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ばっくとぅとっぷ

今日の敗退日記 11月18日(日)


 京都ぇ……

 …ま、まあ、この肝心なところで勝ちきれなかったり悪い方の状態が出る体質だと、上がっても「6回目」狙いにすぐなっちゃいそうでしたしねえ… 若いチームだし、まだ来年もっと強くなって、と考えるべきでしょうか。

今日のQ日記 11月17日(土)


 ヱヴァQ公開日。夕方までは所用につき動けなかったものの、なんとか6時台の回を押さえて公開初日に観ることだけは死守。 …朝の時点で既に少し、昼の時点では完全に破の時とは違うザワ… ザワ…がTwitterなどで観測されたため、覚悟完了して出撃。 …うん、覚悟完了しといてよかった。これはノーガードで食らうにはあまりに強烈かつ奇襲効果が高すぎるw

 と同時にTV版、旧劇をリアルタイムで経験したおっさんとして「うむ、こうでなくては。このアレっぷりこそよ」と思ってしまうあたりがわれながら老害全開で大変にウザいです(笑)。鬱陶しいとは理解していてもこの呆然っぷりこそがヱヴァを見た直後の感想(というか感想などというまとまったものが出てこない状態)であれかしというか。なんというか、自分でもなにを意味するのかわからんけどニヤニヤが止まらん。

 しかし、同じような変なニヤニヤ感想を同年代の人達が結構な数漏らしてるあたりがもうなんかどうしようもないというかお前ら14年経っても… と頭を抱えるところではあります。あー、なんかこれは同業者(多分この業はごうと読む)ときしょい語り合いをするところまで含めてひとつの作品だな。しゃべりてぇ、色々。

今日の返信日記 11月16日(金)


 メールフォームより理性全壊さん、ありがとうございます。

泳ぐイノシシですが、我が地元宮城県南・丸森町を流れる阿武隈川の南側ががイノシシの北限と言われてたのが近年、北側で見られるようになり橋を渡ったか泳いだのかと地元新聞で紹介されたって事がありましたが、海泳ぐくらいなら川なんて簡単に泳ぎきりますわなw

  京都サンガは以前、私の地元チームベガルタ仙台とほぼ同時に昇格してほぼ同時に降格する“お仲間”だった事を思うとプレーオフで昇格できる事を祈ります。


 イノシシはマジで戦闘生物に近い何かですしねえ。強靭な体力戦闘力、増殖力、そして知能。幸いまだ野外で遭遇したことはありませんが(シカに睨まれたりサルに包囲されたことはある)、山だけでなく川でも海でも遭遇したら瞬殺されそうですw

 京都に関しては応援ありがとうございました。ありがとう、ございました…… くっ……

今日の宅配日記 11月11日(日)


 Amazonで頼んで某宅配業者が配送している荷物が、ネットの荷物追跡によれば既に昨日届いているはずなのに一向に家に来ていなかったりしたので問い合わせ。 …して、「調べて折り返します」と言われたのに一向に連絡が来なかった(7時間ほど)ので再度問い合わせ。今度は連絡後ほどなくして無事配達が来たものの、「同姓同名の人のところに間違って配達していました」とかなんとか。
 …全然開封したりされた形跡とかないんだけど、これ、言い訳だよなあ。だいたいがAmazon依存症でこの業者もしょっちゅう配達にきてるのに今更そんな誤配とか、事実なら事実でアレだし。。別に一日くらい遅れてもしゃーない(どうせ積むラノベだ)けれど、追跡画面が不正確な上にあまつさえそんな言い訳をされるとさすがに信頼度が…

 本来こんなクレームもどきは書くべきではないんでしょうけど、ね。たまにはそんな日もある。

今日の寺巡日記 11月10日(土)


 先週今週と秋の非公開文化財特別公開期間だったりするので、今日は軽く寺巡り。今回は大徳寺の方に行ってみます。



 ついでにすぐ側にある我らが氏神様、今宮神社に寄ってみたり。豊郷の高校の軽音部の皆さんが一度初詣に参拝したということで聖地巡礼のコースに加わっていたりもするというのは既報ですが、今も絵馬がじんわりと増えていたり。あと何故か秘封倶楽部が描かれた絵馬もありましたが、これは蓮台野(の近く)にあるからでしょうか。他になんか所縁ってあったっけなあ。



