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ばっくとぅとっぷ

今日の返信日記 5月31日(火)


・メールフォームより、無記名さん。ありがとうございます。

こんにちは。 いつも楽しく拝見させていただいております。 この度、ニコニコ動画にて秀逸なのに評価の低い作品を見つけましたので、サイトで紹介していただけると幸いです。

【まどマギ】マミさんのテーマをイメージソング化してみた【アレンジ】

マミさん好きの方であれば、ハンカチ必須の作品です。 是非よろしくお願いします。


 15000再生くらいされているっぽいので、さては出遅れたかということでこちらで。いい曲です。 …マミさんといえば例のアレとかぼっちとかティロ・フィナーレ(物理)とかあとおっぱいとかおっぱいとかとりあえずおっぱいとかそんな事ばっか思ってる残念な人間には、こう、しみじみぐさっと(笑)。

・俺妹最終話視聴。余分に3話配信形式にするだけのことはあっていいシリーズ(ルート)でした。黒猫かわいい。

今日の強風日記 5月30日(月)


 あれ台風去った後のほうが風強いぞ無駄に?

今日の雨天日記 5月29日(日)


 というわけでどこにも行かず。いや、どうせ今月分の野外訓練は先週やってるので今週出る予定はなにもなかったわけですが。

今日の台風日記 5月28日(土)


・もう台風来てるとか… なんか気がつけば梅雨入りもしてるし…

・タイバニで兎さんがすっごい飛んだ。

・DOGDAYS、前半サービス回かと思ったら一転シリアスに。もう9話ですからそういう時期ではありますか…

・漫画アマガミ3巻がエロすぎて素敵。

今日の勧誘?日記 5月27日(金)


 帰宅したらポストに小学校2年の時に転校した女の子、を名乗る手書きのメモが入っていたり。久しぶりにこのあたりに来て懐かしくなりました連絡ください云々。

 …が、全く記憶にないんですよねえ。他に転校した奴は結構覚えてますし、なによりその後の残念な人生と日常的に嗜んでる趣味による間違った学習(シンプルな言い方をすればエロゲ脳という)のおかげでそういう趣味が実現化しかねないような思い出については延々反芻して些細な事から大きな事まである事ない事記憶して稀に創作している(痛い。こいつ痛い…)のですが、そんな私をして完全無欠に知らないぞ…?

 いやまあ、仮にこの人が本当に私の元同級生だしてもそんな画面かページの向こう側みたいなことなんてありえず、用件は宗教か保険以外に考えられないんですけどね。というか手近に連絡取れる当時からの旧友(Twitter上でほぼ毎日某球団の愚痴とか言い合ってる程度の仲)に聞いてみたところ、名前を言うまでに「もしかしてあの人か?」という反応が返ってきてたりするわけで。一応本当に同級生であったのは確かっぽいですが、同時に他の連中のところも回っていることも事実っぽいというわけで、やっぱりアレでアレなんでしょうなあ。現実なんてそんなもんです。

追記。この文章を書いたあとしばらくして件の友人が「数年前に俺のとこにも来て、何も考えずに会ったらばっちり宗教勧誘された」とのこと。ほらやっぱり。しかし、気になってその同級生の名前で検索したらその人が思いっきり載ってる「記事」(察しろ、色々と)が出てくるあたり、ネットってな凄いものですねえ。もう8年からリアルでは会ってない旧友に速攻で確認かけられる点も含め。

今日の暗黒日記 5月26日(木)


 盛 り 上 が っ て ま い り ま し た 。

 …ただ、私みたいなおっさんは今までの経験とか年齢ゆえの諦観とかネットでの愉快な同好の士の皆さんとのストレスの発散しあいなどでこうなっても開き直りもできるのですが、そこまでの時代を知らないしネットも見てないまだ小学生の従兄の息子がガチ凹みしてるとか聞くと少し悲しい気もします。頑張れ。超頑張れ。マジで。

今日の驚愕日記 5月25日(水)


 ハルヒ驚愕、到着。発売日から一日二日の遅延は当たり前、だってお金払ってないからお前が基本スタンスなamazonさんですが、なんと当日のうちに到着。よく頑張りました、いや、話題性のためならamazonすら統制する角川さんかっけー。ついうっかり逆に早着しちゃった場所もあったりなかったりという噂もあるけど(この発言はフィクションであり以下略)。

