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ばっくとぅとっぷ


今日の函館日記 6月23日(月)


 試される大地、初日。本当はこの日に松前まで行くつもりだったのですが、案の定前日の脱線事故からの復旧がまだなされていないようなので、翌日に予定していた函館市内での作戦行動と入れ替え。念のためみどりの窓口で聞いてみたら翌日分の特急券は予約できたので、たぶんこれ以上の被害はない、と思いたい、のですが…
 実は函館には高校生の時に一度来ていてむしろ松前を片付けるのが本命なので、これでやっぱり駄目でしただと結構悲しいんですよね。頼むぞ…



 …まあ、心配しても仕方ありません。とりあえず朝飯にしましょう。函館に来たからにはもちろん、好物のいくらをがっぽがっぽだぜいえい。





 腹ごしらえのあとはいきなり朝市で土産物を購入・発送、ふらふらと青函連絡船・摩周丸などを眺めてから行動開始。まずは五稜郭近くのホテルで電動自転車を借りていきなり郊外へ。



 五稜郭からチャリで北方に30分ほど走った先が目的地、四稜郭。案内図を見ての通り、四隅に稜堡があるからそんな名前がついています。箱館戦争の時に旧幕府軍が築いた、五稜郭の出城… というか野戦陣地ですね。



 近所の農民まで動員して三日三晩で急造された(そして数時間で陥落した)にしては保存状態は良好。 …ただし、この城の見どころは現地の写真というよりはグーグルマップとかで上から見た姿ですね(笑)。



 稜堡部分のアップ。つくりとしてはぶっちゃけ簡素です。





 一応、出入口のところだけは枡形というかクランクが形成してあります。



 稜堡外側を巡る空堀。深さは自然に埋まってしまうから仕方ないとして、この幅では… と思ったのですが、もしかしたら障害物としての空堀というよりは味方兵士が入る塹壕なのかもしれません。そうだとしても現状では伏せ撃ち、当時でも膝撃ちくらいまでにしか対応してなかったようにも思えますが。



 四稜郭から離脱、五稜郭タワーを目印に適当に南下している最中に通過した神山稲荷神社。かつてこの地にあった神社は稲荷神社ではなく東照宮で、四稜郭と五稜郭の連絡を確保するために、中間に当たるこの神社に台場が設けられました(権現台場)。
 …でもって決戦の際にこの台場が陥落したことで退路を断たれることを恐れた四稜郭の兵は速攻退却、上にも書いたとおりわずか数時間で陥落してしまうのですが。今は写真の鳥居が当時のまま残っているほか、土塁が一部残っています。



 権現台場からさらに南下、五稜郭に戻ってきました。…しかし、裏口のあたりだけ見ると普通の日本の城みたいですね。



 とはいえ、石垣の積み方は落し積みっぽくて築城年代の新しさを物語っています。



 稜堡部分を内側から。さすがに四稜郭とは規模が違う。



 以前来た時から気がつけばもう15年、その間に箱館奉行所の建物が復元されていました。



 奉行所の中は例によって函館近辺の歴史とかの展示がなされているわけですが、その中で一つ衝撃的だったのがこちら。幕末あたりになると迫り来るロシアなどに対処すべく、幕府は東北諸藩に蝦夷地を分有させ、その警備と開拓を分担させた… ということまでは教科書とかにも載ってるので知ってる人も多い話として、その具体的な分担地図。こうやってどれだけの範囲を各藩に押し付けたか図示されると、もう罰ゲームとしか思えません。特に会津・仙台・庄内の三藩、これ「死ね」って言われてるんじゃあ…(とどめに会津には京都市中警固のくっそめんどくさいお役目がついてる)
 こんなほとんど嫌がらせみたいなことをやらされて消耗してたら、そりゃ戊辰戦争で勝てるとかどうこうの騒ぎじゃないよなあ。というかよく幕府に愛想を尽かさなかったとかそういう次元だと思うのですが、そこらへんの意地が会津の魂なんでしょうか。





 半月堡のある表口の石垣上部には武者返し(一番上のせり出して上りにくくなってる部分)が。半月堡自体にも武者返しは施されています。予算不足とかの諸々の事情がなく、当初の理想形通りに築城が進んでいたらこういうギミックが全周に仕掛けられていたんでしょう。その様子を想像するとなかなかに燃えるものはありますが、 …まあ、立地という致命的なものまでは動かせないからなあ… 最終的にたどる運命は同じか…



 せっかくなので五稜郭タワーにも登りましょう。なんかポーズを付けた土方さんがお出迎え。



 そして、展望台では座ってる土方さんがお出迎え。 …あれ?



