。 …いや、だからって完全に和風に子丑寅… と表記されてもそれはそれで困りますけど(笑)。





 ともあれ、鶴ケ城へ。豪壮な天守の存在や蒲生、加藤(よ)といった西国大名が整備したという経歴からどうしても総石垣の城みたいなイメージを持ってしまっていたのですが、本丸はともかく二の丸などは土塁、あるいは土塁の上に低い石垣(鉢巻土塁でしたっけか)で構成されています。ここらへんは東北、というか東国の城だなあと。もちろん山形や米沢とは石垣の比率も、そもそもの規模も全然違いますけど。





 こっちは石垣の方。最初のは武者走りつき。



 現存・復元・模擬ひっくるめた今見られる天守の中でも数少ない5層天守の一つにして多分最北端(5層じゃなければ弘前の現存様や松前がある)。以前は黒瓦だったところ(昔私が作ったプラモデルも黒かった… 関係ないか)、最近になって解体前の姿だった赤瓦に葺き替えたとのこと。こっちのほうが耐寒力が強かったりするとか。





 同じ層塔式でも名古屋あたりと比べると装飾の少ないシンプルな天守ですが、その飾りっけのなさがむしろ独特の存在感を醸し出していると思います。なんというか、「会津」のイメージにぴったりなストイックさというか。島原城ほど徹底してはいないけど… というかあれはやりすぎの部類ですしw



 ちなみにこの城も21世紀の今となってはゆるキャラ化された上に移動要塞化されています。ああ惜しや、150年前にこの自走機能が実装されていれば、薩長軍ごとき軽々と踏み潰せていたものを……
 ……ってこのゆるキャラ、タイムボカンの総監督がデザインしただと…? 無駄に由緒あるな……





 その他の復元建物、南走長屋、干飯櫓、表門。

 ひとしきり城を回った次は飯盛山へ。知っての通り戊辰戦争の際に白虎隊が自刃した地です。山というだけあって普通に山ですが(やや意味不明)、麓からはエスカレーターというか動く歩道が通っていたり山麓に土産物屋が並んでいたり、少なくとも麓に関しては歴史的経緯を考えるとおかしいほどに観光地(よくあること)。



 こんなにもでかでかと「らくな」と書かれると連れがいたらまず見栄張って乗らなさそうな動く歩道(有料)。一人旅なので恥も外聞もなく使いました… が、エスカレーターじゃなくて斜面にそのまま動く歩道をはりつけているため、意外とアキレス腱が痛くなったりするような気も。その程度のことで文句言うのは日頃あまりに極度の運動不足状態にあるような奴だけだとはわかっていますが(笑)。



 山麓はそのように土産物屋が立ち並ぶ観光地でしたが、山頂の白虎隊隊士の墓所はさすがに別の空気に包まれていました。ただ、山頂が隊士の自刃の地ではなく、それは山頂から少し下りたところ。



 自刃の地の周囲はまったく普通の墓地。ガチ観光地の山麓→(形式ばったともいえる)鎮魂の場の山頂→生活感、というとアレだけどありふれた墓地の真ん中とまったく毛色の違う風景が一度に現れるのはなかなか変な感じでした。墓地については確かにある意味ふさわしい土地の使い方ではあるというか、徹頭徹尾観光地化されてても(いやされてるけどある意味)それはそれで非常な違和感を感じはしたのでしょうけど。この碑のすぐ横にどっかの学園の理事長だか校長だかの肖像入りの墓が立ってたりするんだよなあ…



 自刃の地より鶴ヶ城方面を望む。正面に見える森が鶴ヶ城、かろうじて天守も確認できる、はず。とはいえこの程度の見え方だったら城下の火災を落城の徴と見てしまっても仕方が無いかなあと。経験豊富なベテランならともかく少年兵達ですしねえ…



 逆に城から見た飯盛山はこんな感じ(手前ポールの後ろの山)。



 山頂に戻って。戦前の時代に「白虎隊精神に感動した」ドイツの大使やイタリアのドゥーチェ、ムッソリーニが送った碑(ドゥーチェがくれたのはポンペイの柱らしい)。大戦後進駐軍が破壊したものの一部復元されたとのこと。ただ、正直「白虎隊精神」とは一体何か、といわれるとよくわからないところはあるなあ、と思ったりしないでもなく。「たとえいまだ少年の身であろうとも祖国を守るためなら犠牲となるも辞さない精神」といったところ、でしょうか。

 …だとすれば1945年のベルリン、といった巡った因果の先がどうしても連想されるわけで、大変複雑な気分になります。イタリアはさておき。



 山頂から下って栄螺堂。東方あたりに出てきてもいいいびつさというか。



 白虎隊士がここにたどり着くためにくぐり抜けてきた洞門。もっと水量が少ないか背が高いかと思っていましたが、完全に単なる水路のようにみえます。一戦交えて敗けた上こんな狭くて暗くて水量の多い洞穴を抜けてきてさあ城は無事かと思ってみたらなんか煙が上がってる、となれば、もう終わったと判断してもそりゃしかたがないよなあ、という気も……

 なお、撮影不可なので中は撮れませんでしたが白虎隊資料館という施設もあり、白虎隊関連の資料や遺品、当時の銃砲などを展示しています。そんな展示品の中にものすごい違和感を誘うものがあったりもしました。すなわち、しょこたんこと中川翔子のサイン。ゲベール銃やらなんやらが並んでいる中にしょこたん。それも特別に場に合わせたとかそういうわけでもなく、ごく普通のサイン。