 ともあれ、最近ラノベの積み傾向が著しくて大変遺憾な私ですが、ここはその日のうちに読まぬとなるまいてということで読了。良くも悪くも… というと否定的に聞こえるので不適切ですが、ああ、いつものハルヒだなあと。正直このブランクの間に色々と変化や迷走があってコレジャナイ感が発生しているのではないか、といった懸念があったのですが、そういった心配は無用でありました。 …若干朝比奈さんが壊れてたり古泉が格好良すぎたりした気もしましたがw ハルヒには周辺事情やら周辺でもない部分やらで色々思うところはありますが、やっぱ話としては面白いよなあなどとその実力を再確認。これで、今までを挽回すべく暫くの間いいペースで出してくれたら… は、望むべくもないでしょうか。後書きやら冊子やらでの全力土下座を見てから言うのも酷かと思わなくもないですけど……

今日の電波日記 5月24日(火)


 ソウルジェムもしばらく天日干ししたら漂白されるシステムだったら世界は平和だったのに。ノリさんみたいに。すぐ濁るけど。

今日の涼風日記 5月22日(日)


 雨のち涼風。暑がり(ええ、ピザですし)なのでこのくらいの温度が一番過ごしやすい。 …私自身は昨日のうちに出かけてるから他人の日曜の予定が雨で潰れようが知ったこっちゃないしな(かなり最低な自己中心主義)!

今日の大文字日記 5月21日(土)


 今月はGWに舞鶴の方に出かけていたような気もしますが、いい加減ゲーム三昧で体が硬直してきたので再び体をほぐすべく歩きの週末。 …って全力でゲームして色々鬱屈してきたところで一度歩いて発散して再び鬱屈させるのサイクルだけで生きてますね、最近。いいけど発散しないよりは定期的に発散したほうが。

 今回は近場も近場、真首都民なら幼稚園なり小学校なりで一度は行ったことのあるはずな大文字山近辺。そんな身近なエリアですが例によって城跡があるのはお約束。さて、昔にはそんなものがあるなんて全然知らなかった遺構、今行けば見つけられるかどうか。

 最初に登るのは中尾城。場所は単純にいうと銀閣寺の裏山。場所的な縁からもわかるとおり足利将軍家の城… ですが、将軍は将軍でも築いたのが足利義晴、という点で戦歴とかはお察し下さい、で済むでしょうか。ザ・剣豪将軍、リアル戦国無双をやった男(ただし結果は…)こと足利義輝が入ったけど三好長慶の大軍に攻められてあえなく落城という…

 入り口は銀閣寺北(朝鮮学校前)の大文字山登山口の左手山肌。山肌といってもそれなりに木は切られて道的なものがあるのでそこまで無茶な突撃をする必要はなし。



 …むしろ、最初の入り口のところにある看板が微妙にミスリードを誘うような(笑)。必殺余計混乱させる概念図に上げたとおり、看板の位置と本当の入り口との間に50m程の間隔があり、しかもより看板に近い場所には朝鮮学校に通じる別の道(これもそこそこ細くて山の方に行きそうと思っても不思議ではない… はず)があるという。もちろん看板にはそんな細かいこと気にせず、シンプルに矢印一本書いてあるだけ。

 …というかそもそもこの位置(駐車場のフェンスに内側向けに立ててある)だとこの看板に気づくのって下山してきた人だけだよなあ。進入側からだとおもいっきり裏しか見えんし。



 その看板。 …なんというか、こう、正直何を言いたいのかわからないのにその激越な調子の文面から書いた人の異様なまでの思い入れが感じられるというのは凄いといいますか… …もっと端的にぶっちゃけるとよくBC級スポットや恐怖スポット扱いで紹介されたりしてる「変な看板や書き込みのある家」に通じるものがあるような。よく見たら何年前かはわかりませんが吉田大関わってるぽいのか…



 ちなみにここまでの道中にあった別の看板。 …有名なコケの件(詳細はぐぐってくださいな)といい、ひょっとして銀閣寺って、その、知名度とは裏腹に中の人のノリでいうと実は相当アレなんじゃあ……



 それはさておき、城跡は最初に取り付いた峰とその東隣の峰二つに渡ってるっぽいです(ただ、使われていた時期が実は違う可能性とかそういう事は私にわかるわけもなく)。西側、最初に登ることになる峰にはそれなりの数の郭や堀切か井戸か何かの跡と思われる窪地(と土橋だったと思われる一本道のセット)らしきものが散見されますが、やや風化していて確証は持てず。これは、と思った場所が本当に全部堀切だったりきちんと整形された段差だったりするとしたら、かなり入念に区画してあるようにも思えます。



 遺構として一番わかりやすいのは山頂の郭から一段北に下がった結構広い郭と、そこにある土塁でしょうか。これは結構立派。現状でも2〜2.5mくらいの高さがあるというのはなかなかすごいなあと。



