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ばっくとぅとっぷ


台湾旅行記 2日目後編 高雄 4月7日(土)




 はい、というわけで高雄駅まで戻って来ました。こっちが駅の表側。ここからはしばらく街の中をふらふら。



 駅前で見かけた軍の宣伝。昨日この街には軍の広告が多いなあとか言ってましたが、この一枚はなんか異質。台湾軍ェ……



 飲酒運転は死神の伸ばした手な上に仮に死ななくても刑法で罰せられるよ、的な告知。実に直接的な表現です。



 1940年建築、帝冠様式の旧高雄駅舎。現在は元あった場所から80mほど動かされて、高雄願景館という資料館に。ただしどうやら閉館中。



 ちょうどいい時間だったので昼飯。異国旅行中一度は試して見ることにしている当地のローカルメニュー挑戦、私内呼称でいう攻めのマクド。これが一回の旅行中二度三度となると色々悲しいですけど(笑)。このメニューは甘辛いチキンでした。日本でもありそうな味でしたが、ほんの少しだけ当地特有なスパイスの香りも。



 マクドの列に並んでいた少年、の持ち物。彼のグループには他にも灼眼な釘宮さんのカバンを持った少年やどう見ても同人モノなうちわを持った少年などが。他にも駅前を歩いている猫耳ハルヒコスの女の子とか、地下鉄内で我慢しきれずに薄い本を読みだした黒執事バッグを持った女性などをこの日目撃することになります。 …すげえな、台湾……



 後で見つけたのですが駅前にこのような店が2軒ほど。ここらへんが元凶か。



 こっちのハッピーセット(正確な名前までは知らん)のおまけ。かの青狸氏はこちらでも人気。



 今は市立歴史博物館になっている旧高雄市役所(1939年建築)。これも帝冠様式ですが微妙に中国風テイストも混ざっているような。和洋中すべての様式の統合体… ただのカオスとかいっちゃいけません。

 次はバスに乗って、市街東側の山にある高雄忠烈祠へ。そのものずばり忠烈祠というバス停で降りますが、バス停からは山の中の舗装された道を10分強歩きます。



 バス停のすぐ前にこういういかにもな階段がありますが、多分これは罠。最初はこちらに進んでみましたが、必死こいて階段を登った先には民家っぽいような廃屋っぽいような建物があるだけでした。更に進んだら裏口に出た、という可能性もないではないですが。おとなしく標識がある方向へ進みましょう。



 忠烈祠前の道には宗教施設が点在していますが、それらには惑わされずにずんずん進みましょう。



 日本人的にはなんだこりゃと思うようなものもありますが、ずんずん進みましょう。



 動物園側がきた道。軍区、ということは先には軍用地があるのでしょうか。



 高雄忠烈祠、到着。ここも高雄神社という神社の跡地。



 もちろんこの狛犬たちは日本時代からのもの。



 少し下ったところには鳥居を改造したと思われる門が。



 狛犬前に残っているこの石柱も、上の飾り以外の部分は昔からのもののようです。



「大東亜戦争完遂」「佐賀県」などの文字が残っているのが見えますね。



 ここちょっと消えてますね。25番という…… 数字が入っていたわけではなく、「奉献」とかそんな感じでしょう。なんで奉献の文字が大東亜戦争云々よりも徹底して消されているのかはよくわかりません。



 雨のせいで恐ろしく滑る石段(これも当時のものか)に気をつけつつ門まで。





 境内。



 雨に烟る高雄市街。さて、では市街へ戻りますか。



 達人なお医者さんが見てくれるのなら実に安心です。自称している時点で大いに信用ならんという説もありますが。



 高雄市内を流れる愛河。この川の英訳を堂々とLove Riverにしてしまう度胸には、なんというか頭が下がります。



 漢字文化圏というのは文字見ただけでなんとなく意味が取れるのが素晴らしい世界ですが、各国の用法における微妙な差異が大きな誤解を生み出すこともあってそれもまた面白いものです。私も明日からチャリやバイクに乗っている時は「俺は今騎士なのだ」と思うことにしましょう。



 木桟道上での焼肉禁止。昔吉田の大学構内ど真ん中で見た「この付近でのバーベキュー禁止」を思い出して懐かしくなります。というかそもそもよりによって通路上で焼肉するのは邪魔だよなあ、通行の。



