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ばっくとぅとっぷ

今日の年度末日記 3月31日(土)


 さらば2011年度。

今日の遊本日記 3月30日(金)


 先週発売のエロゲ、Thief and Trollが面白かったり。懐かしのゲームブックスタイルで冒険してる感満載なのが大変素晴らしいです。アレシーンは潔いほどに残虐系一辺倒ですが、だがそれがむしろ最高。

 が、なまじっかのボリュームのあるこのスタイルは面白い反面、シーンやCGを回収しなくてはいけないエロゲというジャンルの特質とは相性が悪いというか難易度が高いというかシーンが埋まらない埋まらない(笑)。実はここ数日エクセル導入してルート記録までしながらプレイしてました。最終的には自力で9割5分まで埋めたあたりで某所に攻略記事がアップされたのでそれを見てとどめ。CGコンプで達成感を味わったのはかなり久しぶりです。前述の通り基本というか完全に酷い系のシーンしかないので人を選びまくるので誰にでもおすすめはしませんが、そういう気のある外道な方々は見かけたらどうぞ。

 さて、次は今日届いた英雄*戦姫かドラクリオットか。

今日の空隙日記 3月29日(木)


 平日が過ぎ去ってゆく。

今日の空虚日記 3月28日(水)


 年度末の

今日の空白日記 3月27日(火)


 特になにもなく

今日の乱読日記 3月26日(月)


 現在読書週間に入っております。ゲームとか全然進まねえ。そして届くオーフェン新刊。乱読が積みタワー崩しに直結しないこのサイクル。

今日の襲来日記 3月25日(日)


 破壊神様が襲来してカレー食って帰ったので混乱する。一回休み。

今日の読書日記 3月24日(土)


 終日ほぼ全力で読書。つっても図書館で借りてきた歴史ネタの本だったりするのでラノベタワーの削減には一切寄与していない…

今日の土産日記 3月22日(木)


 我が愛すべき後輩(なにしろ春からお医者様である。将来のことを考えると、ほら、ねえ←大変クズい先輩)LDB氏から、各地を旅行してのお土産を色々いただく。



 ロシア名物としてお馴染みマトリョーシカ、ソ連指導者版。やや略式ではありますがそれもそのはず、買ったのはロシアでじゃなくてベルリンの東側系グッズの店でだとかw ちなみに彼、諸般の事情によりシベリア送りになったこともある(前日記に書いたっけか)ようですが流された先の町はさすがに田舎だったのかこの手の土産物屋はなかったっぽい。



 いかにもな北海道土産であります。



 ってこれは一部では有名なあの萌え昆布の…?

 というわけでどうせ見てると思うのでLDB氏、大変有難うございます。この借りは必ず返す(旅先でヘンな物を見つけたら)w

今日の疲労日記 3月21日(水)


 …これが嫌だからいつも遠出は日曜にしていたのに… ということで昨日の疲労を引きずり活動低調。はぁ… ねっむー。

今日の伊賀日記 3月20日(火)


 月例城巡り。今月は畿内近辺の令制国で唯一手が及んでいなかった「隠し国」伊賀方面へ進出。これで私も晴れて管領を自称できるというものです、信長の野望的に(一部作品における例外を除く)。自称してどうなるもんでもないけど。

 朝、携帯のアラームが鳴らなくて危うく予定の時間に起き損ないかけたりしつつも何とか間に合って出発。自分で止めたのに、というお約束パターンではなく寝る前にケーブルつないで充電始めていたはずなのになぜかされておらず電池残量ゼロ… のケース。ごくたまに、それも遠出や重大な用件の際を狙って発症するのですが一体なんなのやら。幸いというか遠征の際の嗜みで既に充電しておいた予備電池に切り替えてはしたのですが、当初想定よりも電池節約に努めなければならない状況に変わりはありません。

 移動経路はJRで京都→草津→柘植→伊賀上野。なお柘植駅や伊賀上野駅はICOCA利用可能圏内ではありません。 …なんで特筆したかはその、わかりますよね? …だってさあ、切符売り場の近距離切符の運賃表図に名前がない程度に遠距離なら警戒もするけど、名前載ってたらうっかりああ別に大丈夫だなーとも思っちゃうじゃん、今時… 別に窓口で一声かけて処理してもらえばいいだけどの話ではあるけれども…