 大徳寺には多数の塔頭がありますが、そのほとんどは普段は非公開。今の時期はいわゆる京都古文化保存協会の非公開文化財特別公開以外にも秋の特別拝観といった形で公開されているところもあったりして、そういうところは今週までではなく今月いっぱい開いていたりするようなので興味のある方は。これは信長の墓所がある総見院ですが、今日は午前のみ公開でした。そしてこの時点での時刻が12時5分… ああ、朝にうだうだしていなければ…



 今回の特別公開寺院の一つ、聚光院。ちなみにもう一つの真珠庵はパス。理由は、その、 …この特別公開、拝観料が一律800円もするんですよ…
 この2週間が稼ぎ時とばかりにまったくもう(笑)。加えて大徳寺の各塔頭は独立採算制(というのか)なのか、それ以外の塔頭も別個拝観料をとるので公開しているからといってほいほい拝観しようとするとえらいことになります。おそるべし。

 さておき、聚光院は三好義継が長慶の菩提を弔うために建てた寺。後に利休が参禅して千家ゆかりの寺になったようです。残念ながら撮影不可(いかほとんどがそうでした。高い拝観料を出させる割に… とも思う反面、まあしかたのない話ではありますか)なので写真はありませんが、狩野松栄の竹虎遊猿図の猿はなかなかいい味(ただし今寺にあるのは複製)。



 芳春院。こちらは秋の定期拝観。いうまでもなく加賀の前田さんとこのよくできたロリ嫁さんのが建立した寺。金閣、銀閣、飛雲閣と並ぶ京の四閣、呑湖閣は確かに美しい良い感じでした… が、金銀飛雲の三閣は知ってたけど不勉強なことに四閣めがあることは知りませんでした(笑)。



 三玄院(非公開)。石田三成、古田織部、森忠政というそれぞれ別な方向にアクの強すぎる連中が同じ場所に眠っているというわりとカオスな墓所があるようです。



 大友宗麟の菩提寺、瑞峯院。ここは常時公開してるっぽい。撮影禁止でもなかったので庭などを。



 黄梅院。毛利家、織田家の墓所、小早川隆景、蒲生氏郷の墓があるとのこと。 …しかし戦国武将との所縁だらけだなあ。様々な武将が一堂に会する寺といえばまず高野山が思い浮かぶところですが、こんな近所にもあったとは。



 大徳寺の他に訪れたのは報恩寺。ここも普段前を通っている程度の近さの寺。鳴虎図、信長、秀吉の肖像画などがあったり黒田長政薨去の間が残されていたりと、そんなに大きくない寺の割にかなり濃密な空間でしたが、メインといえるのは公開期間の直前にちょっと話題になった厨子入千躰地蔵菩薩像でしょうか。写真で見ても凄いですが実物だと小ささが実感できて更に凄い。1000体というのがほとんど比喩ではなくて実際に950体以上は確認されているあたりもとんでもないです。しかも簡単な輪っかとはいえ光背は全部金属製の別パーツだぞ、これ…

 とまあ、そんな感じで。次の春の公開はどんなところが見られるのかなあ。

今日の映画日記 11月9日(金)


 テレビでヱヴァ序。やっぱり実況が盛り上がるなあ。なお、シンジくんと同じくらいの歳に本放送があって今気づけばミサトさんと同い年、というかもうすぐ抜くなどという何度も繰り返された事実の指摘程度には動じぬ。どどど動じぬ。

今日の背景日記 11月8日(木)


 昼飯に入ったラーメン屋でリトバスのOPとか絶園のテンペストのEDとか流れてたりして、最近多いよなあ店員の一存なのかそもそも有線のチャンネルがそんな感じになってるのかなあなどと思いつつずるずる。隣の明らかに50はいってるおっちゃんがリトバスかかった瞬間なんかビクッとしたようにも見えましたが、気のせいでしょう、きっと。多分。

今日の選挙日記 11月7日(水)


 海の向こうで選挙があって、鯖街道の向こうの町が歓喜しているらしい。 …冷静に考えるまでもなくわけのわからん現象だが、今更か。

今日の腰痛日記 11月6日(火)


 なんか感覚がないくらい腰が痛い。

今日の光画日記 11月5日(月)


 20世紀に生きた文化部中高生のバイブル、究極超人あ〜るの復活読み切りが載っているというのでビッグコミックスピリッツを買ってから出撃。漫画雑誌なんて買うの何年ぶりだろう。そしてあ〜るの新作とはほんとうにもう何年ぶりであることか。懐かしい、懐かしすぎるんだ、この雰囲気が…!

今日の筋痛日記 11月4日(日)


 一夜明けて筋肉痛。しかししばしの作戦不能期間があったゆえにこの痛みが嬉しい。 …でも腰痛だけはNo thank you.

