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ばっくとぅとっぷ


今日の埼玉日記 5月2日(木)


 川越のホテルで起床。まずは川越城に向かいます。川越城は各鉄道会社の駅からは微妙に離れていますが、今日は時間的制限がけっこう厳しいため早朝からタクシーを使って行動。開館時間も9時からなので中を見るのは諦める方向で。しかし、この町の鉄道は西武の本川越、東武の川越市、JR・東武の川越と駅が微妙に離れてるんだよなあ。ヨーロッパなんかでは普遍的なスタイルというか、日本のあらゆる路線が一箇所に集約されるスタイルのほうが世界的に見たら珍しいという話も聞きますが、やっぱり一箇所でスムーズに乗り換えられる日本式のほうが便利だよなあと思ったり。



 川越城本丸御殿着。すぐ目の前まで道路があるというか、この建物だけがぽつんと残っている感じ。ただ、本丸御殿(の一部。玄関と大広間)が残っている城というのは全国的に見ても非常に希少で、特に大広間が残っているのは川越城のほかは高知城くらいしかないので、重要な城であることは確かでしょう。まあ、そうはいってもあえて百名城に入れるほどか、といわれるとちょっと疑問もないではないですが。本丸御殿自体も建てられたのは幕末の1848年で滑り込み感がありますし。



 ちなみにこの建物は、維新後入間県県庁や入間郡交会所、武徳殿、中学校舎や体育館として使われていたとか。





 城内にあった三芳野神社。わらべ唄「通りゃんせ」発祥の地らしいです。ってなんか今となっては「通りませ」な歌のほうが先に思い浮かんでしまっていけません。そんな境界線上。



 現状の参道はあんまり細道という感じではないですね。



 三芳野神社境内にある土塁。下のほうの石垣は後世のものでしょう。





 三の丸跡にある富士見櫓跡。城内最高所であり、天守代わりの城のシンボルでした。今はこんもりとした丘になっていて、富士山を見ることはできず。



 名物道灌まんじゅうの店の軒先に立っていた白うさぎ。 …微妙に怖い?





 中ノ門堀跡。2008年に復元された堀跡。門のほうは復元というよりは模擬っぽいような気がします。これも開いている時間は9時からなので門から覗くだけ。しかし、ただの堀跡に開園時間を設ける意味ってあるんでしょうか。別に入場料を取るわけでもない(むしろこれで取ったらすげえ)のに。



 西大手門跡付近にある川後市役所、の前に立つ太田道灌像。





 帰りはそこそこ余裕があったので駅まで25分ほど、のんびり歩きます。川越といえば、城本体よりもこの時の鐘と蔵造りの町並みのほうが有名かもしれません。





 落ち着いた実にいい町並みですが、ちょうど通勤通学の時間帯に重なってしまったので一人だけだらだら歩くわけにもいかず。かといって真昼間に来たらそれはそれで観光客だらけだったのかもしれませんけど。



 あ、川越はこの作品の聖地だったんですね。なんか行く先々のあちこちが聖地と化しているなあ。 …まあ、その中でも大盛り上がりしてるのはやっぱり少数… というか大洗が豊郷あたりと並ぶ最強クラスのレジェンドなので比較するには少々分が悪すぎるところがありますか。



 川越市の姉妹都市までの距離と方角を示す標識。Salemってもしかしていあいあな感じのあの街か、と思って後で調べましたが、そっちじゃなくてオレゴン州のほうの街なんですね。よかったよかった。 …なお、マサチューセッツのあの街の姉妹都市は東京都大田区の模様。 …あっ…



 西武の本川越駅に戻り、所沢の航空公園駅に移動。日本航空発祥の地だけあって、駅の形も複葉機を模してるんですね。



 駅にあるカフェの名前もアンリ・ファルマン。日本で最初に飛んだ飛行機の名前を冠しています。



 地元の酒の名前も安里春満(あんりふぁるまん)。 …これは微妙に無理があるようなw





 駅を出てすぐYS-11がお出迎え。戦後初めての国産旅客機。実物を見るのは初めてだったりします。この機体は見ての通り、今はなきエアーニッポンで使用されていたもの。サブタイプはYS-11A-200、機体番号はJA8732。



 エンジンナセルの形がなんか面白い。





 航空自衛隊入間基地で使用されていたC-46A。何度見ても丸っこい機体だなあ。



 所沢航空発祥記念館。全体がジェットエンジンの形をしているのが面白いですね。 …もし中もエンジン風の構造で、客でいっぱいの時にあのタービンブレードが全力で回ったりしたら地獄絵図になるだろうな、とかふとどうでもいい恐ろしいことを。



 全木製を通り越して全草製の世界的に見ても珍しい機体ですが、この駐機姿勢は離着陸時の前方視界をガン無視していて侠気ありすぎですね。主脚と車輪の収納スペースあたりも検討すべき点が色々ありますが、深くは考えないほうがいいでしょう。



