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2015北海道・東北旅行記 前へ
ばっくとぅとっぷ


今日の登別日記 9月21日(月)


 北海道横断+α達成後の前日夜、厚岸の民宿にて。我々は少し悩んでいました。そう、「明日の予定までうっかり今日のうちに消化してしまったから明日どうしよう……」
根室半島攻略、当初の予定では21日にやるはずだったんですよね。で、そのまま知床かどこかに進出して、根室の宿に泊まって22日夜に苫小牧からフェリーで八戸に移動(なぜ八戸かというと単に仙台や大洗の便がとれなかったから)、そこから一日かけて関東まで戻る予定だったのですが……
 ここで、またしても今回の旅行のモットー「前進あるのみ」が発動。北海道での作戦ルート決定が難しいなら、いっそ一日早く東北に移動して向こうでいろいろ見ればいいじゃない、帰路の東北道の渋滞回避にも資するし。ふむ、そういうことなら今日はあまり無理せずに夜のフェリーのために苫小牧に向けて移動しつつ、登別の温泉あたりでゆっくりしましょうか。
 今日は(厚岸から346q走って)登別でゆっくりする。……いやあ、広大な北海道の大地、人の感覚をとてもおおらかなに気持ちさせてくれます。普段の移動感覚と一ケタ違うがな。




 まずは厚岸の道の駅で腹ごしらえ。残念ながらレストランは11時からで訪れたのは9時ごろでしたが(この旅行こんなんばっかしや)、それでも名物の蒸し牡蠣やオイスターエキス入りアイスなどは食べられたので満足。……しかし、牡蠣が名物の町ってどうしてこうアイスやらビールやらにオイスターエキスを注入したがるんでしょうか。味自体は普通にアリだとしても。ちょっと詳しく説明すると一口目は全く普通のアイスのように思えるけれど、二口、三口と食べていくうちにいつの間にか口の中に牡蠣の香りが広がってるみたいな、そんな感じ。

 では、朝食も食ったのでいざ出発。




 今日の目的は「とりあえず登別まで行ってゆっくりする」だったため、寄り道はたった一か所のみ。釧路郊外、大楽毛(おたのしげ)という場所に残るトーチカ。JR新大楽毛駅のすぐ南、海岸から500mも離れていない住宅街の片隅にぽつんと、しかし得も言われぬ存在感をもって佇んでいます。釧路市内にはほかにも数基のトーチカが残っているようですが、一番訪れやすいのはおそらくここでしょう。



 中から。銃眼は2個。ほかにも数基あったとはいえ、この程度の施設で米帝の大上陸部隊を迎え撃つというのはちょっと考えたくないシチュエーションです。どうも完全な鉄筋コンクリートじゃなくて木材なども多用されているようですが、そこらへんは、うん、いつもの日本軍ですから(死んだ目で)。

 あと、釧路市内を走行中にふと横を見ると、突然小田原城か忍城風の模擬天守が視界を通り過ぎていきました。あとから調べたところ、鳥取百年館という、まさに鳥取県士族が移住開拓したことを記念する建物のようです(ゆえに、そのあたりの地名はそのまま「鳥取」)。一瞬のことでUターンもできませんでしたが、これ、たぶん最東端の天守風構造物だよなあ……



 その後は国道と高速道路なのに約30分ほど同じ方向を走る車と一切出会わないという、快適は快適だけどそれはそれで不気味な時間帯があったり、ついにトンネル入り口の上の芝生部分で草を食んでるエゾシカの群れと遭遇、幸いにも道路に降りてきてFOE化するといったことは回避できたりしつつ、16時半過ぎに苫小牧へ。さすがに有名観光地だけあって日帰り温泉入浴すらいっぱいの宿がちらほら。あちこちで聞こえる中国語、道を塞ぐ観光バスの群れ。
 …そういえば、北海道に来たというのに中国人観光客御一行様を見たの、ここが初めてですね。というか観光バスすら客が乗っている状態のものはほとんど見かけなかった気が。どれだけ一般客とはかけ離れた目的地を走り回ってたんだ、我々は(その代わりバイクに重装備を搭載勢はかなりの数見かけている。「一般客とかけ離れ」という意味では何のフォローにもならないけど)……