 南東の堀切を渡ってもうひとつの峰の方へ。もちろん今残っていて私が15分くらいで雑に確認した遺構だけから往時の姿を判断することなんてできるわけないですが、二の郭、主郭ともにそれなりの広さはあるもののただ細長い尾根の頂上部分を削っただけのかなりシンプルというか旧世代的というかなイメージ。そこらの有象無象な土豪ならいざしらず曲がりなりにも将軍家の城だと思うとかなり切ないものがあります(ただし西の峰の郭群を合わせると縄張りの古さはともかく規模としてはそれなりのクラスではある)。まあ、そもそもこんな京都盆地という土俵の俵の真上まで将軍家が追い詰められてるという時点でかなり終わってる感がありますが。



 主郭南端の土塁。



 城域南端の二重堀切。実はこの城、日本初の対鉄砲防御として三重の堀切と間に石を詰めた塀を備えた、と記録にはある(記録上日本初の鉄砲実戦使用様もこの城の麓)ようですが、これがその堀切の方の痕跡でしょうか。とりあえず連続しているのはこの二重分しか見えないように思いましたが、単に今は失われただけなのかもうちょっと南に行ったところにもう一つあった堀切らしきものも含めて三重なのか、それとも対鉄砲防御とされたものはこれとは別に山腹かどこかにあったのか。とはいえ対鉄砲防御というのはどうにも心もとないなあ、という感も。今は残ってない塀(板塀なのか土塀なのかはたまた土塁なのかもわかりませんが)のほうが本命か、などと思いつつ、このまま尾根道を南進して大文字山の方へ。

 …と簡単に書きましたが、このあたりなまじ人里に隣接している上に現役で利用されまくっている山なせいで説明もなにもない道が縦横に走っていて軽く不安になったのは秘密。昔ボーイスカウトでこのあたりに来たときに他の班が迷った挙句比叡平に出てヒッチハイクで帰ってきた、ということがあったりしたのですが、今この歳になってそういう事態に陥るとどっかの崖から身投げしたくなるところでした(笑)。



 そんなこんなで大文字山の三角点到達。 …実はこのあたりも城跡、というか近江から京都に侵攻する(またはその逆)際の陣城として使われていたっぽい(如意ヶ岳城)。




 多分この山頂部分が主郭、北側に見える段々状になった小平地が腰郭群、京都側から登ってきたときに通過する山頂直前の平地も郭跡でしょう。昔登ったときはなんだか広くて見晴らしよくてお昼のおにぎりがおいしいなあ、程度にしか思ってませんでしたが、さらに昔はある程度の数の軍勢が駐屯したり休息したりしてたこともあったのかもしれません。おにぎりおいしいと思ってたかどうかはさておき。



 三角点から少し東、如意ヶ岳側(城の名前は如意ヶ岳城ですがこの山は大文字山。微妙にややこしい)に行ったところには道を挟んで土塁と堀切が明瞭に。中尾城といい土塁の規模に関してはこのあたり、なかなかのものがあります。腐っても将軍家や六角、細川といった名門の手が入ってるからというべきか。



 帰りはザ・バーニング・ビッグ(今適当に命名したのは言うまでもない)こと大文字の火床方面から素直に下山。天気もいい5月の土曜日だけあって、火床までは親子連れ・熟年・学生とありとあらゆる種類のハイキング客でごった返してました。ちょっと奥に入って道を逸れたら森閑とした山道が繋がっているとは思えないくらい。そんな感じで9時くらいから登り始めて12時に下山、四条のとらよって漫画買ってマクドでコーラのグラス貰って帰宅。

今日の日帝日記 5月20日(金)


 大帝国、面白いけど周回プレイを支えるモチベーションって結構低いっすよねこれ。まあ、アリスのこの系列が自由度一見高そうにみえて実はほとんどないというのは分かりきってたことですが。一周一エンドよりはある程度セーブから分岐させたほうがいいのか、クリアボーナスもそこまで至れり尽くせりというわけじゃないし。

 …とか文句言いながらも今日も使える時間が全部大帝国で溶けた。あかん、ターン制のゲームはやめどころがみつからん。

今日の風呂日記 5月19日(木)


 シャワー浴びてる時に眺めた壁のあまりの汚さを見るに見かねて、そのまま風呂掃除モードに突入。2時間くらいかけて驚くほど真っ白にしてやったぜふはははははーっくしょん。

 …どうせすぐ梅雨に突入してまた元に戻るんでしょうけど。というか掃除した当日に弟がきったない入り方していて軽くピキピキ(わりとよくあること)。

今日の平穏日記 5月18日(水)