 やっぱり五稜郭というか函館近辺では土方さん、大人気なんですね。それにともなって土方さんグッズやらお菓子やらも各種大量に取り揃えられてるわけです(榎本? 大鳥? 誰ですそれ?)。っておい、左右に控えてる二人組。お前ら、函館に来たことないってかその頃には既に死んでたよな?





 燃える土方歳三赤サイダー。「箱館奉行所復元記念として赤い色を大いに好んだ土方歳三が愛したであろうサイダーをシードル風に復元しました」とのこと。 …いや、それ、おもいっきり根拠の無い憶測では…



 このゆるキャラも多分土方さんモチーフなんでしょうねえ。ってあんた大砲は乗り物じゃないってか南斗人間砲弾でもかます気か。中央と右のキャラについてはなにも言うまい。



 箱館奉行所にあった顔ハメも、微妙に顔を出す場所を間違っているような…



 武田斐三郎は五稜郭の設計者。 …幕末のレオナルド・ダ・ヴィンチという称号にも引っかかるところは大いにありますが、まあ、それは置いておくとして… パワースポットてお前。あと輝きを放つまで頭を撫でるとか鬼かあんたら。その割にまだ頭髪は残存してるみたいだけど。 …あ、もしかして、ズ(略)。



 うっかりおまけコーナーのノリになってしまいましたが、本題の五稜郭に戻りましょう。私のカメラだと全景が微妙に捉えきれないのが残念。



 堀の内側の稜堡はシャープな鋭角なのに、堀の外側は緩やかな丸いカーブになってるところ、なんか面白いと思いました。まあ、内側に追従してギザギザさせてたら道とかつけにくいですしね。



 この辺りで自転車を返却、お昼にします。北海道に来たからということでスープカレー。うむ、辛くてうまい。



 昼食後はロープウェイを使って函館山へ。 …ええ、もちろん眺望を楽しみに来たとか、それだけで済むはずはありません。



 地図で見ればわかりますが、函館山、要塞を築いてくれといわんばかりの地形をしています。で、注文通り明治時代から要塞地帯として整備されていた(函館要塞、後に範囲を拡大して津軽要塞)わけで、その遺構が今も山中に散在しています。ハイキングコースとしてそれなりに整備されているようなので、午後はこれらを回ってみましょう。色々検索してると観光協会かどっかがけっこう詳しい地図を作っているようで、ロープウェイ駅あたりで調達できるかなーと当てにしてたのですが見つからなかったのが残念。



 まずはつつじ山駐車場から道が伸びている御殿山第二砲台跡。おなじみ28サンチ榴弾砲が配備されていたようです。





 通路などはなかなかいい雰囲気が残っているものの、弾薬庫などは結構埋まっていますね。



 次の千畳敷砲台までは約2kmありますが、道は整備されているので道中は快適。海のない街の住人なのでこういう風景にはテンションが上ります。



 北海道の植物といって真っ先に思い浮かべるのはこういうでっかいフキなんですよね。もちろん雨宿りしてるコロポックルとセットで。



 千畳敷砲台の戦闘司令所。





 若干コンクリートの剥落などが見られますが、まだ中にも入れる模様。



 通風口を真下から見上げる。なんか変な化け物の目みたいになってステキ。



 こちらが千畳敷砲台の砲座。



 こっちは15センチ臼砲のもの。



 この規則正しく小部屋が続いてる構造、厠跡ですかね。







 千畳敷からロープウェイ駅のある方向に戻りつつ、函館山中腹にある薬師山砲台へ。ここからでもちょっと登ればロープウェイも使えますが、いまさら上り坂もめんどくさいので徒歩で下山することに。往復で切符を買っていたのが無駄にはなりますが、まあ、いつものことです。



 途中、要塞時代の貯水槽などもありました。



 函館山から市電の駅に戻る途中に見かけた家。お、トマソンか? と思ったものの、屋根の上に出るためという実用的な意味も皆無ではなさそうな扉なので断定はできないかもしれません(そもそもわざわざ屋根の上に出る必要がどうしてあるのかは知らん)。まあ、隣の窓といい、仮に実用性があったとしてもなんでハートマーク? という疑問は消えないのでステキ物件であることに変わりはありませんが。





 市電の駅前で見かけた、どっかのプロレスラーみたいなポーズで立ってる坂本龍馬。向かい側には北海道坂本龍馬記念館なる建物も。龍馬と北海道の関連というと蝦夷地開拓建議あたりかとは思うので、まあ別に不自然というほどでもありません。どうやらまだ新しい銅像のようですが、周りに立ってるのぼりやあとでネットで調べた資料館の情報などを見ると、こう…