 愛河河口にあるから真愛碼頭(Love Pier)。もうやだこの街…



 埠頭にきた理由は当然船に乗るため。 …ですが、港湾を一周して戻ってくる遊覧船についてはどうも存在する(した)らしいものの、ぐぐっても確たる情報が得られなかったので対岸の旗津輪渡までのフェリーで妥協。





 15分、40元ほどの行程ですが軍港は遠目に見えます。本当に遠目で艦の識別までは難しいですが、1803の番号が見えるということはキッド級ミサイル駆逐艦「左営」がいたことは確か。



 客船っぽい船。



 かなりボロっちい船体にアンバランスなマスト。ぐぐったらバヌアツ船籍のマグロ漁船が出てきました。こんな高い見張り塔つきなんですね、マグロ漁船。



 この船のマストもなかなか。



 コーストガードのカッター。



 市街対岸の旗津半島にある旗津輪渡着。ここからはもう一つ、市街側の鼓山輪渡へ向かうフェリーも出ています。こちらのほうが発着頻度も高く所要時間も短く金額も安く、純粋な交通目的でいうならメインルートということになります。というわけで乗ってみましょう。どうせ5分、12元ですから。



 混みあった航路だなあ。



 港の入口を守る灯台。



 出港するコンテナ船。もうしばらく進むとザッザッザという効果音とともに街マップとフィールドマップが切り替わり、街マップの中にいる我々からは急に見えなくなります。実は切り替わる直前に一番外側の防波堤に乗り付けられる場所があって突き当たりの床を調べるとちいさなメダルが落ちていますので、回収を忘れずに。



 鼓山輪渡着。フェリーの一階は二輪車用になってるので、船からどんどんバイクが出てくる。



 実は見たいのは旗津半島側なので再びフェリーで引き返さないといけませんが、いい加減疲れてもいるので一休みしましょう。というわけで台湾名物フルーツてんこ盛りのかき氷。右側に見える赤くて丸いの、葡萄かと思ったらミニトマトでした。こっちではフルーツの扱いっぽい。





 やっぱこういう店の日本語はこうでなくてはいけません。

 一休みして回復したので再びフェリーへ。



 謎の力士とか謎の船名などを眺めつつ。「の」はあっちゃこっちゃで使われてるから別にいいとして、漢字と英語との間のつながりがいまいちよくわからないような。



 …何かぶってるんだ、あれ…?

 旗津半島に戻って来ました。商店街をぶらぶらしつつ、目的地を目指しましょう。



 広島の人が見たら憤死しかねない光景。



 うしろの猫型ロボットや前のぱんだも気になりますが、それ以上に上の文字が非常に気になります。殺伐としたスレに鳥取県が!!のAAを見ている気分というか。



 ド派手に装飾された焼却炉。隣にたってる寺のものっぽいのでお焚き上げかなんかに使うのでしょう。 …実は普通にごみ焼却用だった、とかだったら笑うな。



 なんか思いっきり路地の中に迷い込んでいるようにも見えますが、これで正解ルート。



 ブイで作ったハリセンボン。



 この崖の上にさっき船上から見た旗後灯台と、あと清代に建設された旗後砲台があります。というわけで砲台側から登ってみましょう。



 頂上までの道中にも弾薬庫と思しき横穴があったり。



 鎖もついてない犬の皆さんがおられてちょっと怖かったですが、前を通過する人間たちにはまったく関心を払わず気だるげに寝ておいででした。アジア的光景ですねえ。





 この砲台は1874年の台湾出兵を受けて強化され、日清戦争では我が「吉野」「秋津洲」他からの砲撃を受けたとのこと。その際砲台の指揮官はさっさと逃亡していたため、わずか5発の砲弾を放っただけで占領されたとか…





 砲台の構造は長方形、中央部に向かって数段高くなっていく感じ。





 見晴らし良好で気持ちいい為か、もう夕方なのに結構人がいました。あまりに開放的すぎて防御力的にはどうなんだろうとも思いますが、山上なので結構仰角かけて撃たないといけなかったりするから大丈夫なのかなあ。



