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台湾旅行記 2日目前編 高雄 空軍軍史館 4月7日(土)


 到着から一夜明けて活動開始。今日はまず台鉄に乗って高雄郊外、岡山(昔はさておき今は晴れの国ではなくガンシャンと読む)へ。



 ホテルの目の前の高雄駅裏口。今は関係ないですが表側へ行くのが結構面倒くさいのは昨日の分でも書いた通り。この文章を書くためにぐぐってみたら、どうも高鉄(台湾新幹線)延長の可能性などもあるため現在の駅舎は仮駅舎、ということのようです。駅構内の連絡が弱いのはそれも原因か?



 岡山までは特急(自強号)で2駅、30分ほど。料金は確か49元(1元=約3円)。特急・急行([草冠に呂]?光号)・普通で買う切符はわかれ、当然料金も所要時間も違いますが、日本と比べると安く感じることに違いはないでしょう。ホームにはキオスクもあったり。



 なんか止まってた機関車。



 なんか止まってた普通。



 そして私が乗った自強号。



 上述の通り30分ばかりで岡山駅着。ここから目的地の空軍軍史館まではタクシー。駅前にたむろってるタクシーの運ちゃんに「空軍軍史館」と書いたメモを見せたら理解してくれました。料金は200元でしたが、下調べの際に見た他の人の訪問記でも同じ値段だったので、まあ、その程度なのでしょう。



 駅前にはこんな看板が。コカコーラ系列のジュースをはじめ日本と同じものはあちこちにあふれていて一々取り上げるほどでもないのですが、こういうのも輸出してるんですねえ。換金のシステムとかはどうなってるんだろう。



 空軍軍史館は空軍軍官学校(士官学校)の敷地内というか前というかに併設されており、一般開放は土日のみ。内部は撮影禁止でしたが、実物ではP-51とPT-17、あとF-104のカットモデルとミサイル類が。他には油絵やパネル展示による抗日戦や国共内戦での国民党空軍大活躍… というかもはや無双といってもいいような大勝利大戦果の図が色々。中にはそんなことあったっけか? みたいなシーンもありましたが、あまり考えるととばっちりで我が国松山上空の紫電改あたりも元気をなくしてしまうことになるので、細かくはつつかない方向で(笑)。実際のところ一時期流布していたイメージとは違って相当苦戦してたのは事実ですしね、我が国の部隊も。ともあれ、日本側、あるいはアメリカ側視点から眺めることは結構あっても国民党側から見るというのもなかなか新鮮な構図になります。国共内戦にいたっては日本だと細かい資料は(少なくとも普通の一般人である私が手近に見かけるほどには)そんなにないですし。

 館内展示の次は屋外展示。多分こっちがメイン。



 AT-11高級教練機(以下、せっかくなので漢字表記は当地のものに準じてみましょう。意味は大体わかるでしょうし)。デイトンで初めてその存在を知った爆撃手養成専用機。ただ、台湾では普通に高等訓練に使われていたこと、機首部分がガラスのコクピットではなくなっていることからすると航法訓練用のA型でしょうか(ただし説明板での表記は無印)。西暦1950年(民国39年)取得、58年退役後遼東航空公司にて改装の上運輸機(旅客機かなあ)として使用されていたようです。



 O-1G 猟鳥犬式空中管制機。台湾では前線航空統制の他沿岸パトロールにも使用。



 C-46運輸機。国民党軍の遷台後は大陸への空中物資投下や特殊作戦などの任務にも従事。実は空自が台湾から中古機を買ったりもしてるんですね。この機に限らず解説には「表現卓越」との語がちらほら見えますが、ぐぐるさんで翻訳したところExcellentとかその程度の意味っぽい。



 どの飛行機もこれでもかというくらいに頑丈に鎖で固定されていますが、台風か何かへの対策でしょうか。



 T-33A 衛星式噴射教練機。英語での愛称はシューティングスターのはずですが… …衛星? 「為本軍使用時間極久」らしいです。長持ちしたんですかね。



 F-84G 雷霆式噴射戦闘機。台湾空軍初のジェット戦闘機。でもって台湾海峡上空でMig-17を一挙に2機撃墜2機撃破の赫々たる戦果を上げたことも… っておい、F-84ってMig-15相手でも劣勢だったよな確か……



