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ばっくとぅとっぷ



 一年ぶりの旅行記復活。昨年9月には北海道をフェリーと車で横断、日本百名城のラスボス、北の最果ての地にそびえる(あれそびえるっていえる形態やろかというのはさておき)根室半島チャシ跡群を撃破しましたが、今度は一転最南端、琉球王国のグスク群を狙います。今回も同行者はMURAJIさんですが、さすがに自前の車+フェリーではなく、普通に飛行機+レンタカーでの旅行となります。よかった、「北海道に行くために新潟へ」とか、もうそういうわけのわからないスタートはないんだ……

今日の茨城日記 8月26日(金)


 ……はい。見出しを見ればわかるように、今回も素直に羽田からではなくやっぱり変化球からのスタート、スカイマークの茨城空港〜那覇空港便という選択です。まあ、羽田はこれまでにも何度か使ってるし、どうせなら使ったことのない空港からということで……これ、そのうち海外行く時も羽田成田関空を回避するためだけにわざわざ縁もゆかりもないセントレア発の便を探し出すとか、そういう奇行に走るパターンだな……

 茨城空港へは東京駅から出ている空港直通バス(片道500円)があるものの、意外にも出発2日前には満席になってしまっていたので、結局MURAJIさんの車に拾ってもらおうということになり第一目標は埼玉県某駅。沖縄に行くために茨城に行くために埼玉に行くことから始めるパターン、もはや定番ではあります。



 飛行機の出発は19時ということで18時ころに到着した茨城空港。シンプル&コンパクトと自賛するだけあって、首都圏の空港とは思えないほどちっさ……わかりやすいです。入口から保安検査場まで1分以内とか、離島の空港クラスのような気も。とはいえ結構広い駐車場はかなり埋まってましたし、大陸方面への国際線ロビーは結構賑やかでしたから、それなりに繁盛してはいるようです。




 でもってこの空港、なぜか大洗町外におけるガルパン根拠地の一つとして、ウサギさんチームが配備されていたりもします。つい先日も声優トークショーの会場になってた由。いやまあ、大洗を4回5回と訪れてると彼女たちがいても「あ、ここにもいるんだ」程度でごく普通の光景としか認識しなくなってるわけですが。自然自然、実に自然。






 ゲート内の待合ロビーにもウサギさんチーム。しかし、施設の性格上仕方ないとはいえ痛戦闘機のほうが本来乗ってる戦車より大きいのはどうなんだろう(笑)。



 思えば、ここに展示してあるグッズも妙に見慣れたものになりました。



 そうこうしているうちに出発時間。シンプルさを追求した空港なので搭乗はもちろんタラップ。



 機内食はない、カップ麺(ミニ)くらいは機内販売している……とは聞いていたのでまーそんなもんではあろうなあと思っていたのですが、そのカップ麺すら売り切れていたのでこのようなものをつまみながら2時間半。22時に那覇着。
 なお、那覇空港から一歩出た時点でもって、47都道府県全県制覇(私内定義:当該地域について公共交通機関の駅等構内から出て足跡を残す事をもって最低限の制覇要件とする)を達成。中1の時に岡山に一人で出かけて以来、ちょうど20年での達成となりました。とはいえ、まだ宮崎は本格的に観光したわけではなかったり、令制国で考えると佐渡隠岐壱岐対馬の島々には行ったことがなく、石見筑後、あと意外にも近場の上総は通過しただけで見て回ったことがない(あと上総以上に身近だった畿内の和泉もよく考えたら見に行ったことがないような気がするが、関空を和泉国の中だと考えるとまあなんとか)ので、諸国徘徊はまだまだ続きます。それに海外だって樺太やら韓国の倭城やら、というか全世界南極までくまなく行ってみたいという野望はあるのです。あー、どっかから国家予算並みの金と危険な地域に行く前に使えるセーブポイントが降ってこねーかなー。それさえあれば……

 個人的実績解除の余韻と益体もない高望みに浸る間もなく、この日はそのままレンタカーを受領して繁華街のど真ん中にあるホテルにチェックイン。便利な場所ではあるものの便利すぎて夜は客引きがすごいなあと思いつつ、沖縄そばを軽くすすって明日に備えるのでした。