 そういやちょっと前も笠置かどっかで同じ罠に嵌ったことがありました。そうか、関西本線(除大和路線)方面に出かける時は気をつけなきゃいけないんだな。 …ってどうせ次来る時もさっくり忘れてそうな気がする… つうかまだ非電化区間でもあるんですね、関西本線。本線なのに。

 

 柘植駅の投句箱。伊賀はニンジャの国(市長自ら時にニンジャとなってこれまたニンジャ王国な隣の甲賀市の市長とニンジャ対決してみたりニンジャ議会が開かれたり)であると共に俳聖松尾芭蕉出生の地でもあります(ってこの2つは半ば同じ事のようなものですね。だって芭蕉自身が忍j:どこからともなく飛んできた手裏剣に腕を穿たれてこれ以上記述不能)。 

 しかしこの投句箱の文面、わざわざ3行に分けて書いてるあたりは俳句を意識しているように思えるのですが、その割にはなんかこう、工夫が… もう少し五七五に近づける努力とかないものでしょうか。特にでだしの「ここが」。

 

 JR伊賀上野駅は市街からは少し離れた場所に位置するので、伊賀鉄道で上野市駅まで移動。妙に睫毛が長く眼力の強いニンジャ列車に乗って。これが本当のにんじゃへっず(明らかに違う)。どこかで見たタッチだと思ったらやっぱりレイジ・マツモトデザインなんですね。

 

 かわいいニンジャ列車もいます。

 

 上野市駅でお出迎えするニンジャ。ポーズについては敢えて問うまい。

 

 上野公園(上野城)入り口と公園内のトイレにもニンジャ。

 

 城内を行き交う子らも皆ニンジャ。子供用忍者装束の貸出とかしてるっぽい。

 

 …などとニンジャに幻惑されているうちにいつの間にかたどり着いた伊賀上野城天守。昭和初期に地元の議員が私財を投じて建てた考証ガン無視の模擬天守ではありますが、木造瓦葺漆喰塗籠の伝統工法で建てられたその姿は築約70年程度を経て今やなかなかの風格を醸し出しており、天守単体でも伊賀市の文化財に指定されていたりします。

 

 そういった歴史の重みも加わって、変に派手すぎたり量産型犬山城だったりすることも多い模擬天守の中ではいい感じのものの一つではあります。が、元は五層天守が建つはずだった(完成直前に大風で倒壊)天守台に三層天守が建っているため、若干バランスが悪いような気もしないでもありません。やっぱりいくら当時の議員とはいえ、一個人の財力では三層クラスが限界だったのか…

 ちなみにこの天守の正式名称は「伊賀文化産業城」。 …なんか、ある意味でそんじょそこらの城よりも格段に「強そう」ですw

 

 天守台の余った部分については塀を回してカバーしているのですが、天守自体は真中ではなく端に寄せて建てられてるんですね。

 

 天守と並ぶこの城の見所、日本一の高石垣! …ですが、案内板を見るとちょっと弱気。実際真の日本一高い石垣は案の定というか大阪城にあるらしいので謙虚というか正直ではあります。 …あ、それでも「一・二」とトップを諦めない姿勢を維持しているあたり、往生際が悪いとも言えるのか。まあ、こういう競争は完全に白黒決着が付くことはほとんどない(関係各所からの圧力などあったりもするでしょうし)わけで、そう言ってしまうのもひどい話ではありますか。

 

 そういうわけで高石垣。おおー、高い高い。

 

 何かが縮むような真下覗き込み。ついふらふらっと一歩前に進みたくなる衝動に駆られますがそれすると死ぬので踏みとどまる。

 

 どこを見渡しても山が広がっている盆地の風景。地元も盆地で山に囲まれているのでなのでどこか心が落ち着きます。見渡す限りだだっ広い平野とか、なんか不安になるねん。



 

 帰りの電車待ちの時間に撮った、外側から見た石垣。

 