 おなじみF-86F 軍刀式噴射戦闘機。台湾海峡上空での戦いではミグ相手にキルレシオ31:1を達成… ってすげえ……(いや、片側からの撃墜数発表なんて故意に話を盛ってなくても鵜呑みにはできないとは知ってますけど) 「成為米格機之剋星」(ミグキラーとかそんな意味でしょう)と誇らしく書かれた解説がかっけえ。



 F-104 星式戦闘機。4241がA型、4344のほうがG型。星戦士式としてくれたほうが個人的には… などとどうでもいいことを思いましたが、ファイターはそのまま戦闘機の意味なので別段省略されたわけではないですね。英語圏では実はあまり使われていない(そもそもultimate manned fighterの訳として適切かどうか)らしいですが、少なくともここ台湾においては「人類最後載人戦闘機」の語が解説板にあることは確認。もっともなにか日本語の文章からの二次翻訳(そんな言葉あるかいな)という可能性は考えられるようにも思います(けどこの解説板の英文はthe last mannned fighterになってるなあ。伝言ゲーム?)。あとバルカン砲はこちらの言葉では火神砲になるっぽい。そういう直訳のセンス、大好きです。



 わかりやすく違うのは垂直尾翼の形。なお、ここに展示してある両機はどちらもMig-19撃墜を記録しているようです。また、今回は行きませんでしたが高雄にはもう1機、国立科学工芸博物館にF-104Jが展示されているとか。 …そう、型式からわかるように三菱重工製の空自仕様機。米国返納を経て台湾に渡ったらしいです。なかなかに数奇な運命だなあ。



 これも2機揃っているF-100A(0211)とF(0001) 超級軍刀式戦轟機。Fは複座の練習機型、ということでキャノピーが長め。なお、F型の方の塗装の意味については、不明(笑)。



 F-5A(1270)とB(1104) 自由闘士式戦闘機。これも実戦用と複座練習機型のセット。結構な数が量産されているベストセラー機の一つですが、同盟国にばら撒く用の機体だったためかデイトンの空軍博物館では吊り下げ展示で見づらかった覚えが。韓国の戦争記念館では普通に見た、はず。 …あ、どうでもいいけどこっちは「闘士」まで名前に入ってますね。星式と平仄があってない(笑)。



 機銃の突き出るA型。B型の機首はT-38 タロンの流用で武装なし。T-38というのはF-5の練習機型なわけですが、じゃあF-5BとT-38の違いは? とか私に聞かれてもさあ? としか…



 RF-101A 巫毒式偵察機。秀逸な当て字だと思います。 …肝心の性能性格経歴裏事情? …さあ? としか…



 一休み。ここの飛行機たちは円陣を組んでいます。一瞬ル・ブルージェの暗黒召喚儀式の間(呼び出された異形の怪物達は隣の部屋に鎮座している)を連想したりしましたが、こちらは屋外なのでそのような禍々しい気配はありません。そうそうあってたまるかあんな恐ろしい雰囲気。

 ここからしばらくは大陸からの亡命飛行士の乗ってきた米格(ミグ)群。



 MiG-15 柴把式戦闘機。正確にはbisらしい、とも。1962年に浙江路橋機場より、「反共義士」劉承志さんが乗って飛来。



 MiG-17 Fresco戦闘機。なぜかこれだけ漢名なし。1983年、王学成さんの乗機。中国は瀋(解説板では審)陽製ということは、正確には殲撃5型ということになりますか。



 RMiG-19 農夫式偵察機。頭文字は揃えるけど敢えて飛行機につけるには妙な名前を選んでつけたとも言われるNATOコードネーム、こうなると実に効いてきます。偵察型ということでRがついてますが、英語版ウィキペにあるMiG-19Rという型のことを指してるのでしょうか。あ、77年の范園?(火が森みたいな感じで3つ)さんが乗って飛来。これも瀋陽製なので正確には殲撃6型。