今日の再開日記 11月3日(土)


 コルセットもとれて体力も戻ってきたしということで、週末の遠出を再開。こういう仕切りなおし的なときには通い慣れたコースで原点に戻るべし、ということでこの日記中でも2、3回は行ってるはずの貴船口〜鞍馬寺〜静原〜大原コース。静原だけなら25年、鞍馬、大原あたりも20年以上通った道で、地図とかなくてもある程度の山道なら把握していたりするエリアです。夜中に目隠しされて車で市内から運ばれて、適当な山道に降ろされても指定されたポイントに到達できたり(昔やった。マジで)。ともあれ、いつもどおり裏口(西門)から鞍馬寺に向かいましょう。



 叡電は現在芳文社とコラボしてひだまりスケッチラッピング電車を走らせてたりきらら号にヘッドマークをつけたりしているようですが、残念ながら今回は当たらず。きらら号の方はすれ違った車両に確かについていた、ような。



 すっかり秋ですねえ。ともあれ、例によって貴船側から鞍馬寺に登ります。



 いつも貴船側から登るため、鞍馬寺の最深部というイメージがあまりない魔王殿。もちろんちゃんと山道を通ってきているわけで、別にショートカットを使ったわけではないんですけどね(むしろ山門側のケーブルカーこそがショートカットか。カット量そこまででもないけど)。だから固定モンスターが来るたびに復活しているのはちょっと面倒。



 そんな固定モンスターの一種、天狗の出現スポット。その昔はかの源義経もここの天狗道場で様々な技を閃いていったとか。もちろん最初に閃いた技はパリィ。



  あっさりと本堂近辺に到着。寺務所っぽい建物前の庭ですが、改めて解説されるとやっぱ色々独特だよなあ、この寺。



 狛犬ならぬ狛虎さんたち… いや、ただの虎ではなく金星原産の金星タイガーとかそんなのかもしれません。



 すぴりちゅあるな雑誌とかサイトとかで喧伝されまくった結果、本堂前のこの床がパワースポットだとかいう話はもうすっかり定着したようで、このように真ん中に立って金星ぱわーかなんかをもらう人たちの順番待ちの列ができていました。 …特にコメントはいたしません、ええ。

 鞍馬寺を下りたあとは例によって薬王坂を超えて静かなる山里、静原へ。



 薬王坂道中にて。ここまでびっしり生えてるとなんかキモいなあ(じゃあ載せるなよ)。



 せやな。



 ここでの目的は当然静原城ということになりますが、以前にはなかったこんな案内板が立てられていたり、登り口に標識ができていたりしました。そういえばちょっと前の京都新聞に地元の人と青年海外協力隊がルートを整備したとかいう記事が載ってたなあ。思い入れがある、というか中世山城攻略というものに本気で取り組みはじめたきっかけの城なので、こうやって整備されるのは嬉しいものです。 …しかし、なぜ海外協力隊が、とはちょっと(笑)。訓練の一環とかなんとかで別にこのあたりが日本国でないということはないはず、ですが。そうだったら困るわ、思い出マックス級の土地なのに。



 前回(なんか過去ログ作るときにミスして抜けてる…)は南尾根の仮称城山城部分に直登かまして事足れりとしていたのですが、道も整備されたしということで今回は静原神社裏手の道を通って山頂部分の仮称城谷山城(一城別格の城だと考えるとおそらく主郭の部分)へと堂々登城します。ルート整備により、登城道は要所要所にロープが張られていたり倒木が除去されているので道としてはかなりわかりやすくなっています。

 ただし、道はわかりやすいものの比高で270mくらいあるので時間は40分くらいかかってなかなか手ごわい。前述の記事によるとこの道を地元の小学生1年生も遠足歩いているっぽいのですが、なかなかハードモードではないでしょうか。いや、都会の軟弱なおっさん(しかも病み上がり)と違って山里で健やかに育った元気な子供にとってはこれくらい屁でもないのかもしれませんけど。



 その張ってあったテープがなぜか一部ユニクロブランド。こんなものまで作ってるのかユニクロ。





 城谷山の遺構は削平地と切岸が主体。築城技術としては先進的とはなかなか言いがたいところがありますが、麓からこれだけ離れているにしてはかなり大規模。



 石積みの跡も少々残っています。



 それよりも印象的なのは明らかに石組みで囲われ、石段があったと思われる虎口の遺構でしょうか。



 主郭。ここも広い。この城は地元の土豪山本氏(かの源義経の子孫。ただし鞍馬山で天狗道場に通っていた方じゃなくて同時期に近江で暴れていた山本義経の方)の城ですが、築城の際には三好の手が入っているとされます。この規模とところどころに残存する虎口や石積からするとそれも頷けるところ。山あいの里に見えて敦賀街道を扼している交通の要衝ですしね、このあたり。