 天守の東側、城代屋敷曲輪の石垣。藤堂氏の前の筒井氏時代にはこちらの曲輪が本丸。かつての天守跡には石碑もあるようですがそっちには行きそびれました。地形・標高的には今天守が建ってるあたりよりもこちらの方がいかにも「本丸らしい」立地。西側、今の天守が建ってる方向に城を拡張したのはやっぱり仮想的たる豊臣勢が攻め寄せてくるであろう側の防御を重視した、といった感じなのでしょうか。とはいえ、こちら側の曲輪も城のトップの城代(藤堂氏の平時の本拠は津城で上野城には城代を置く。一藩に二つの城があることになりますが、上野城は「伊賀国の」城なので一国一城令下にあってもセーフ)の屋敷があったということで別に重要性が減っていたということでもなかったのでしょう。

 

 城代屋敷側から見た天守。

 

 上野城は豊臣氏滅亡により築城が中止され、本丸二の丸あたりの主要部分は未完成に終わっています。それでなのかはわかりませんが本丸の内側は石垣積みでもない空堀状態。もちろんこういうのも好きなのでそれはそれで。

 

 伊賀流忍者博物館。いわゆる忍者屋敷とかの展示っぽいですが、おっさん一人で入る施設ではなさそうなのでスルー。

 

 微妙に不自由な日本語が逆にニンジャらしさを醸し出しているといえなくもありません。

 

 仮面ライダー=隊長=せがた三四郎もニンジャ。ホノルル市警もニンジャ。世界はニンジャで溢れている。

 

 城の前にある小学校にて。えと、その、そうですか…

 

 なんでもかんでも伊賀流とつけりゃいいってもんじゃねえぞ、と思われるかもしれませんが、当地では忍術という語は当然の前提として伊賀流の後ろにつける時は省略するのがお約束になっているのです。よってこのうどん・そばも忍術により調理されたもの。粉に火薬が配合してあっていざというときに自爆できたり、もっと安全な機能だと一啜りで300m全力疾走できたりします。 …たぶん。

 さて、これにて市街から離れ、上野市駅前の自転車屋さんでレンタサイクルを借りて田園部へ。目的地は市街から10kmちょっと離れた喰代(ほおじろ)地区。天気もよし、交通量もさほどではなく途中からはほぼ一直線の県道56号線を走るいい感じのサイクリングでした。 …一番最後の目的地付近は上りだらけでちょっと疲れましたが(笑)。

 

 バス停喰代とこの土塁に囲まれた民家がある交差点が地区到着の目印。言うまでもなくこの土塁はかつての土豪の館跡、民家は(これは推測)おそらく子孫の方が住んでおられるのでしょう(安場氏館。安場氏は江戸期には庄屋であったらしい)。

 

 さて、伊賀国は古来より独立性の高い小領主たちがそれぞれささやかな館を築いて蟠踞し、その数は250とも500とも言われるほどの城館密集地帯であるとされています。で、今回巡った城跡の位置と城跡の密集具合そのものを示すために地図に位置を示してみたりしました。2万5千分の1地形図を縮小していますが画像全体で約1.5km×2km程度の範囲、赤の点が実際訪れた城で青は候補に入れていたけど行けなかった城。もちろんここに示した10城だけでなく実際にはもう少し表記漏れしている城があります(現地の案内板には図に示した喰代・蓮池地区だけで14城とあった)。 なるほど、たしかにこれは密集してるなあ。まるで冬の河原の石の裏の虫のよう… というのは少々というかかなり例えが悪いけど。ちなみに別の地区には敷地が隣接した、文字通り隣の館と接している辺の土塁を共有している館、なんていうものまであるようです。 …ある意味平和で微笑ましい小世界だというべきか、そんなごちゃごちゃしまくった状態信長ならずとも一度綺麗に整地してすっきりさせたいというべきか、難しい所(笑)。

 

 さておき、Aの安場氏館から南下、Bの百地丹波城へ。百地氏の菩提寺、青雲寺を目指せば案内板があります。



 

 名前の通り信長の野望三大忍者のうち、弱小プレイの時などたまに頼りになるものの大抵の場合一向に仕官してくれなくて鬱陶しいことで有名な百地丹波守の居城(なお丹波守三太夫別人説などという話は気にしない)。そのような有名人の城だけあって説明板や石碑など、この地域の城の中では破格といっていいほど整備されています。



 