 私も『お〜い!龍馬』を読んで育ったような世代ですし、最近の極端な龍馬小物・使い走り説は心理的にどうも受け入れがたいところはあるのですが、かといってこれまでどおりのスーパーヒーロー像をそのまま継承し続けるのもどうかなというところで… まあ、歴史上の人物におけるフィクションと史実の配分なんて、積極的に主張するべきものではないですね、うん。



 ともあれ駅前に帰還。案内板や駅の表示に中国語やハングルが表記されていることはもう当たり前の光景になってきましたが(愛国的な人には怒られると思いますが、その事自体は特に悪いことだと思ってなかったりします。国際観光都市の住人として訪問客にカネを落としてもらう努力は惜しむべきではないと思ってますし、言葉の通じない外国に行った時に母国語を見たときの安心感は痛感していますし)、ロシア語がそれらより上においてあるあたり、さすが北海道だなあ、などと思いつつ、この日の予定終了。



 おまけ… といっても五稜郭タワーのところでほとんどやっちゃったんですよね。朝市で入手したイカスミラムネくらいしか残っていません。 …って、ワサビラムネとかカレーラムネ以来増えたなあこういう変ラムネ。一部の清涼飲料水業者、ラムネのことをフリー素材というかなに混ぜてもいい土台だと勘違いしてねえか…

今日の松前日記 6月24日(火)




 旅行四日目の朝も海鮮丼からはじめましょう。どうやら線路も復旧したようなので、今日は予告通り松前へ行けそうです。



 ただし、徐行区間があったりしてダイヤが多少乱れるのは致し方がないところ。木古内でバスに乗り継ぎなのであまり派手に乱れられると困るところですが、なんとか15分乗り継ぎのところを10分遅れ程度でしのいでくれたのでセーフ。こんな平日に松前に行くような人間私以外にいるのかと思っていたら、意外にも他に5組くらいは同じバスに乗っていてちょっとびっくり。



 木古内から1時間半ほど海沿いの道を走り、松前に到着。さっそく目的地、松前城へ向かいます。





 松前城、またの名を福山城は1854年築城、五島列島の福江城の次に新しい(他にも園部城の改修に至っては明治になってから完成したりしていて、このあたりは深く突き詰めると色々事例が出てきてめんどくさいですが)、日本でも最後期に築かれた近世城郭。時期が時期だけに砲撃対策として天守や塀に欅板や鉄板を仕込んだり、このように土塁を備えた砲台を城内に7基据えて海上からの砲撃に対処しようとしています。



 …が、ご覧のように海から至近距離に位置してまして… この位置でロシア船あたりと殴り合いをしたらそれはもうえらいことになったでしょうね。つくづくそうならなくてよかった。



 寒冷な北海道の城ゆえの凍結対策の意味もあって、この城の石垣は隙間のない亀甲積で仕上げられていることが特徴… なのですが、この石垣はどうでしょう。堀が妙に狭くて浅いけど、復元されてる…?



 復元天守と本丸御門(こっちは現存)。天守は第二次大戦をくぐり抜けておきながら、1949年に町役場の火事が飛び火して消失。宿直室の職員が伝統に毛布をかぶせてこたつ代わりにしていたのが燃えたというしょーもない出火原因なのがなんともいえません。





 表から見ても裏から見ても実に素っ気のない天守ですが、築城された時期を考えるとそれも当然でしょうか。前述のとおり欅板を壁に仕込んだりして目には見えないところのギミックがあったりはしますし。凍結対策もあって瓦が銅葺きですが、イメージしたよりは緑青で緑色にはなってなくて銅の色が残っている感じ。



 他に残っているのは本丸御殿の玄関部分。小学校校舎などに転用されていたようです。



 天守台の石垣に穴が開いていますが、これが箱館戦争の時に土方歳三率いる旧幕軍がつけたという弾痕でしょうか。そういや土方歳三、なんだかんだで宇都宮城と松前城、二つは攻城戦を成功させてるんですよね(ただ、宇都宮城はどっちかというと事故みたいなもんだし速攻取り返されてるけど)。



 …ここも百名城ではありますが、というかむしろ百名城になってる城もたいていはそんなもんだよねーというか、あとは周りも含めて復元された搦手二の門を出て離脱するだけ。ともあれこれで百名城攻略もいよいよ80城、8割達成です。これで北方は多賀城、二本松、そしてラスボスこと根室半島を残すのみ。次なる主戦場は… …九州全域、か… まだまだ、楽には終わりそうにないな…



 とりあえずTVチャンピオンにもでたとかいう店で昼飯。



 バスの時間までまだ少しあるので、もう少し散歩してみましょう。松前城から北に10分ほど歩いたところにある徳山大神宮。実は、この神社の西にある山というか丘がかつての松前大館。信長の野望に出てくる徳山館、といったほうがいいでしょうか。実はあの館は1589年に焼失、その後少し沿岸部に新たに福山館を築いて移転してるんですよね。その館を幕末になって大改修したのが今の松前城になります。