 ホテル内にて。地獄のみなさんこんなところでなにやってんすか。

 登別で20時くらいまでゆっくり温泉に浸かった後、苫小牧へ移動。途中、ご当地名物らしいのでカレーラーメンを食べたいなーと思ってた探したらなんか21時には閉まってる店が多かったりして夕食確保に彷徨ったりしつつ、なんとか22時半ごろにはフェリーターミナルに到着。夜間で、出港手続き開始まで間がなかったので写真は撮れませんでしたが、乗船したのは川崎近海汽船の「シルバークイーン」。艦齢18年、7,005総トン、全長134m、航海速力20.7ノット。往路の「ゆうかり」と比べると船のサイズからしてまあ……ですが、そもそも乗船時間も半分くらいですしね。ちなみに7月に起きた「さんふらわあ だいせつ」の火災の時に救援に駆け付けた船の一隻でもあるようです。



 フェリーターミナルに掲げられていた禁則事項。あれ、よく見ると、一文字……?

 フェリーは23時59分苫小牧発、翌7時30分八戸着。もちろん翌日もフル稼働する関係上、乗船即寝なければならないのですが、どうも蒸し暑かったりでなかなか眠れず。結局起きてるような寝てるような状態のまま夜が明けてしまいました。うーん、明日大丈夫かなあ…

今日の六ケ所日記 9月22日(火)



 ↑そんなわけでやや寝不足気味ではありますが船は無事八戸港に到着、下船開始。とはいえ、鉄道とは違って船とか飛行機は港や空港についてからの待機時間が長いんですよねえ。しばらく車の中で待機……って、お?



 おお?




 おおお! まさかの先駆けポジション! こういうのっててっきりトラックとかの大物から出て行くものかと! 渡し板がこうやって下りていくところを見られたのはもちろんはじめてです。……なにやら、コミケの場内待機列にいる時に開いていくシャッターを眺める時のような感動が(伝わる人が少なすぎるたとえ)。




 八戸に着いたからには朝食は朝市でということで、なんかもはや妖怪に近いようにも思えるマスコットの石像が立つ陸奥湊駅前に移動。ご飯と味噌汁をカウンターで、後のおかずは市場にあるものをそのまま買ってくるスタイルで朝から魚三昧。この旅行で一番贅沢な朝飯です。

 さて、本州に帰ってきての目標は、まずMURAJIさんのリクエストで三沢航空科学館。私にとっては去年の函館方面作戦に継いで二度目。ということで写真類はそっち参照。しかし、あの時も鉄道脱線の影響で、北海道上陸にフェリーを使ったんだなあ。今まで北海道には4回ほど渡っていますが、そのうち鉄道が1回、船が2回、飛行機は高校の修学旅行の1回だけというのは、また随分趣味的な…



 1年ぶりの一式双発高等練習機。この機体の展示、来年までなんですね。その先ってどうするのかなあ。できればレストアして綺麗な姿で展示してほしいものですが……超飛行機大国米帝様ならいざしらず、この国では無理だろうなあ……



 これはやってしまいましたなあ。




 連休の中日とあって、館内・外の広場とも子供連れで大賑わい。特に科学実験コーナーはどの装置も誰かしら子供が試して遊んでいました。いいことです。
 ……いいことですが、「恐怖を感じるまで」はまだいいとして、稲川淳二の怪談と「科学館」とは。



 ……科学館、とは……



 館内で最も人気のあったゲーム、アオモリズム。神奈川工科大学(なんでここで神奈川)の学生が開発したゲームで、「北海道が攻めてきたのでねぶたのリズムに乗って下北半島と津軽半島で殴って撃退する」「スコアはhaで、高くなればなる分北海道を小さくできる」(参考