今日の山原日記 8月27日(土)


 沖縄作戦、実質初日。この日は那覇を出て本島北部のエリアに向かいます。最初は那覇から近い中城城スタートと考えていたのですが開場時間の30分以上前に到着してしまったため、後回しにしてさらに前進、さらに北の今帰仁城へ。



 今帰仁城は琉球が三分された三山時代の北山王の居城。うぃきぺによると少なくとも三代は続いたようなのですが、どんな有名な人がいたかというのは……うん、現地の顔ハメを見てお察しくださいというか。一応何冊か簡単琉球の歴史みたいな本は読んだことがあるのですが、どうも南部中心で北の方はよくわからん気がします。城の歴史文化センターの解説によると、本島北部だけでなく与論島とか沖永良部島あたりまで勢力圏にしていたようですが。





 来歴は置いといて、城内へ。おお、このうねうねと複雑な曲線を描く石垣、まさしく本土にはないグスク!




 左右に狭間を従えた平郎門から城内へ。



 門の右手、カーザフという谷の向こうにも石垣があるようですが、そっちはあまり整備されていないようです。異国風ではありますが、こういう崖と石垣の組み合わせを見ていると、ああ城に来ておるなあという実感が。



 門の前に一直線に伸びるわかりやすい道(桜の名所でもあるらしい)がありますが、これは戦後に作られたとのころなので、あえてその横に残る山道みたいな旧道を登って大庭、主郭方面へ。



 蒼い空、碧い海、波打つ石垣。南国、南国にいるであるなあ。なお、眼下に見える郭は大隅といい、練兵場的部分だったらしいです。




 石垣で囲まれた御嶽(拝所? 不勉強なものでこのあたりの言葉の使い分けはよくわからん……)と、主郭の火之神の祠。沖縄のグスクにはこのような宗教施設が点在しています(むしろそういう施設から発展したのではみたいな説もある)。ということは一応知識としては知っていて、それでもまあ本土の城にもある神社とか小祠みたいな感じで城内に1、2か所かなーと思っていたのですが、どの城のどの郭にも、場合によっては郭内のほとんどの面積を拝所群が占めてるようなところもあって、思っていた以上の存在感がありました。城壁は修復されても拝所の石垣は手を入れられていないように見えましたが、これは今も現役の祈りの場だからでしょうか。




 主郭から裏側の門をくぐって下り、志慶真門郭(しじまじょうかく)へ。




 この郭からは掘立柱建物の跡が4軒ほど検出されています。家臣の住居か。



 志慶真門郭から見上げる主郭。



 一通り見終わったので平郎門に戻ると、お猫様がお昼寝しておられました。

 今帰仁城はこれにて離脱、次は美ら海水族館へ。どちらかというとこのあたりにはこっちをメインターゲットに訪れる人の方が多いと思われますが、実は城から車で20分くらいしかかからないのです。






 ……まあ、おっさんが二人連れで、やたら厳しいタイムスケジュールであちこち駆けずり回ってる途中に訪れるところというよりは、家族を連れてきてのんびり一日かけて見て回りたい場所ではあります。MURAJIさんはともかく私にはおらんけどな家族。またこれから先もできる見込みは極めて薄いけどな家族。






 あと、われらが京都水族館が地元の淡水魚とせいぜい日本海側の魚を数的主力にしつつなんとかオオサンショウウオを前面に押し出してキャラを立てようとしているのに比べて、深海魚でも熱帯のカラフルな魚でも職員が釣ったり地元の漁師さんに協力してもらって調達できる(実際解説板にそう書いてあった)南の島の水族館はずるい、みたいなことも少し(笑)。

 美ら海水族館を本館だけ駆け足で見て回ったあとは、海中道路で本島とつながった風光明媚な古宇利島へ。




 この島周囲の海の色、一直線に伸びる橋といった風景が素晴らしいとのことだったので島に渡ったのですが、あまりに素晴らしすぎるせいか島内の観光施設はタワーからビーチに至るまでことごとく満車(笑)。やむをえず島はぐるっと回っただけで、結局対岸の食事処から眺めるだけになってしまいました。それはそれで十分満足できる景色ですけど。