 …と、いかにもこれから城域に突入しそうな解説をしましたが、この城、ネットで前情報を調べても殆どの人が「どこから入れるのかわかんねえ…」って言ってるんですよ。かろうじて見つけた突入情報も詳しいルートの案内がなく、そもそも「突入してみたけど本丸は畑になってた」という有り様。 …ええ、私も前情報の確かさ――つまり突入できなさを確認するだけで終わってしまいました。一応沢沿いに道らしきものを見つけて行けるまで行ったのですが、いかんせん時期的に下草もひどく、滞在可能時間との兼ね合いを考えると…



 あ、この神社は幕末のゴローウニン事件のロシア人ゴローウニンが幽閉されていた地でもあるらしいです。昔はこの石碑や案内板とともに徳山館の案内板もあったようですが、いくら探してもそっちは見当たりませんでした。 …まあ、案内板すら撤去されるような状態でありますからして、到達できなくても仕方ないですよね。一応史跡指定もされているはずなんですが… 松前城の整備だけで手一杯なんだろうなあ。



 帰りも若干のダイヤの乱れはあったものの、一昨日の今日で乗った電車が… みたいなことはなく無事函館に帰還。



 さて、旅行も明日が最終日なので今日は派手に飲み食いしましょう(でも一人居酒屋)。まずはドンコの刺身ー!



 活イカの刺身を頼んだらなんかまだ生きてるのが出てきたので、信じて送り出しましょう。



 5分後、こんな姿になって帰ってくるなんて… …わぁい。



 程よく刺身をつまみながら酒をかっくらい、さて、締めのラーメンをと。 …あっ、この提督、完全に名前で店を選んだ! まだ大鯨1隻しかいないから怖くて改装してないのに!



 おまけ。函館駅構内にて。土方歳三と石川啄木という組み合わせの突拍子のなさも相当なものですが、どういう共通項でくくってるのかというと「哀愁」。哀愁テーマパークて。



「きのうの敵は あすの友 箱館解放1868年」

 内戦の中の出来事について「解放」という単語を使うのはいろいろとまずいところがあるような気がするのですが、しかも1868年のこととしちゃってるんですね。つまり、榎本軍が新政府側の清水谷公考らを追っ払って箱館を占領したのが「解放」。

 …あれ? ひょっとして函館、わりと今でも反中央政府な土地柄?

 といったところで明日は真首都に帰還の日。今度は飛行機だからまあ脱線はないでしょう。 …え? 欠航? …さ、さあ…

今日の帰洛日記 6月25日(水)


 早起きしてW杯を観戦、わかってはいたものの…な無念さを噛み締めたりもしましたが、それはそれとして旅行は元気に終わらせましょう。



 結局函館にいる間、ひたすら朝飯は海鮮丼でした。もういい歳だし絶対無駄なダメージが身体に蓄積してそうな暴挙ですが、仕方ないですよね。だって函館なんだから。

 飛行機は13時の便で少し時間があるので、早めに荷物を預けてちょっと寄り道。空港のそばにある城跡に向かいます。 …といっても滑走路を挟んで反対側なので、タクシーを使わないとちょっとしんどいんですけどね。運転手さんいわく普段は空港の下をくぐるトンネルがあってもっと短く行けるらしいものの、まあ遠回りしても片道15分ない程度。





 目的地は志苔館跡。室町時代ころに存在した和人の館、道南十二館の一つ。









 中はちょうど草刈りの真っ最中かつタクシーに待ってもらっていたのでそそくさと見て回っただけですが、なかなか立派な土塁です。正直、所詮室町時代の、それもこんな辺境の館だと思ってなめていましたが、どうしてどうして。



 土塁の上から見た津軽海峡。



 空堀も正面のところは通路を挟んで二重になっていたりして、なかなか面白い城跡でした。帰り際に空港からちょっと寄り道するちょうど手頃な感じ。



 あとは飛行機に乗って帰るだけ。大阪空港についた瞬間温度と湿度が跳ね上がり、速攻北に戻りたくなったりしつつ今回の旅行も終了したのでした。



 おまけ。函館空港内の空港の歩み的なパネル展示コーナーにあったMig-25。そういえばベレンコ中尉亡命事件の舞台、この空港でしたね。こんな何の変哲もない空港にいいきなり強行着陸とかされたら、そりゃ大騒ぎになるよなあ… いや、どの空港でも一緒だとは思うけど。


今回の旅行による日本百名城達成度 80/100

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