……ん?
 まさか青森県、ここまで北海道の侵攻を警戒して迎撃演習を重ね、小県民たちに県防意識を植え付けているとは……日本の地域紛争といえば町田や湘南、県単位だとグンマー・トチギスタン間の領土紛争などが有名だと思っていたのですが、海峡を隔てて領土問題のありそうもない青森北海道間にも潜在的な火種は燻っていただなんて。人類は闘争の歴史から逃れられない生き物なのか……

 次の目的地は、近隣の六ケ所村にある六ケ所原燃PRセンター。ああ、六ケ所村といえば再処理工場、それらのPRのための施設。普通の観光的には見向きすることもなさそうな施設ですが……これ、普通の観光じゃないからなあ。ネタ的に面白そうなところには行ってみるしかないでしょう。

 航空科学館からPRセンターへは1時間ほど。その間、六ケ所村に入った瞬間に気づくことがあります。それは……道の整備度が露骨に二段くらい跳ね上がってる……
 もともとそんなに交通量が多くないこととあいまって、PRセンターへの道は極めて快適なドライブコースでした。道中眺めてると(ほとんどというかまったく人が通らない)歩道の草刈りなどのメンテも抜かり無く行われているようで、なんというか、実に補助金万歳な感じ。そういうのに眉を顰める向きもあるかもしれませんが、まあ国にできることってそれくらいですしねえ。なんか結構巨大な複合温泉施設みたいなのもあるみたいですけど。



 三沢から約一時間、風光明媚な山中に聳え立つ六ケ所原燃PRセンター。



「「原子力燃料サイクルの輪」を表す低層棟と「宇宙からのエネルギーを吸収する双葉」」が建物のコンセプトらしいです。「宇宙からのエネルギーを吸収できるんなら原子力に頼らなくてもいいんじゃね?」などとふと思ったりもしますが、吸収はできても効率よく活用できるとも言ってませんし、まだまだ道半ばだということなのでしょう、きっと。
 PR施設というだけあって、内容は原子力燃料サイクル再利用の仕組みを解説する模型やシミュレーター、体験コーナーなどがメインですが、やっぱり金がかかっています。模型にしてもいちいち光らせるわ動かすわ。あと、なにより受付の職員さんの数が……地元雇用への貢献って感じでした(婉曲表現)。




 この手の施設にはありがちといえばありがちですが、体験コーナーの中にはフレンドリーさを出そうとしてむしろシュールさを醸し出しているものがあったりなかったり。例えばこのアルファー線とベータ線を紙やアルミ板で遮蔽する実験、放射線に対してちゃん付け。まあ擬人化とかマスコット化してたりしたらそれもわからなくはないですが、特にそういうことをするでもなく説明なしに検査器に大書してある「アルファちゃん」「ベータちゃん」。あれか、たんとかきゅんでないだけまだマシなのか。




 個人的に目玉だったのは、このブロック崩しの亜種のようなゲーム。自分が操作ってか射出する中性子のボールを、上下する制御棒をかいくぐってウランやプルトニウムにぶち当て、核分裂を起こすのが目的。制御棒がお邪魔虫扱いされる局面ってそうそうないというか、まず核分裂をこちらから積極的に起こそうとすることってなかなかないきがします。なんか、アオモリズムといい青森県のご当地ゲーム、やたら攻めてる気がします。そういう県民性でしたっけ、青森の人って。



 六ケ所村は原子力だけではなく風力発電所もあり、アニメか何かの世界のような巨大風車が見渡す限りの丘陵に林立していてなかなか壮観。この写真はPRセンターからですが、車で走っていてもあちこちから見ることができます。先述した通り道もいいので、この光景の中を走れるというだけでけっこう人を呼べそうな気もしますが……やっぱりアクセスがなあ……