 特に何もない週の中日。

今日の交流日記 5月17日(火)


 あれ、野球もう交流戦? 毎年といえば毎年だけどようやっと始まって落ち着いてきたかなーというときに始まりますねえ。

今日の母校日記 5月16日(月)


 どこのローソンでも団扇の律とムギは余ってるらしいと聞いたので母校近所のローソンとか覗いてみたら、団扇はおろか関連する物品が完全に消滅していた。さすがは我が母校。生徒の残念性には定評があるなあ。

今日の降臨日記 5月15日(日)


 破壊神ほぼ月一の降臨により午前更新。

今日の敗残日記 5月14日(土)


・うめてんてーのまどか同人誌攻防戦は10時15分に京都とらについたけど敗北。うぎぎ。 …いやまあ、なんとなく想像はしてましたけどね。日付変わった瞬間の通販サイトでの戦いに敗れた時点で。再版されんのかなあ…

・チロルチョコの新しいのを試すのが趣味の妹が「ローソンで売ってたなんかアニメのチロルチョコ、何味か気になるけどお兄ちゃんまさか買ったりしてる?」とか聞いてきたので手持ちの中から包装めくって渡すと大変に複雑な表情をされる。 …わかってて聞いたくせに。あとレシートありがとう(もらうんかい)。

今日の帝国日記 5月13日(金)


 ようやく念願の大帝国開始。暫く世に戻らぬ。

今日の返信日記 5月12日(木)


 メールフォームより、驚きの二通。ありがとうございます。ありがとうございます。まずはななしんさん。

 覚せい剤の医者の医院が、モロ地元で笑った
行きつけじゃないけど、何度も目の前通ってる


 それはまた奇遇な… というか、行きつけでなくてよかったといいますか(笑)。これが知り合いレベルまで近いとそれはそれで厄介ですが、通り道くらいならまあ、ですよね。

 ついで無記名さん。

キングアラジンのモノマネですね。わかります。

 だ〜いじゃうぶ。ま〜かせて。 ……あとから考えたらそこまで完全に風化してるわけでもないかなー、とも思ったりしました。 …しかし実際に実演されると、その、キモいですねこれ(笑)。

今日の降雨日記 5月11日(水)


 雨ー。やまねー。 …そして試合がないうちに某球団はかつての定位置へ舞い戻る。いや、まだ前世紀末のことを思い返せばなにも動揺する必要はないんですけど。なんか黒いのもついてきたし。

今日の団扇日記 5月10日(火)


 電撃の新刊買ってきたり、ローソンでうっかり団扇を6枚ほど回収してきたり。 …ほらあれだ、節電対策という奴ですよ。 …反・反原発の立場から節電運動に協力する気ないですけどね。贅沢は素敵だ(なんらかのトラブルで美浜あたりも止まりかねないフラグ)。

今日の返信日記 5月9日(月)


 メールフォームでネタ投稿いただいたものの更新時期を逃したのでこちらで。無記名さん、ありがとうございます。

スタントアワーズ受賞会場〜世界最強のスタントマン達〜
スタントさん達のプロフェッショナル性は異常。


 プロフェッショナル性といいますか、普段どういう訓練をしたらこういうことができるようになるのかなあ、とは常々。そもそもこういうのって訓練したらできるようになるもんなんでしょうか。それこそ忍術… ってそうか、スタントマン=NINJA、ですか。それなら納得。

 …って納得していいのか、おい(笑)。

今日の例大祭日記 5月8日(日)


 前夜に布陣先家主と地ビール等を10本以上空けた影響でふらふらしつつ、例大祭へ。

 相変わらず人出は相当な量でしたが、覚悟していたよりは随分と動きやすかった、ような。本家のCDも完売5分前に滑りこみで買えた(先に2、3の方に配置されていたので開幕1限と知ったときは若干焦りましたが)し、なかなかいい感じのイベントだったなあと。陽射しはもう夏かよと思うくらい厳しかったですが、風はあったのでなんとか助かりましたし。

 唯一ややこしかったのは3月時点の新刊と本日頒布開始の正真正銘の新刊が混在し、場所によっては3月時点のものは全部委託に回して今回持ってきてないというサークルなどもあったりして共闘する友人連との調整が厄介だったこと、くらいでしょうか(笑)。さすがにこれは今回だけの事象のはずなのでいいんですけど別に。

 その後はとある方々と新大久保で韓国料理など食べて新幹線で当日帰宅。はじめて足を踏み入れたのですがあのあたり、確かにまわりとは全然空気が違いますね。まあ、チャイナタウンやらコリアンタウンなんてニューヨークなりの大都市にはむしろあって当たり前のエリアなのでその事自体には別になにも思わなかったりします。というかこういう場所でさえ薄汚くないあたり、日本ってすげえよなあと。表現に問題ある気はしますが。