 自然の丘陵を切り込んで土塁とした、という話もある高くて重厚な土塁。それによる昼なお薄暗い雰囲気は城や館というよりは砦、といったイメージがぴったりかと思います。まあ、元は青雲寺の敷地など周辺にも曲輪や出丸があったと思われるため、今の様子から「いかにも忍びの隠れ砦のような〜」とか言っちゃうとちょっとアレなところはあるのですが。北東と南の虎口はよく残っていますが、構造としては単純な平入り虎口っぽい(北東の方は若干土塁が内側にも延びているのでそうとも言えないか)。

 

 現地案内板の縄張り図。

 

 今は道になってますがかつては空堀だった、のかなあ。

 百地丹波城にてニンジャの襲撃を警戒しつつ昼飯をとり、次の目的はCの和田氏城。なお、以下訪れる5つの城は全て来歴等詳細不明です。○○氏城となっているところはああ多分○○さんちの城だったんだなあと分かる程度。

 

 道沿いの休耕地(あるいはこれも昔は城地か)の背後にあるこの林というか竹藪というかが城跡。前述の通り百地丹波城は例外中の例外で、あとの城はだいたいこのように竹やら木やらでわけのわからない状態になっています。なにしろ写真を撮った私自身が今整理段階になってこれは何を写したものかと頭を抱えて…

 って山城行ったらいつも大体そうですね。今更今更。



 

 堀切によって分断された小規模な主郭と二郭が中心の城ですが、主郭を北から西にかけて囲む空堀は明瞭に残存。土塁も確認したはずですが、写真が…

 どんどん行きましょう。次、喰代氏城(D)。近くまで行ったものの突入経路がわからずたまたま通った地元の方に教えを請うた所、城のすぐ隣の家に住んでおられる方で道案内していただき、なんとおうちの庭を通って城に入らせていただくことに。聞けばたまに同好の士が私と同じように城を探しに来ることがあるとか。まあ、こんなところ(と言っては失礼ですが)までふらふらやってくるよそ者なんてこの道の人間くらいだろうなあ。

 

 誰かが吊るした小さなプレートがあったことから、このあたりが喰代氏城主郭か… とその案内の方もおっしゃってたのですが、他の方の訪城記によると郭と大規模な土塁の存在などに言及されているため、これは土塁の上で南側に降りたところが真の主郭であるという可能性がかなり高いです。ただ、見事に竹藪化していたので案内の方が目の前におられなくて自由に行動できたとしても下まで降りたかというと、ちょっと(笑)。

 

 主郭と二郭の間の堀切。

 

 多分土塁。



 続けて喰代氏城から道路と畑を隔てたすぐ向かい側の尾根端にある奥氏城(E)。城跡を囲うように防獣柵が設置されていますが、先ほどの地元の方から開けて入っていいよとお墨付きを得ているので堂々突入。  

 

 帯郭的な平坦地。

 

 主郭虎口前(西側)には外枡形… とまでは言えないまでも土塁によって防御された小郭が設けられており、このあたりの城の中では一味違う輝きを放っています。



 

 主郭土塁。この城に限らずどこの城も縄張りの単純さと比べると土塁の規模の大きさが目立ちます。このあたり、構造がシンプルだからこそ余計に豪快さが映えて後世見ている我々からすると妙味と映るところですが、どうも「最新技術とか機能はようわからんけど近所の連中みんなここにだけは手ェかけとるからうちもこれだけには金かけて負けんようにせなあかんのう」みたいな感じで横並び一点豪華主義に走ってる小金持ちの田舎のおっちゃん的メンタリティの発露のようにも見えて微笑ましくもあったり。

 

 南側土塁上から主郭内。写真右、東側はその下草の具合が激しく遺構確認不能。

 

 出入り口に戻って。自然地形のような気もするけれど大土塁という可能性も。微粒子レベルよりは高い、かな?