 この博物館に来た理由は言わなくてもお分かりでしょう。チノのプレーンズ・オブ・フェイムから里帰りしている零戦52型! 昭和19年にサイパンで鹵獲されたもの。



 世界で唯一オリジナルの栄エンジンで飛行できる機体、ということですが、逆に飛行可能状態を維持するために多くの部品を新造したりしているらしいです。そりゃまあエンジンだけじゃなくて機体も経年劣化しますしねえ。飛ばすことを優先するなら致し方ないところか。





 そんな事情はさておき、零戦はやっぱりかっこいい。かっこいいというか、理屈じゃない。どんな飛行機を見ても結局はこれに帰着するというか、零戦こそが判断基準であるというか。いうなれば正統派幼馴染系メインヒロインというところ。



 九八式射爆照準器。少し暗いものの、覗きこんだらちゃんと照準が浮かび上がりました。



 …残念ながら写真に収めることはできませんでしたが。



 零式艦上戦闘機52型 中島第5357號機。







 うん、いいなあ。



 吹流しを曳航して飛行するミニ零戦。射撃訓練中でしょうか。 …って吹流しはともかく鯉のぼり撃ったらあかん。





 惜しむらくは日本機特有のノルナフムナオスナオスナヨゼッタイオスナヨの表示が消えちゃってることでしょうか。あれがないとどうにもしまらないようにも(笑)。





 零戦以外の機体もざっと見ていきましょう。T-6G テキサン。零戦がカリフォルニアに帰ってしまうと、この機体が再び影武者を務めることになります(なりません)。





 シコルスキー H-19。あっちこっちの博物館で見かける機体。前から見るとカバかなにかみたいな印象ですが、上から見るとちゃんとスマート。トンボっぽいようにも見えます。





 厚木基地の土中より発掘された火星エンジン。一式陸攻用の二一型か。この歯車の部分がなんか気に入りました。





 バートル V-44と解説板にはあるものの、パイアセッキ H-21のことっぽい。ウィキペを見ても唐突にV-44の名前も出てたりして、私ごときにはよくわかりません。とりあえず胴体の曲がり方から「空飛ぶバナナ」などとあだ名されているようですが、私はいつも煮干しを連想したり。





 YS-11のコクピットシートなど。売り物。





 セスナT310Q。本田航空の使用機。胴体には堂々たるHONDAの文字が。





 T-1B-10。戦後初の国産実用機にして初の国産ジェット練習機。25-5856号機だそうです。





 パイパー L-21とビーチクラフト T-34 メンター



 川崎 KAL-2。戦後川崎の作った連絡機、1954年初飛行。T-34との競争に敗れ、採用には至らず。試作の2機のみが制作され、その2号機がこの機体。



 ヒューズ OH-6J。丸っこい。かわいい。



 スチンソン L-5。自衛隊の前身、保安隊で使用されていた連絡機。





 HU-1B。現用機でどこでも見られるからといって微妙に展示の扱いが悪い機体。横半分パネルで隠されてるって…



 飛燕のハ-40。こうして外見だけで見るといかにも星型エンジンのほうが複雑怪奇そうなのになあ。



 長岡外史中将。日本航空の草創期に貢献した、日本軍にスキーを導入したなどの新しいもの好きな面が伝えられる一種の名物男ですが、写真を見るたびにこのおっさんが実際に目指していたのは中将自信の自力による飛行だったのではないかと考えてしまいます。主にヒゲが。スキーも要は滑走により大空へ羽ばたくための手段として広めたような。



 ニューポール81E2。埼玉県の河原に不時着後、近くの寺に70年間も保存されていた機体。寺にずっと眠っていた飛行機とか、情景を想像するとなかなか面白いものがあります。



 帝国陸軍初の単葉戦闘機、九一式戦闘機。農家の納屋に保管されていた唯一の現存機だとか。 …意外と変なところに眠ってるもんですねえ、飛行機。うちの屋根裏からも出てこないかしらん。修復前の状態で、しかもガラスケースの中に入っているので撮りにくい事この上ないですが、重要航空遺産として発見時の状態のまま保存する方針だということなので仕方ないのでしょう。 …わりと日本国内で見つかった機体はそんな扱いになってることが多い気がしますが、どうなんでしょう。確かにそういう考え方の重要性というか、遺物や遺構の保護という意味では文句のつけようもない正論なのかもしれませんが… そうはいってもやっぱりなあ。せっかくこの世に残ってくれているんだから、かっちり修復して完全な姿を見せてほしいという気持ちは抑えられないというか。修復資金も修復技術もないとか、そんなところも影響してるんだろうけど。