今日の移動日記 5月7日(土)


 某氏移動中…

今日の東下日記 5月6日(金)


 例大祭ということで明日には東に出陣。冬コミ以来の東下りなので3月11日以降のそちらの雰囲気を結局まだ体感していないのですが、やはりまだどこか以前とは違うところがあるまま固定されてるのでしょうか、と西の人間としては思ったりしつつ。それでは参加される皆さん、現地ですれ違いましょう。

今日の牛肉日記 5月5日(木)


 …なんかニュースでユッケユッケ連呼されてるせいでユッケ食いたくなってきた。そういえば昨日の夕方、MBSで芸人の人らーが大阪の店でおもいっきりユッケ食う番組やってたのですが、流してよかったんでしょうか、あれ。

今日の鯨肉日記 5月4日(水)


 今日の晩飯は鯨ー。かかってこいや牧羊犬の土左衛門共ー(挑発してどうする)。

今日の舞鶴日記 5月3日(火)


 延々ゲームばっかして硬直しきった体をほぐすべく軽くお出かけ。目的地は丹後国舞鶴、今回が初訪問。同じ府ではあるものの、府南部に位置する真首都からすると完全に別の地方というイメージなんですよね。正直、まだ大阪とか滋賀とか奈良といった他府県のほうが身近というか。令制国的にいえば丹波一国間に挟んでるから隣国でもなく、なにより交通の便が… 山陰線も園部までは最近はそれなりに使える路線になってるとはいえ、その先は完全にローカル線だからなあ…

 というわけで二条駅を0644発、その山陰線(と舞鶴線)の普通列車で3時間弱(待ち時間30分含む)かけて東舞鶴へ。舞鶴といえば明治に鎮守府が置かれて以来日本海防衛の要たる軍港都市(一時期要港部に格下げされていた気もしますが、無視する方向で)、第一目標はもちろん海上自衛隊舞鶴基地。駅前からのバスに乗って自衛隊桟橋停留所まで移動。



 この基地は平時なら土日祝は岸壁のみならず一部艦内まで一般公開しているという素晴らしくオープンな基地らしい(航空隊のほうも公開してるとか)のですが、ご存知のとおり今が非常時じゃなかったらいつが非常時なんだという事態が東のほうで起きてしまっているわけで、ここのところ一般公開は当面休止。ただこの連休は岸壁のみ公開する(艦内には上がれない)とのことなので今回の目標とした次第。



 さて、では早速泊まっていた艦に。まずはこの日いた中で最大の大物、「あたご」。言わずと知れた新鋭イージス艦。数年前の事故で世間的には悪名も高かったかもしれませんが、そんなの私の知ったことではありません。



 艦尾。最近の艦艇は艦尾がずいぶんシンプルに角張ってるんですねえ。



 艦橋。やっぱイージス艦の艦橋はでかい。のっぺりとした平面でシンプルに構成されているようなイメージがありますが、前面のCIWSが置いてあるあたりは意外に起伏に富んでいる感があります。



 ステルス性を考慮という奴でしょうか、平面構成のマスト。



 入り口も開閉式。



 ただ、内部の装備にまではステルス化の波は及んでないみたいですねってそれ当然。というわけであたごリヤカー。



 岸壁の一番奥にいるのは「ひうち」。艦橋他の前部の構造物の大きさと一段低くてフラットな後部甲板とのギャップが面白いですが、角度的に全体シルエットの撮影はおあずけ。



 艦橋にはこのような幕が。ぐぐったら現地での 活動中の写真も出てきます。 …その活躍ぶりには本当に、頭を下げざるをえません…



 その「ひうち」搭載の自走式水上標的。



 他に停泊していた護衛艦は3隻とも第14護衛隊所属の「はつゆき」型。まずは「みねゆき」。「はつゆき」型もそろそろ結構なお年なわけで、この「みねゆき」も近々退役予定だとか。 …1982年進水ということは私と同い年ですか… それがもういいお年で退役間近とか、いろいろ思うところはありますね… いやまあ、どこぞのB-52みたいに老骨だろうがなんだろうがまだまだまだまだ現役であるぞ、3世代4世代続く由緒正しいパイロット一族がいるぞみたいなのもそれはそれでどうかと思うのですが(笑)。