 次は入屋敷城(F)。道沿い、一軒だけ目立つビニールハウスめがけて東進してそこから畦道を南下すればすぐ。

 

 畦道のどんつき、一見してそれとわかる土塁。 …わかりませんか。わかりませんよね。虎口っぽいものは見つけられなかったので土塁を登って城内侵入。

 

 典型的な伊賀の城っぽい方形単郭居館ですが主郭内部はかなり広い。規模的にはなかなかのものといえましょう。

 

 土塁。

 

 東側空堀。堀底には防獣柵。そういえばこの日は害獣駆除でもやってたのか一日中銃声が聞こえていました。若干不安に思いつつも音のしていた方向が現在地から北西側で一定していたのと、城跡のあるあたりは完全に人里のそばなのでここまではこないだろうと判断して探索続行していましたが… 気をつけなきゃな、こういう要素も。警戒しすぎると春夏秋冬いつの時期にだってそれなりに危険要素はあるからなにもできなくなるとしても。

 このあたりで3時を過ぎたのでそろそろ離脱方向に。最後に県道沿いの大北東城(G)を行き掛けの駄賃というやつにして伊賀上野市街へ帰りましょう。

 

 …と思って城地に入っては見たのですが、ううむ、こいつは… 木や竹が林立してるのはいいけど、やっぱ下に笹とか生えてると突入難度が跳ね上がるぜ…

 

 というわけで主郭と東出郭を分断する堀切だけ確認して離脱。一応さっきの笹薮が主郭で他に大土塁か? と目される地形も写真に撮ってはきたのですが、見れば見るほど自然地形のようにも見えて自信がなくなってきたので流しておく方向で。とりあえずここと上野城を含めて本日実に8城攻略達成。私内記録を大幅に塗り替える快挙達成であります。すげえぜ伊賀の館群。

 

 帰りは下り多めなので行きより少し短い時間で帰還。最初からわかっていたことではありますが伊賀の城はあまりに多すぎて到底一度で回りきれるほどではありませんでした。ということでさらばニンジャ達、いつかまた来る日まで。

今日の自滅日記 3月19日(月)


 花粉症なのに昼間布団を干してしまうという破滅願望。

今日の手羽日記 3月18日(日)


 山口から帰ってきている暗黒邪神様の召喚に応じて名古屋名物のあの店の手羽先など食す。河原町で。

今日の映画日記 3月17日(土)


 劇場版ストライクウィッチーズ。まだあまり堂々と色々言うべきではないでしょうが、うん、いい映画でした(公開直後の映画は詳しい感想書かなくてもこれで切り抜けられるからいい… いや実際良かったですが大変に)。ストーリー的にはまあ予想の範囲内ではあるもののそれは何も悪いことでもなくある種の代名詞と化したある部分のアップカットはさり気なくかつ執拗に挿入され、何よりどうしても気になるミリ要素は期待通りに大変満足できる、といった感じ。いい加減もう突飛な活躍も開拓されつくしたかと思っていたアレにまだああいう活躍の場があったか、というのは普通に驚かされましたし、最後のほうで私が大好きなソレも飛び交ってましたし。テレビになるのか映画になるのかはわかりませんが、まだ続くというのも素晴らしいことです。

今日の難度日記 3月16日(金)


 
 …まどマギポータブル、 …むずいよね?

今日の到着日記 3月15日(木)


 まどマギポータブルとか到着。ってでかっ!

 しかし、今月と来月はだいぶ前に予約したまま放置してたゲーム類が一挙に発売になるため財政的に少々アレです。こういう時に限って延期とかなく順調に到着するんだもんなあ。準備万端で迎撃できる時は延期するくせに。

 …あ、まほよに関してはまだ監視体制を緩めていません。というか手元に来るまで緩めませんw

今日の白日日記 3月14日(水)


 ああ、延期されたんで。

今日の電波日記 3月13日(火)


 レベルを上げて物理で殴れば万事解決する世界に行きたい。

今日の緩慢日記 3月12日(月)


 週初めからだらだらー。

今日の黙考日記 3月11日(日)


 そんな日ですが、何も言いますまい。敢えて。

今日の乱読日記 3月10日(土)


 図書館行って目についた本を適当に6冊ほど借りてきたり。久しぶりに乱読体制。

今日の改行日記 3月9日(金)


 ちょっと一段落。

今日の返信日記 3月6日(火)