 所沢からはこの辺りで離脱。次の目的地は武州鉢形城。一旦本川越に戻り、今度は川越市駅から東武東上線に乗り換えて寄居へ。寄居駅から城まではやっぱり歩いて25分程度の距離があるので、ここもタクシーを使って金の力で対処。地図などがもらえたりする鉢形城歴史館は駅から見て裏側にありますが、歴史館を起点に城跡を縦断して駅に近い方の出口に下りてくるのが効率がいいかなと思ってそのように行ってもらう。





 北条氏の秩父支配の拠点にして上野方面への出撃拠点、鉢形城。荒川の崖の上に築かれていますが、形態としては平山城… というより限りなく平城に近い感じ。ご覧のとおり綺麗に整備されているのですが、一部ではその整備の方向性を不安視する向きもあったりなかったり。確かに「史跡」公園というよりは史跡「公園」の方に重点が置かれている感じは否定できんなあというのが率直な感想ではあります。というか、そもそも城跡のど真ん中をそれなりに交通量のある車道が貫通してるんだよなあ…





 そんな感じでいろいろ意見のあるところではありますが、二の曲輪から三の曲輪、さらにその外側にかけての堀の規模は文句のつけようがありません。しかも現状は「安全面を考慮して」あえて浅めにしか復元していない(ここらへんがいろいろ言いたくなるところである)状態でこの規模。本気モードだったらどれだけの防御力を発揮したことでしょう。



 伝逸見曲輪あたりの堀跡。かつては水堀というか沼状になっていたのでしょうか。



 今も一部の堀は水を湛えています。



 雄大な規模を誇りながら、締めるべきところはしっかり閉塞しているといた感じの土橋。





 大手。







 ここには三段の石垣土塁が復元されています。 …が、この石垣、各上辺がコンクリートで塗り込められてるんだよなあ…



 復元四脚門。







 三の曲輪にも石垣土塁が復元されているのですが(略)。こういう所でヘンな方向に気を使ってるのがなあ… もちろん公園化するとしたらある程度は安全面に配慮した対策を設けないといけないものだとは思いますが。 …思いますが、こういうところよりもだだっ広くて子供が走り回りたくなりそうな公園内に車道を思いっきり通してるんですよね。まずそっちからなんとかすべきなような。



 地図には復元四阿と書いてある建物なのですが… 四阿か、これ…?





 二の曲輪と伝辺見曲輪の間の馬出。ここの鋭く深い堀はなかなか気に入りました。



 …土塁を土のうで作っていたり、しかもそれを隠すつもりがあんまりないあたりは目を瞑ってきおましょう。



 馬出の土留めの石垣。





 行き届きすぎるほど整備が行き届いた二の曲輪、三の曲輪とはうって変わって、本曲輪、伝御殿曲輪のあたりはまだ手が付けられてない感じ。これから整備する予定なのでしょうか。 …それとも途中で資金が… 





 最後に対岸の玉淀河原に下りて、城を見上げてから寄居駅に帰還しましょう。なるほど、城内は平坦でもこっち側から見たらかなりの要害だなあ。

 寄居駅からはそのまま都内某所の伯父宅へ。そのまま伯父宅に泊めてもらってこの日は終了。今回の旅行では百名城のうち北関東の諸城を一気にクリアするという大戦果を上げることができました。だいたいどの地方も1つか2つずつ取りこぼしがあって、それがそろそろネックになりつつあるのですが、このあたりはその心配がなくなったのがなにより。これで100城中66城訪問、いよいよあと3分の1です。



 おまけ。航空発祥記念館で零戦グッズを5000円分買ったらついてきた、零戦の使用済みエンジンオイル。希少価値があるのかどうかはよくわかりませんが、そう言われたらつい色々買ってしまうものです。おかげで零戦Tシャツとか無駄に2着も買ってしまったり。



 寄居駅前の観光案内所で買った地酒「氏邦」。言うまでもなく鉢形城主北条氏邦の名前からとっているのでしょう。北条四兄弟とか結構好きだったりするので少し嬉しいのです。 …氏政氏規はともかく氏照と氏邦のキャラとか、いまいちどんな感じか掴みきれてないけどな。



 今時は高校も人集めに大変ですな。 …で、この子は廃校の危機の際には弓道部の傍らスクールアイドル活動とかするんです?

今日の帰宅日記 5月3日(金)


 この日は特に写真に撮るべきほどの事象もなく。伯父の家で昼前までうだうだして、そこから新幹線で帰宅したのみ。新幹線が好きな従姉2の息子(と従姉2)がわざわざ入場券を買って東京駅のホームまで見送りに来てくれたくらいでしょうか。しかし、うっかり今日から世間が連休後半に入るのを忘れていました。まさか指定席全滅とはなあ… とりあえず予定の便より1時間遅らせてなんとか自由席に座れましたけど。

 本当なら掛川城か駿府城に寄り道して帰りたかったものの、あまりの混雑を見てさっさと断念。まだ日が昇っているうちに自宅に帰って旅行を終了したのでした。

 今回の旅行による日本百名城達成度 66/100

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