 ここで昼飯、海ぶどう丼とミニ沖縄そば。 ……あ゛ー、願わくばこのままこの場所で海を眺めながらビールかっ食らって日がな一日すごしてえ……



 などと南国怠惰モードに沈み込んでしまいたい気持ちを抑え、車は国道58号をさらに北上、沖縄本島最北端の辺戸岬へ。




 海の向こうには与論島。米軍統治下の時代にはこの岬が本土復帰運動の拠点としてのろしを上げたりしていたとか。



 そういうわけもあってヨロン島・国頭村友好記念碑などが建っています。(かつて)我が国と切り離された領土の最先端、復帰を願う人の声……というと、昨年訪れた納沙布岬を思い出しますが、あちらの岬に今なお渦巻いている「返せ」の叫びやら祈り(右の愛国な人たちから根室市オフィシャルまで)の標柱やらオブジェ群も、いつか役目を終え、この岬のように一つ二つの記念碑が残るようになる日が来るのでしょうか。つうかはよ来させろ露(略。

 …なお、そういった経緯のあるこの白い鳥の像ですが、ポケモンGOを起動させてみてみると見事にジムになっています。それ自体は別にいいんですが、どういう名前で登録されているかというと「Space Chicken」。Space Catの親戚扱いかよ。なにやってんだポケモンというか登録したイングレスのエージェント。




 岬そのものは切り立った断崖絶壁。このごつごつした岩はサンゴでしょうか。火成岩とはやはりちょっと違う感触。このへんはやっぱり南国の島だなあと。



 振り返って内陸を見ると、なかなか面白い形の山が。実は辺戸岬に至るまでの道も、海と山裾の間にただ道があるだけのような区間が続く険しい地形でした。中南部のだだっ広い平野とはまったく違う地勢なのが面白いです。



 そんな険しい岬に、こんな警告が。警告があるということは、過去にいたんだろうなあ、無謀なチャレンジキメてえらいことになった米兵だか軍属だか……



 観光案内のパンフレット等があるわけでもない最果ての地に置いてあるあの宗教のチラシ。ふと気づいたらいなくなっていましたが、ラックの前にそういう目つきをしたおじさん二人組が一瞬いた気もしたので、まあそういうことでしょう。ご精が出ますねえとは思いますが、いくら観光客が途切れない程度にいるとはいえこんな人里離れた場所で勧誘しても効率悪すぎるのでは。



 辺戸岬から離脱する途上の道の駅ゆいゆい国頭にて。そうですよね、希少な本当にしかいないヤンバルクイナやケナガネズミ、守らないといけませんよね。ストップ! ロードキル!

 一方、車で通行中なら,轢きます.大けがをさせても,すぐには死にませんが,いずれ死にます.などと県のサイトで積極的にロードキルを推奨される沖縄固有種もいたりしますが、まあ、命の価値って別に平等ではないですよね。ハブ怖いし……




 幸い人も獣も鳥もハブもロードキルすることなく(夏の真っ昼間だから当然ではある、あと人はちょっと)、中城城まで南進。この時点で16時半、そろそろ太陽も西に傾いていますが、中城城は夏季は18時まで開いている(それ以外は17時)ので、まあ大丈夫でしょう。到着するとゆるキャラになってしまった中城城主、護佐丸がお出迎え。名のある城主はその城においてゆるキャラにされてしまうというのは本土も沖縄も変わるところはないようですが、ただ護佐丸くんとか護佐丸にゃんとかそういう名前のデフォルメがなされずに呼び捨てというかそのままの名前というのはちょっと珍しいというか、わりと恐れを知らない所業という気はします(笑)。券売所にはオリジナル曲の中城城讃歌がエンドレスで流れ、特に意味もなくハート形をした世界遺産記念の石碑があり。同じ世界遺産である今帰仁城と比べて、こう…… 那覇からのアクセスの差が如実に出ている感じが(笑)。 



 最新のアレについて。実際にプレイしているとそこまでの無茶が起きるかという過剰反応に思えますが、管理側からすればそうも言ってられないんでしょうねえ。というか数ヶ月もすれば一部のコアなプレイヤーを除いてそんなのもあったなあとなるんじゃないかとも思うのですが。