 漁業用のレーダーのむこうに遥かバシー海峡を望む。なるほど、交通の要所なんだなあ。 …ここを封鎖されたらそりゃ南方との輸送線確保なんて無理だわ…





 全体としては西洋風なのに門のあたりには中華テイストが入っているのがまた面白いです。我が国の幕末〜明治初期あたりの洋風建築も我々は気づかないだけで外から見たらこういった日本ローカルな風味がプラスされているように見えるのでしょうか。



 では、遊歩道を通って灯台の方へ。





 途中には年代不明のトーチカやトンネルらしき穴があります。



 灯台には着いたものの残念ながらもう閉まってました。これも日本統治時代の建物。



 あ、あんな所に巨大仏。しかも金色。



 しばしして下山。再び路地の道を行きます。



 とある民家の前で夕飯を待っているかと思しき御猫様達。





 しばらく歩くと、なにやら縁日っぽい感じになっているお寺とその前の道に出ました。



 お、金魚すくい。台湾にもあるんだ。



 ちょうど屋台の真後ろですがこの池の魚は掬ってはいけません。 …無理か…



 さっきの三角コーン帽子、ここで売ってたんですね。



 ということで鼓山輪渡まで帰ってきました。更に本土側に帰って裏道をふらふら。



 謎の水売りロボ。このあと台南でも同型機を目撃。全国、少なくとも南部諸都市には展開してるのか…?



 檳榔売りの看板。台湾といえばそこかしこで檳榔売ってる(あるいは昔は売ってた)というイメージがあり、実際町のあちこちの角に店はありましたが、見た感じ買ってる人は殆ど見かけませんでした。単に時間帯や私が見た場所の立地とかの問題かたまたまか私の注意力の欠如か、それとも今となっては過去の風習となりつつあるのか。



 何の変哲もない家屋の一角が寺になってるのもですが、ピンクの蛍光灯(というかネオンサイン?)というのも面白いなあと。



 街角でゲーム(賭け?)に興じるおっさんたち。実に中華的光景。

 ほんの僅かでしたが路地裏探索を切り上げ、移動。そろそろ晩飯を食いましょう。



 無闇に綺麗な地下鉄美麗島駅をでて、目指す先は六合国際観光夜市。



 毎日が天神さんの縁日のような活気。ただし、溢れる香りは見事なまでにアジアンテイストな香辛料のもの。慣れない人は慣れないよなあというようにも思いましたが、この時点で空腹の極みにあった私にはそんなこともないのでした。



 蒋父子とか張学良のDVDってちょっと欲しいなおい。



 ハードル高いを通り越して三階建てくらいの高さになってる店。



 本国では無理… いや、実はいまだそれなりにそこらに出てるような気もしますが、こういうノリの店(笑)。

(アカン)

 …うん、その、すみません。時々直球のビーンボールを投げたくなる時がありまして…

 そして最低の写真を撮ったあたりでカメラのバッテリーが枯渇。最低です。色々最低です。そういや今日は午前中は飛行機撮影しまくってたからなあ。普通に街歩きしてるだけじゃなかったんだった。

 ということで写真はありませんが、結局夕食はなんか牛肉が乗ったラーメンっぽいものと水餃子などを適当に。ええ、屋台なので指差し注文できるようなメニューがないため、可能な限りシンプルなメニューで営業している店を選んだ結果だったりします。あと食べ物は名前の漢字見ただけでは一体どんなものが出てくるのかよくわからなくてリスキーなので、できるだけわかりやすいもの、ということで(笑)。正直なにを食うか、なにが食えるか迷いまくって決断するまで夜市を3周くらいしてしまいましたが、食ってみるとなかなかいけました。意外となんとかなるもんだ(でも蛙とか臭豆腐とかはかなりてごわい)。

 腹ごしらえもしたのでホテルに帰還。行動初日からだいぶ動いた、様な気がします。明日も高雄を見て回った後、夕方に台南へ移動予定。



 おまけ。岡山駅で買った軍事雑誌。中身はまだじっくり読んでない、というかはたしてまともに読めるのでしょうか、私に。



 おまけその2。なんだかよくわからない言葉の書かれたドリンク。誰か解読してください(笑)。あ、味の方は普通のオロナミンC系でした。

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