 メールフォームよりsissiさん、ありがとうございます。

こんにちは、 フィンランド大使館は今後もこの路線で行くのでしょうか…。

 とりあえず例のモノの試作品ができましたのでご報告いたします。 やはりどのように固めるかというのが一番難しいです、食感によって攻撃力が格段に違ってきますし。

 試作品の食感はゴムというか、「スーパーボール齧ったらこんな感じ」というものです。

 まだまだ改良(?)の余地はあると思いますので、また何かありましたらご連絡します。


 おお、ついに、ですか! さっそくニュース部に載せさせていただきます!
 …というわけで、フィンランドの誇る黒い宝石(ソウルジェム的な意味ではない…はず)、サルミアッキの国産化というか自作試験、お疲れ様です。なるほど、リカールでアニスの香りをつけるんですね。 …ペルノーなら部屋に転がってたりするのですが、リカールも近所の酒屋にあったっけか…(試さないけど。試さないはずだけど…)

 しかし、試行錯誤の段階で生み出されたモノについては戦慄してしまいました。「口どけの良いサルミアッキ」、「サルミアッキ味のべこ餅」、「サルミアッキ味羊羹」… なんというか、それぞれに、おお、もう…(笑)。

 徐々にウェブメディアなどにも取り上げられつつある(上に載せた記事参照)フィンランド大使館ですが、私は何を隠そう面白さ至上主義者ですので楽しいなあ、と思います。 …とはいえ、あまりにそういう人達の期待に応えようと無理をしすぎると暴走やオーバーヒートをしてしまいかねないわけで(あの街とかあの球団とか… 後者はともかく前者はこんな所に持ちだしてきたら比較される側に失礼ではありますが)、適度に締めるところは締めつつ長く親しみやすい路線でいてくれたらなあ、と。まあ、様々な物の操縦技術に長けたフィンランドの方々ですからそこまで心配することもないかもしれません(笑)。

 それでは、これからもさらなる改良がなりましたら、ぜひお知らせ下さい。そして何時の日かここを見ていられる方々皆で作って持ち寄って……

 …一体何をする気なんでしょう。テロか何かか(笑)。

今日の弛緩日記 3月5日(月)


 かけているふちなし眼鏡の左側のつる、レンズ部分と接合しているネジが相当緩んでいることに気づくというか実感。どうも手持ち機材ではうまくいかない(ネジというか小さいボルトでドライバーでネジ穴などは特になく、ピンセット等で回しても裏から押さえるべきボルトまで回ってしまう)から近々眼鏡屋にいかないとなあ。

今日の日常日記 3月4日(日)


 ラブプラスのデートを三人分回しながらたった1時間しか放送されない野球に(というかテレビ局に)文句を言って無難だけどさっぱり挽回の気配はないガンダムを生温かく眺めて大河を見て大笑いしつつ盛り上がる(そういや後の幽々子様(推定)も登場してたりしつつ)という全くもっていつもの日曜日である。

今日の上巳日記 3月3日(土)


 だが特に何かしたわけではない。

今日の予防日記 3月2日(金)


 今までの戦訓に鑑み、本当に酷くなってどうしようもなくなる前に先んじて花粉症の薬をもらいに医者へ。さあこれで準備は万全杉どもいつでも来い!

 …とかいってるといつまでたっても来なさそうで、実際まだ来てないわけですが(笑)。いやいいんだけど、来ないならそれに越したことはないし。

今日の返信日記 3月1日(木)


 メールフォームより理性全壊さん、ありがとうございます。

記事に書いてないんだけど、岩手・宮城・福島・茨城のAM・FM局が地域制限無しで聞ける実施中のradiko.jp 復興支援プロジェクトの扱いがどうなるんでしょうかね。(たぶん中止なのかなぁ) 全国からいつでも聞けるという試験的役割として存続させて欲しいと思うのですがね。

 なるほど、確かに地域限定配信開始とは矛盾しちゃいますね。是非はともかくとして1年経ってしまうと… ということは十分ありえてしまいますから… ラジオに限らずテレビも含めて放送の地方格差は真剣にどうにかしたほうがいいと常々思っているという意味でも残念な話ですが、地方局の存在の根幹にもかかわる話ですからなかなか難しい、んでしょう。 …そういう現行態勢の価値についても、ともかくとして。

 しかし、この前の折田先生の時に知ったというか失念していたのですが、東北の地デジ化も延期されて未だ、なんですよね… さすがにあのとぼけた生物がまだ活動しているのかはこちらではわかりませんが……
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