「あたご」のそれと比べるとやっぱり無骨というか古式ゆかしい感じの艦橋とマスト。もちろん、これはこれで非常にいいよなあと思うのはいうまでもありません。まあ、私が一番好きな艦橋構造物は「扶桑」&「山城」のそれなんですけどね(よくある悪趣味告白)。



 なんかひっそりといるピクルス王子ェ……



 こちらは「まつゆき」。



 その主砲。



 最後に「はまゆき」。





 短かろうが長かろうが魚雷っていいものですね。



 ペンキ塗りかなにかの作業中。舷側なんかの広い面を塗るのも大変でしょうけど、こういう細かいところをちまちま塗るのも大変そうです。



 単縦陣を組んで岸壁に憩う4隻。いや、岸壁に横付けしたまま輪形陣組んでたりしたらそれはそれで非常に恐ろしいんですがってかどうやるんだろうそれ。



 対岸には定期検査中の「すずなみ」と「みょうこう」。のちほど遊覧船でもっと接近します。



 ミサイル艇「はやぶさ」(岸壁側)と「うみたか」。



 推進システムはウォータージェット。最近はややなりを潜めているものの、今度また久しぶりに某国の不審船が出没してきた場合44ノットで爆走して追い掛け回す…筈。



 ということでこの下で煙草とか吸ってはいけません。



 ステルス楯、ってまんまやがな。わかりやすいなあ。



 がっしりと太短いマスト。あ、結構萌えるかも、これ。というかステルス楯といいミサイル艇、全体的に。



 隅っこにはタグボートとか、



 油船(YO)、水船(YW)、油(軽質油)船(YG)といった支援船が。油船、扱ってるものがものだけに船橋に火気厳禁と対処されてますね。

 岸壁からはこれで撤収。次は舞鶴地方総監部の中にある海軍記念館へ。



 旧海軍機関学校大講堂を利用した海軍記念館。広瀬中佐や第6潜水艇の佐久間艇長の書状が展示されていたり、当然初代舞鶴鎮守府司令長官、アドミラル・トーゴー関連もいろいろ。

 …ところで舞鶴、街全体が海軍・海自の町であることを町おこしのネタとしてアピールしていて、その象徴として東郷元帥を結構全面に押し出しているように思えるのですが、確かシバリョー先生の"A cloud on the slope"などでは「東郷は 閑 職 の舞鶴鎮守府司令長官から連合艦隊司令長官に抜擢された」的な描写があった、ような。 …いいんでしょうか、閑職扱いされている件については…



 さておき、おそらく総監部の本館であろうと思われる建物も眺めてから、次の目的地へ。



 これもまた海軍の遺産であるところの赤れんが倉庫群を眺めつつ、東へ。次は遊覧船に乗って、今度は海上から今見た艦艇群を見ることに。

 …が、ちょうどタイミングよく船が出てしまった直後だったので、発着地点真横の赤れんが博物館(むしろ赤れんが博物館の横に発着地点があるというべきか)で時間を潰すことに。



 この建物も元は海軍の魚雷庫。舞鶴は駆逐艦のメッカだったということもあり、ここで調整された魚雷がソロモンで猛威を振るったりバタビア沖で今村中将に海水浴をプレゼントしたかもしれないと思うと胸が熱く… 後者については黙れ、ですね、はい。

 この博物館は建物が赤れんがであるだけでなく、中の展示も単純明快、れんがについて。マジで「どこそこのれんが」として世界各地のれんがが並べられまくっているのが大半というシンプルかつ豪快な内容なのですが、そのコレクションが古代エジプトやらメソポタミアから英国の宮殿、果てはアウシュビッツやらスターリングラードやらクレムリンにまで及ぶとなるとこれはもう敬服せざるをえません。展示物本体を見ただけではやっぱりなにもわかりませんけど(笑)。

 ひとしきり時間を潰して15分ほど前に船着場に戻ると、既に結構な人が。連休だからなのかなんなのか、満席になるくらいには客がいました。まあ、どうせ写真撮るために座ってなんかいられないので席の確保に失敗したのはいいっちゃいいんですけど。あ、ちなみにこの遊覧船は土日祝の1130と1230発(ゴールデンウィークは増発中)、大人1000円。どちらかというと右舷のほうが見やすいかも。