 どうやらしょこたんの父が沖田総司を演じた際の資料がこの資料館にあってそれを見せてもらった(新聞記事になってた)とかのまっとうな理由があるようですが、にしてもいきなりサインが現れたときはびっくりしました。こんなとこにそんなのあるとは思ってなかったからなあ…

 そんなところで市街に戻ってふらふら。



 市役所の近くにある蒲生氏郷の墓。上方から僻地の会津に飛ばされたことを、たとえ大幅加増を受けたとしても天下を窺う機会は遠のいたとして大いに嘆いた… などという逸話も残る氏郷ですが、実際会津に入って以降の蒲生家は正直ぱっとしないままいつの間にか消えていったという印象があります。氏郷が40で死んで以降御家騒動は起こるわ何度も大幅減封くらってあっちゃこっちゃ移転させられるわ当主が3代連続して30代とか20代で死去するわと不運のオンパレード。なまじ優秀で大封もらって要地に置かれたせいで警戒と有形無形のプレッシャーがかかった感がありありというか。むしろ他の似たような大名連中見てるとこんな状況下でとにかく4代も続かせられたことのほうが凄いと言えるかもしれません。



 現時点でおそらく一番「顔」が知られているであろう会津若松所縁の人物といえば当代のミスター千円札こと野口英世。ということで彼が左手の手術を受け、後に書生として住み込んだ医院が野口英世青春館として公開されていたり、その前の通りが野口英世青春通りと名付けられていたりと大いにプッシュされています。 …しかし、わざわざ名前の後に青春とつけてプッシュされるとか、なんというか、こう…… 確かに生誕地というわけではなく青春時代を過ごした町だということからすればある意味非常に正確な表記だとはいえ…… 青春てお前……



 と思ってたらなんかもっとすごい場所まででかでかと宣伝されていました。ご丁寧に実らなかったと明記までしてますし。 ……会津若松の人たち、野口英世のこと本当は嫌いなんじゃあ…… 私ならこんな仕打ち受けたら憤死する程度に耐え難いような(笑)。



 

 次に向かったのは七日町駅前の阿弥陀寺。葵の御紋も眩しいこの建物、もとは鶴ヶ城の御三階だったとのこと。以前は本堂として使われていたとのことで改変を受けているのかもしれませんが、あのシンプルな天守と同じ場所にあったというのも少し不思議な感じがする意匠ではあります。城の建物なんて段階的に増設されたり動かされたりするものなわけで、統一性なんてなくても当たり前なのかもしれませんが。



 この寺にはもう一つ、新選組三番隊組長、悪即斬の人こと斎藤一の墓も。 …実は会津若松には近藤勇の墓もあったりするのですが、そっちをスルーしてこっちだけ詣ってるのはええ、お察しの通りのるろ剣脳です(いや、時間的余裕とかそういう問題もありましたよもちろん)。

 さて、会津若松はこの辺にして本日の宿泊地、白河へ移動。例によって駅からすぐの白河小峰城へ(そのために新幹線駅の新白河ではなく在来線の白河駅のあたりにホテルをとる)。

 なお、白河小峰城は現在震災被害により本丸への立ち入りが禁止されています。ということで二の丸から眺めるだけ。その程度の情報はあらかじめ仕入れてから出向いた、のですが…





 ……これは、想像以上にひどいな…… 遠目にしか見えなかったものの、山頂の方もほぼ全域にわたって石垣が崩壊して山肌が露出しているように見えました。確かにこれだと安全のため立ち入り禁止とかそういう次元の話じゃないよな…… 修復には一体どれだけの時間と資金がかかるものやら……



 水堀のそばは例によって土塁の上に石垣の構成になっていましたが、ここにも崩壊こそないものの大幅な亀裂が。





 戊辰戦争で焼失後1991年に復元された御三階櫓(天守相当)。下から見た限りだと御三階櫓はじめ復元建物にそこまでの被害がなさそうなのは不幸中の幸い、でしょうか。なお、この櫓は天守(ならびにそれに相当する建物)の中では初の木造復元。近年少しづつ増えつつある外観以外も原型に忠実な復元天守の嚆矢となった建物です。木造での高層建築物復元は建築基準法の制限があるため、なんとかして例外のハードルを超えなければならない場合があるのがネックですが、最初の一つだけあってこの城の場合更にややこしいことがいろいろあったとかなかったとか(人が入らない工作物として許可を得たのに、いざできたら人を入れるようになったとか… 無茶するなあ)。



 城のそばの保健所にて。 ……一日通過するだけの西の人間には何もいう資格はないでしょう。いや、こんな写真を載せることすら、ですか……

 こんなところで日も暮れてきたので本日の日程終了。明日からは北上して、宮城へ。



 今日のおまけ。会津の萌米。

 ……会津若松といえば「ならぬものはならぬ」精神の薫陶を受けた頑固でありながらも一本筋を通す人たちの住まう地だというイメージがあったのですが、現代においては意外と思考の柔軟化が進んでいるようです。あるいは、萌え商品の発売程度は最初から「なる」部類に属する物事だったのか。そうだとしたら結構すごいぞ会津士魂。いいのかそれで。

 あ、「白虎隊」とも「娘子軍」とも微妙にずらしたネーミングをしているあたり、「良識ある方々」からのお叱りを上手いこと回避しようという知恵が見えなくもなく(笑)。



 時間的都合により本日の昼飯はランチパック。ずんだ。 …ああ、東北に来てるんだなあ、私……

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