 南東に伸びる尾根道を通って仮称城山城へ。



 途中、道のど真ん中に唐突に三角点がありました。危うく蹴飛ばしかけてしまいましたがいいんでしょうかこれ。





 仮称城谷山城からだと、城域に入っていきなり仮称城山城の見所の一つ、大堀切にでくわすんですね。写真では掴みづらいですが、主郭の背後に控える大土塁との組み合わせにより堀底から土塁上までは優に5〜6mの高低差があり、圧巻。単純な位置関係だけで見ると仮称城山城は仮称城谷山城の出郭的に思えますが、それにしてはこの方面の防備が厳重。明智光秀が山本氏を討伐した際にこの区画を占領して付城として改修、攻略後は白谷山の主郭部分は放棄して城山の曲輪のみを存続させた、とも考えられているようです。



 そういうわけで仮称城谷山城より全体的には小さめ。それでも十分以上の広さがあるんですけどね。





 石積みが側壁部に残る窪み。貯水池かなんかだったのでしょうか。



 窪み直上の石積み。



 石段跡。仮称城谷山城のものと似た感じなので、光秀が手を入れる前からあったものでしょうか。





 南斜面には石垣の痕跡が散在。往時は全面石垣で固められていたのかもしれません。だとすると麓を通る敦賀街道から見える威容は相当なものだったんだろうなあ。城谷山が落ちて邪魔者がいなくなったらこのあたりに城を保持しておく理由は街道の監視(と威圧)くらいのものでしょうし、そういう意味で城谷山は奥まりすぎてるからより麓に近い城山の方だけが存続したのかなあと。



 南側最先端の曲輪。なお前回登城時は直登の結果この曲輪の先端にたどり着いたのでした。今回はちゃんと道がある方へ。



 竪堀の跡かな?

 そんな感じで下山。いやぁ、4ヶ月ぶりの城巡り、実に堪能しました。あー、すっきり。



 静原のバス停にて。1年に1回、春分の日にのみ片道運行する幻の路線が通っていたりします(むしろ通っていないというべきじゃないのかそれ)。なんという究極の免許維持路線。



 ある一定の年代以上の京都市民の皆様の記憶には残っておられるでしょうか。1988年京都国体のマスコット、未来くん。お勤めを終えて20年以上たった今、こんなところに左せ… げふんげふん、こんなところで余生を過ごしておられるとは。手に持った聖火にカバーがかけられているのはやっぱり今のお仕事との兼ね合いなのでしょうか。火の赤ちゃんを人に押し付けに走ってくるように見えるしなあ、むき出しだと。



 静原から大原に向かう江文峠の途中で見かけた光景。なんじゃこりゃと思わず撮ってみたものの、ふと何かの犯罪の結果(どういう状況を想像してしまったかはお察しください)なんじゃあという可能性が頭をよぎって暗澹たる気分に。 …違ってくれよ。変態お兄さん山中深夜の女装脱衣ショーとか、そういう平和なアレの産物であってくれよ… …平和?



 そんな戦慄をしているうちに大原到着。満員の京都バスに乗って出町柳に帰還。これでやっと本当に復帰できた気がしました…… 明日どうなってるかは知らんけど(笑)。

今日の新調日記 11月2日(金)


 15年くらい使っていていい加減古くなりすぎていた手持ち地形図の一部を新調。新しい地形図を野外行動用に折り折りする作業は、さあいざこれからこの地図のエリアに冒険に行くんだというわくわく感を演出してくれます。 …磁北線も座標線も引いていないからおもいっきり手抜きだけど、ついでにもう何度も何度も訪れたエリアだからほとんど攻略済みマップなんだけど(笑)。

 なお野外行動仕様でない地形図は裏にカーボン貼られた挙句真っ黒に汚されて平地部分をもぎとられます(謎)。

今日の磁気日記 11月1日(木)


 人生初MRI。終了後もしばらくは全身の赤血球が偏っていた気がしました(間違いなく気のせい)。いかにもな感じの機械音がパターンを変えて次々鳴り響いてるのがアブダクションっぽくておもしろいなあとか思いながら検査されてきました。 …うるさかったですけど。
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