 自衛隊桟橋の方だけじゃなくてこちら側にも掃海艇が。680のほうが「ながしま」。675のほうが「まえじま」。



 ちなみに木造船。



 岸壁からは全体像が撮りにくかった、「ひうち」。

 実はここまではまだ船が動いてなかったのですが、いよいよ出航。



 訓練用のカッターでしょうか。



 岸壁対岸の造船所にて定期検査中の「すずなみ」。





 マストを足場で囲われてると、現代艦というより大戦時の艦みたいな印象になりますね。



 ドックに入渠している「しらね」… の、はず… ガイドのおじさんの声がエンジン音にかき消されて聞こえなかったので断言はしません。この艦も相当高齢な上に火災も起きてたりして退役もそろそろ考えられてる、のでしょうか。その場合22DDHなり「ひゅうが」「いせ」なりの空母っぽいどが舞鶴にやってくることになったりするのかなあ。 …その時はもう一度来てその姿を拝まねばw



 これも検査中の「みょうこう」。



 下地なのか錆止めなのか、検査中はこんな色なんですね。



 後甲板には仮設のテントが。



 なんとなく深海魚とかそういうのを連想させる(させないですかそうですか)けったいな船。三光汽船のオフショア船、か?





 支援船ズ。岸壁側に戻ってきました。というわけで以降しばらく面倒臭くなったのでさっき説明したので写真だけ。













 ふー。

 これで東舞鶴エリアの見物は終了。全体的にこじんまりとしてはいますが、その分極めて近くまで接近して自衛艦を見物できるという点で非常に素晴らしい場所でした。また平時体制に戻って艦内まで公開されるようになったら再訪したいものです。とりあえず今日のところはバスに乗り、今度は西舞鶴方面へ。こちらは明治以降建設の軍港都市東舞鶴とは違い、昔からの城下町。山を隔てて毛色の違う町が二つ合併して舞鶴市になってるんですね。ともあれ、目的地はちょっと遠いので駅の観光センターでレンタサイクルを借り、発進。



 目的地はちょっと遠いので〜とか言っときながら駅から5分で止まっていますが、別にこれは当初の目的地への到達を放棄したわけではなく、ここもまた目的地の一つだというだけのこと。田辺城、戦国の海原雄山こと細川幽斎が関ヶ原の戦いの際に籠城、善戦のち古今伝授パワーとお上の願いの合わせ技という西軍側からすればデカルチャーとしかいいようがないような切り札を発動させ、名誉ある撤退を成し遂げた戦いの舞台。優勢だった西軍側としてはしまらない結果だった上、この城を攻めていた1万5千の西軍分遣隊は関ヶ原の本戦には参加できなかったわけで、どうみても要衝であり落とさなければならないのが確定している大津城なんかと違って福知山に3〜5千ばかり入れて牽制しとけばよかったんじゃないか、と思ったりするのは多分、よくある関ヶ原の本戦がたった1日で終わってしまったことを知っているがゆえの結果論でしょう。大体丹波・但馬の中小諸侯連合軍1万が仮に本戦にいたとしても南宮山で宰相殿のエアランチタイムの巻き添え食って滞留する兵力が増えるとか、小早川隊のどさくさに紛れて大谷刑部に殴りかかる隊が増えて刑部が余計涙目とか、なんとなくそういう結果になりそうな気もしますし。

 なお、遺構の残り具合については市街地の平城なのでお察し下さい。この櫓も模擬、大手門も復元されているものの場所が往時とは違うとか。それは別にいいんですけどたぶん昔は堀がありましたよーということを申し訳程度に表現していると思われる浅い池があるのが、なんか余計に切ないような。



 とはいえ、一応天守台も残っています。あと、なんとなく同じく細川氏ゆかりの勝龍寺城とも似たような雰囲気を感じました。 …まあ、それは単にどちらも市街地の城跡公園というテンプレにはまっているだけの話で、見ている私の側が勝手に細川所縁という共通点を見つけて納得しているだけだという説が濃厚ですが(笑)。



 さて、こんどこそ本日の最終目的地、目指すはあのわかりやすい形をした山(いわゆる郷土富士らしい)。丹後一色氏の本城、建部山城。西舞鶴駅からチャリで30分弱。獣避けなのかトタン板でフェンスがしてある登山口から突入。



 毎度おなじみ信長の野望やら太閤立志伝でもレギュラー張ってる城ですが、後世の改変を受けてぱっと見て分かるような遺構はないっぽい(続きの尾根を進めば出城とかあるらしいですが、ヘタレの私にそこまで出来るわけないやんってかこの時点で3時半、リミット近いがな)。さらには登山道もその後世の改変により直線多用・傾斜緩やか・幅広めという非常に歩きやすい状態に整備されていたりします。大抵どんな低山でも一箇所二箇所はちょっと登る前に深呼吸しようかと思わせるようなつづら折れの急傾斜とか足場不安定な岩場とかあるものですが、そんな難所が一切無く休憩を入れるタイミングを逸したまま早足で登り切ってしまう程度に快適なハイキングコースでした。