 特に説明もなく転がしてあったドラム缶。やばい、なんか一つほしい(なんに使うねん)。

 しかし、一昨日の北方領土関連施設でも思ったことですが、「啓発」といいう行為ってつくづく難しいものですね。金をかけたからって効果的な活動ができるわけじゃないというか、むしろ金をかければかけるほどギャグに近づいていくんじゃないかという。かといってあまりに貧乏くさいと誰も見もしませんし、フレンドリーに寄りすぎても命令形みたいな感じで声高に主張しても滑稽になりますし(後者はいわゆるマナー向上系の運動でよく見るかなあと。個人的にああいった運動は「で、根拠は?」みたいな話も絡んでまたややこしいですが、本筋から外れすぎるのでこのへんにしときましょう)。
 まあ、啓発なんていうのは広く国民全体を対象とした活動ですし、私を含めたネットの場末で逐一揚げ足を取って楽しんでるような人格ツイスターゲーム野郎どものことなど端から考慮しない、というのは正しい見識だとは思います(笑)。

 PRセンターのレストランで昼食をとった後は、ひたすら関東目指して南下を開始。と、三沢を通過してさらに南のおいらせ町で、不意打ちで目の前を通過してしまったステキスポットが一件。大量の自作モビルスーツが並ぶ床屋さん。まさかこんな本州の北の果てで宇宙世紀に遭遇するとは思っていませんでした。たぶんこれらのモビルスーツ群も、北海道が侵攻してきた暁にはねぶたのリズムで北海道をぶん殴って撃退するために立ち上がるのでしょう、連邦もジオンも所属は問わず、いや所属は青森として。いかんアオモリズムとなんか混ざった。

 ひたすら南進、とは言ったものの、岩手を突破して宮城に入ったところで寄り道、私の日本百名城攻略で東北地方の取りこぼしだった多賀城へ。城とはいっても平安時代の城柵で、なんかいつの間にか地震やらなんやらあって崩壊というか自然消滅した感じの場所で特になにか残っているわけではないのですが。





 ……って、何も残ってない以前に、暗すぎて、見えへんがな! 写真撮れヘんがな!(写真はフォトショにて最大限明るさを加工した後のものです)
 そう、北海道の距離感速度感に麻痺していた我々は岩手の縦深に大敗北、多賀城跡にたどり着いた時には既に日没からしばらく経った18時半ごろになってしまっていたのでした。まあ、多賀城に関してははじめから礎石とかそういうのが残ってるレベルだということはわかっていて、逆に到達さえできればいいかなと割りきれていたので問題ないといえばないのです。……とはいえ、文字や写真情報だけではあまりに漠然としすぎているイメージを現地に立つことで少しでもまとめたい、という希望は完全に砕かれた感じですが(笑)。
 ただ、どちらかといえば私は多賀城の全盛期よりも、廃絶してしまった後の前九年・後三年の役や南北朝時代に重要拠点として源義朝や北畠顕家が駐屯した時の事のほうが気になるので、そういう意味では別に一番いい時のイメージなどは掴めなくてもどうでもいいというところはあります。かつては国府まで置かれていたが(現代と違って完全に地中に埋もれたわけでもないはずの)今は荒れ果ててしまった場所が再び脚光を浴びた時にどういう姿だったのかとか、そんな場所に駐屯することになった義朝や顕家の心境は、とか、そんな感じの。これが山城とかなら地形が想像をアシストしてくれるのですが、なまじだだっ広い市街地化した平原にあるので難しいんですよねえ。

 そんなわけで多賀城からはそそくさと撤収、さらに南下して本日の宿は福島県二本松市のビジネスホテル。今回船中2泊、厚岸で泊まった民宿はなんというか、その、実に「味のある」感じの宿だったので、まともにゆっくりできる宿はここが最初で最後という感じもしなくもなく(笑)。

今日の二本松日記 9月23日(水)


 気がつけば5泊6日のこの旅行も最終日。なんだか一瞬で連休を消費し尽くしたというか、よく考えたらずっと車(と船)に乗りっぱなしだったような気もしますが(笑)。もう福島は二本松まで南下してきたので、最後に寄れる場所は大体おわかりでしょう。