 なんかごつごつした背中。あとMiG各型の違いなんて今まで正直良くわかりませんでしたが、主翼上の整流板の数が2→3→1と変化してますね。



 MiG-19(殲撃6型)は他にも数機置いてあります。40208は1987年飛来の劉志遠機、40307は1989年の蒋文浩機。



 MiG-21 魚床式戦闘機。正確にはやっぱり中国製の殲撃七型。1983年に韓国の基地に亡命してきた機体… と同型の機体、とは書いてあるようですが、この機自身の来歴は解説板では触れられていないようです。



 ラウンデルは1951年から90年までのハンガリー人民軍のもの。なんでそうしてるかは説明なし。



 米格だけじゃなくて爆撃機も。IL-28 小猟犬式軽型噴射轟炸機。ウィキペに書いてある1965年に亡命して乗員3人のうち1人が追撃を受け死亡、残った2人には金塊35kgが与えられた、というのはこの機のことでしょうか。なお、3人の名前は李顯斌、李才旺、廉保生ですが、誰が死亡したのかは不明。





 爆撃機のとしては妙にスマートな胴体。どことなく徳国のAr234に似た印象を受けますが、1948年初飛行ということはパク… 影響されてたりするのでしょうか。



 台湾空軍機に戻って。HU-16 信天翁式水陸両用機。グラマンはこちらの表記だと格魯曼。



 グラマン名物の脚引きこみメカニズム。支柱収容のための溝がなんかステキ。



 捜索救難任務に使用されたということでしょうがこの装備はなんでしょう。ブイとかそういうの? それとも爆雷?

※追記:夕撃旅団−改のアナーキャさんに、「RATOではないか」とご教示いただきました(参考画像:Pictures From Other Sourcesの真ん中くらい)。ありがとうございます。こんな中途半端に見える場所につけるものだったんだ…





 B-26 入侵者式軽型轟炸機。道格拉斯(ダグラス)社製の米名だとインベーダー。B-26は類別変更によってA-26から転じたこの機とマーチンのマローダーが併存していてややこしいです。



 この展示場に来たのは今年の2月、オレゴンのClassic Aircraft Aviation Museum(知らない博物館ですがここですかね? なんかイベントページなど見るとサイトの更新が2010年で止まってるぽいので台湾側が贈った飛行機はわからない…)との機体の相互寄贈によるとのこと。1954年に米国が中国大陸の情報収集を行う目的で空軍特殊作戦部隊に提供、対中秘密偵察任務を行う第34中隊「黒蝙蝠中隊」で活躍、その後1960年に退役して米国に返却されていたものが再びこの地にやってきたとのこと。対中偵察から敵後電子反制(electoric countermeasure:要は電子戦?)、空投など、なかなかハードな任務に従事していたようです。ところで、解説板の英語パートだけに"All B-26 aircrafts were decomissioned in 1996"の文が見えたのですが、この機体ってそんなに長生きでしたっけ…? 民間機も含めてとか、そういうことか…? 

※追記:これもアナーキャさんのご指摘により1969年の誤記ではないか、とのこと。英語うぃきぺを確認するとコロンビア空軍が1980年、米州兵が1972年とはあるものの米軍からは1969年に退役しているため、この事を指しているようです。しかし、英文ウィキペには1976年にインドネシアが東ティモール侵攻に使った、という文字も見えたような。それが本当なら他にもベトナムやキューバのピッグス湾やコンゴ動乱と合わせ、なかなかに凄絶な参戦経歴のある機種ということに。 …というかCIA御用達?



 ふと軍史館の方を見ると、後ろになにやら監視塔っぽい建物を見つけたり。

※追記:更にアナーキャさんより、燃料もしくは水のタンクではないかとのこと。





 円陣の中心側に並んでいる機体達。C-123 供給者式運輸機。美国 北美公司(ノースアメリカン)製と書いてありましたが、確かフェアチャイルドだったよな、この飛行機…

※追記:この機も「特種任務」従事機。でもってここでいう「特種任務」はCIA絡みではないか、とやっぱりアナーキャさんより。U-2持ち込んでる時点で、ではありますが、この島に随分色々持ち込んで蠢いてたんですね、CIA。



 T-28A 啄木鳥式教練機。こっちこそ真に北美公司製。ここまでずっと直訳調だった愛称が、なぜかこの機だけ元とはかけ離れているような。それとも単に私が知らないだけでちゃんと意味は繋がってる?