 じゃあなんでそんな山わざわざ登ったんだといえば、その改変者が帝国陸軍で、遺構ぶっ壊したあとの用途が舞鶴要塞建部山堡塁であった、ということだったりするわけです。ある意味遺構破壊したというか300年を経て最新技術で再び城として機能するように蘇らせたというか。戦国時代も明治時代も変わらず価値のある山だったということでしょう。



 ということで残っているれんが積みの地下弾薬庫。立地などは全く違うもののサムター要塞を彷彿とさせるところもあるかも。 …というかこの時代の要塞とかの遺構はそこしか行ったことがまだないわけで、他にもっと適切な例もあるんでしょうけど(笑)。



 内部。若干水や落ち葉は溜まってますが、歩きにくいというほどでもなく。

 弾薬庫横の階段を登ると、上には砲側庫と12センチカノン砲の砲座が。



 砲側庫。屈折した入り口と銃眼、なんでしょうか。



 砲座は特に掩蔽したとかいうわけではなく、胸壁の出っ張ってる部分に砲を配置しただけっぽい。



 弾薬庫に繋がってるであろう竪穴。換気口か何かでしょうか。



 眼下に舞鶴の町と海が見えますが、こちらは裏側。この堡塁が狙ってたのは由良川方面だったようです。

 そろそろレンタサイクルの返却時間も迫ってきたので撤収、17時前に西舞鶴駅着。帰りはさすがに疲れたのとちょうどいい時間にあったのとで綾部から特急に乗って7時過ぎには京都着。しかし、海行ってチャリ乗って山道ダッシュってこれ、トライアスロンですよねえ。いや海では泳いでないですけど(笑)。



 おまけ。上でも言っていた舞鶴の東郷アピールの一つ、東郷源水。ビールだけではなく(あの伝説の真相については知ってますからあしからず)水にまで名前を使われる東郷さん。元帥から源水は人事として降格のような気もしますがっていうか元帥から昇格というのもなかなか考えがたいですがそこら辺怒らないのか東郷閣下。 …ま、まあ、エロゲの主人公に名字流用されるのに比べたら問題なんてなきがごとしですか… 早くプレイしたいぜ大帝国…



 もう一つ。肉じゃがの起源については旧鎮守府同士の舞鶴と呉が双方我こそがと譲らず熾烈な論争を繰り広げているのは周知の事実だと思いますが、その戦いの徴表が今ここに。ポーツマスとの姉妹都市提携というそれ根拠には別にならんよなあといった話まで持ち出した上で、「肉じゃがの発祥地は、舞鶴です。」と濁点付きで断言するあたり、この件に関する舞鶴の誇りと自信と意気込みが表れていると思います。

 そこまで自信満々に主張しておいて繰り出してきた中身が肉じゃがクッキーというのはいかがなものか、という気もいたしますが。 ……なにより納得できないことはですね、その、 ……これ、結構いけるぞ……?

 なんかクッキーのほのかな甘さと、後味の醤油&玉ねぎ&牛肉の香ばしさが意外にマッチしている、ような。いや、肉じゃががビーフシチューの突然変異であるとするならば、そこに小麦粉やバターが加わることにはなんの問題もないこと、といえなくもない、のか……? それともこんな物を開発までしてしまえるのが発祥の地の伝統に培われた技術力なのか……

 これはライバルたる呉では一体どんな超肉じゃがが開発されているのか、果たしてそれはこのクッキーをも凌駕するものなのか、確認しなければいけませんね。 …あ、でもキャラメルとドロップだけは勘弁な。もれなく地雷だから。

今日の暗殺日記 5月2日(月)


 ビンラディン暗殺。歴史を大きく変えたテロから10年、その間ずっとかの国を悩ませてきた象徴を抹殺できたとなると、あの国の国民の歓喜は分からないでもなく。頭ではこれですべてがハッピーエンドになるわけではないと理解していたとしても、感情部分ではああなっちゃうよなあ、と。そもそも白い家の前で騒いでテレビに写ってた連中はそこまで深く考える頭を持ってる層なのかどうかというきもしますが、そこはおくとしても。

 …で、このビンラディンは何号機?

今日の皐月日記 5月1日(日)


 気がつけば連休に突入しているっぽい。来週の延期例大祭に出陣する関係上1泊以上の作戦行動はやってる余裕が無いですが、どっか日帰りで行ける範囲をうろつくかなあ。早く大帝国にとっかかるために神採りのクリアに全力投球すべきとはいえ、いくらなんでもそれしかしない(しかも終わり次第大帝国に着手予定)のは不健康にすぎますし(笑)。
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