 なお、辺戸岬では普段の生活圏では出現しないようなポケモンが5種類くらい入れ食いでした。やっぱ地域によって結構違いがあるんですねえ。岬のちょっと内側の草むらからアーボが飛び出してくるのは思わず現実の方も確認しちゃうので勘弁してほしかったですが(笑)。





 ともあれ、三の郭、そして裏門から城内へ。正確には三の郭は二の郭、一の郭とは独立しているので、裏門から三の郭に寄り道して二の郭へ。



 単純に少し勾配がついているからというだけのことかもしれませんが、今帰仁城よりはどこか見覚えのある感じの石垣。とはいえ工法はやはり本土の地山を利用して表面だけ石を積む石垣とは違い、中(最後)まで石たっぷり。むしろ石塁とかそういう分類になるかもしれません。石を積み上げただけでこれだけの高さを稼げるのは驚嘆すべき技術ですが、地震がない地方だからこその工法ではあるよなあとも。





 二の郭。こうしてみると年代ごとの差異なのか、積み方のバリエーションがみえていいですねえ。



 実はここまで回っていて初めて見かけたハブに注意の看板。ハブって英語だとhub表記なんですね。……なお、正直なところ沖縄に来ると那覇の市街地を離れたあたりからいつでもどこでもハブにエンカウントするものだと思ってました。それこそ城跡なんか順路から離れれば死、石垣の近くに寄れば死とばかり……よく考えたら本土でもマムシに遭うことはそんなにない(たまにはある)わけですし、観光客レベルでそこまで頻繁にエンカウントすることはないですよねえ、たぶん。きっと。うん。





 二の郭、一の郭の石垣。



 一の郭から見た中城湾。現在はまさに紺碧といえる美しい海ですが、71年とちょっと前にはここを米軍艦艇が埋め尽くしてたんだなあ、みたいな幻視が…… この中城城自体も日本軍が陣取ってはいたようですが、石垣への被害はそこまでではなかったとのことで今に至っているようです(一の郭内にあった役場の建物などはもちろん焼失)。






 南の郭は複数の御嶽が密集する宗教地帯。








 正門とその一帯。当然といえば当然ですが、裏門と比べても遜色ないみごとな石垣、のわりには復元が微妙に後回しにされていたり、順路的におざなりな扱いにされているような……




 憶測ではありますが、正門が日陰者扱いされてる理由の一つはこれでしょうねえ。正門から地続きで存在する中城高原ホテル。その筋の人によると日本でも有数の廃墟。中島みゆきのPVにも使われたとかなんとか。




 あー、いいですねえ、警告文のこの感じ! ……しかし、城跡からこんなに近いというか本当に隣接しているとは思いませんでした。本来は一の曲輪にもホテルをぶっ建てようとしてたらしいので当然ではありますが、こんな普通に侵入できそうな……

 あ、もちろん私はいくら侵入できそうでもしていませんよ? だいたい侵入してここでレポートなど上げようものなら一発で炎上するのが今の御時世ですし(そこなのか)。



 一の郭から見た中城高原ホテル。こうしてみると、ただの廃墟というか裏・中城城とさえいえる風格があります。一の郭の玉座跡を調べたらあの廃墟に通じる地下通路の階段が現れる的な。



 廃墟はおいておいて、中城城本体の方を振り返ってみる。こっちはこっちですごい地盤の上に建ってますね……



 最後にすごいものを見た中城城から離脱して、那覇のホテルへ。その途中に見かけた沖縄式の墓……というか、那覇市街の外だと結構大きな道のそばにも散在しているんですね。ある意味では一番沖縄を感じた光景でした。あと、沖縄戦で簡易陣地として利用されたのも納得というか。



 今回は自動車機動なので道中の小ネタ写真はあまり撮れませんでしたが、なにかと懸案の普天間基地の入り口、の一つ。とりあえず基地についてはまた明日に。




 那覇に帰還、適当に入った居酒屋でグルクンの唐揚げ等、なんか沖縄っぽい料理を適当に頼んで本日終了。明日は首里城をはじめ、本島中南部の城跡と戦跡を回ります。

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