 C-119 空中車廂式運輸機。双胴。



 台湾国産のPL-1 介寿号教練機。名前の由来は初飛行が1969年の蒋介石総統82歳の誕生日だからだとか。うぃきぺによると国産ではあるものの元はアメリカ製(ハンガリー系技師設計)のホームビルト機をエンジン積み替えてライセンス生産したもののようです。



 ACH-1(TCH-1) 中興号攻撃教練機。T-28を元に開発した台湾初の国産機。初級飛行訓練機のくせに1450馬力も出せるのはどこかおかしい気もしますが、最初から簡易攻撃機としても使うつもりだったのなら理解できます。



 なんというか、随分逞しいダクトだ…



 C-118 舉重霸王式運輸機。スペシャルフライト任務に従事、って要人輸送でもしてたのでしょうか。美国のエアフォースワンでもあったことですし。



 AT-6教練機。おなじみテキサンですが愛称直訳はなし。トロジャンといい練習機系の「〜人」はわけわからなすぎて省いたのか? でもそんなの今更だよなあ。



 星式戦闘機、もう1機いました。C型を複座練習機型にしたD型。



 これもさっき姉妹機の自由闘士式戦闘機を2機見た、T-38A 利爪式教練機。F-5は同盟諸国バラマキ用でしたがこちらは米軍でも愛用。台湾はベトナム戦争中に21機のT-38Aを受け取りましたが、実はそれは南ベトナム軍で不足していたF-5を50機ばかり補充用に渡してやった見返りだったりします。しかも1985年にはこれらのT-38は返却しているという。 …ジャイアンと付き合うことの悲哀だなあ…



 C-47 空中列車式運輸機。敵味方問わず大いに使われた機体だけにここにも。



 S-2E反潜機。トラッカー。76年に導入され、93年にS-2Tに改装。今も運用中?



 U-3A連絡機。台湾には黒猫中隊U-2とともにやってきて部隊の発着訓練に供されていたとか。番号一つ違うだけで恐ろしく性格の違う機材が一緒に来たものですね。



 最後はB-720 中美号。総統や政府高官専用機。1971年から1991年までの間にこなした任務の数は306ソーティー、うち7回が海外渡航。かなり少ないですが、そもそも国交のある海外が少ないですしねえ、この国は。



 あ、あとM1A2/M2A3式40公厘高射砲。公厘=ミリ。

 これで空軍軍史館並びに屋外展示場は終了。駅に戻る前に、実は待ってもらっていたタクシーの運ちゃんに頼んで岡山にある目的地をもう一つ。



 着いた先は岡山寿天宮という寺院。実はこの場所は日本統治時代の岡山神社跡。



 建物は完全に中国風のものになっていますが、狛犬は当時のものが残っていたりします。



 台座は新調されたものっぽい。





 前の駐車場にあった移動式寺院というか屋台式寺院というか…



 この車もその一部、かな?





 寺院の内部。実はどういう寺院なのかはぐぐってもわからなかったので未だに知らなかったりします。



 さて、では駅に戻りましょう。



 駅の張り紙。韓国でも思いましたが、日本以外の東アジア諸国って潜在的、あるいは建前上今でも戦時なんですよね… それだけ未だ緊張感のある地域において一国だけ気が抜けた状態でよく今までなんとかなってきたというか、これからもそううまくいく保証なんてやっぱどこにもないよなあというか。



 岡山駅の売店にて。街中の専門店じゃなくて普通の町の駅の売店でも売ってるんだなあ。しかも漫画だけじゃなくてラノベまで。



 高雄への帰路は急行で。飛行機祭りのおかげで長くなりましたので、一旦ここで分割しましょう。

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