 というわけで百名城東北地方残敵掃討その2、二本松城。本来の城主である二本松氏はもともとは足利一門畠山氏の嫡流…だったはずが、なんやかんやあって最終的には伊達のまーくんの親父さんを道連れにした(することになってしまった)アレが出てアレになってアレ。その後は信長の宿将、丹羽長秀の息子長重がこれまたなんやかんやあったあとに入って(西国無双こと立花宗茂の復活譚と同じくらい劇的だと思うのですが、あまり注目されてないのがちょっと寂しい)大拡張したのが現在の城跡になります。中心部分は現在霞ヶ城公園として整備されている部分ですが、駅前(そして我々が泊まったホテルからすぐ近く)にも大手門跡の遺構あり。もっとも、大手門は1830年代にやっとこさ完成したもので、そのわずか30年後には戊辰の嵐に巻き込まれて焼失してしまうのですが……




 こちらの石材は当地ではなく、江戸の二本松藩上屋敷跡から出土したものを当地に運んだもの。それだけならだからどうしたという話ですが、上屋敷の位置がほかならぬ今の衆議院議員会館の場所で、「衆議院から石を譲渡してもらった」というのがなかなか面白いかなと。確かに議員会館を建てる土地の持ち主は衆議院で、そこから出土したものは衆議院の財産だよなあ。あと、最近ちょっとお仕事で議員会館に行ったという点も余計に感慨が(笑)。




 大手門のある駅前地区から移動して、本体である霞ヶ城公園へ。二本松城は戊辰戦争で戦場になったため建物は焼失してしまっていますが、中心部の入り口に当たる箕輪門は復元されています。



 その「戊辰戦争の悲劇」の一つ、二本松少年隊の銅像。しかしつい「おお、畳かなんかの胸壁が再現されてる!」とかそういう方向でしか見れないのはもうなんかの病気でしょう。病気だからしゃーない。

 実は箕輪門付近だけではなく本丸にも天守台石垣などが復元されているのですが、折悪しく10月に開催するイベントの準備だかで立ち入り禁止だったため、本丸には入れないまま撤収。多賀城に続きなんだか消化不良な感じですが、急に立ち寄ることを決めたんだからまあ仕方ないでしょう。とにかくこれで東北地方の百名城も攻略できたということで。あと残存する厄介なのは……沖縄三城と九州各地か……遠いなあ…

 ともあれ、これで今作戦の全目標クリア。あとは連休終わりの渋滞が始まる前に関東に帰還するだけ。気がつけば新潟から北海道を横断して東北を縦断、北日本を5日ほどで一周するというけっこう狂気な旅行になってしまいました。やればできるもんなんですねえ。特に一日で北海道横断+αとか……




 おまけ。今回の旅行ではなんかガラナやらハスカップやらのジュース類ばかり自分のおみやげに買ってしまいました。まあ、ポッカサッポロ曰く「ハスカップは北海道戦略物資」らしいので、致し方ないところだと思います。同様に戦略物資で、かつ千歳基地限定はずのガラナがなぜか登別のホテルで売ってたりもしましたが、これは戦略物資のざいこしょぶ……げふんげふん、横流しだと思えばそれはそれでなにか滾るものが。
 なお、帰宅したその足で寄った地元のスーパーが北海道フェアを開催していて、いろはすハスカップやらガラナを箱で積みまくっている光景を目にして膝から崩れ落ちた私の姿とかそういうのは、本旅行記とは別の話としていずれどこかで書くことに……はならない小話の一つ。



 グランブルーハスカップ、というお酒。いや、友人たちがハマっている某ゲームに絡めた一発ネタとして。私はガチャとか怖いんでやりませんけどね?



 エゾシカ肉の味噌煮とか定番といった感じがしますが、エゾシカエキス配合の栄養ドリンクなんてのもあるんですね。成分表に記載のある「エゾシカ肉酵素分解物」って、それ要するに肉汁では、という気もしますが……

今回の旅行による日本百名城達成度 85/100
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