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ばっくとぅとっぷ

今日の月末日記 2月28日(木)


 …2月が28日までしかないことの恐ろしさを身をもって知る。あと月末エロゲの日が一日ずれて早まってるけどそれはまあどうでもいい。買ったのはハピメアとラヴレッシブ。 …つうか今月、なんか毎週エロゲ買ってる気が…

今日の感想日記 2月27日(水)


 たまこま。チョイが出てきてから面白さが加速してる気がする。素晴らしい。

今日の十一日記 2月26日(火)


 D.B.E更新開始から十一周年。これからもよろしくお願いします。

今日の折田日記 2月25日(月)


 年に一度の折田先生降臨。よって朝からブログ更新。 …なんかもうこれだけでやり遂げた感がありますが、今日は月曜、今から一週間が始まるんだぜ…

今日は早寝日記 2月24日(日)


 明日はあの日なのでさっさと寝る。

今日の野球日記 2月23日(土)


 WBC壮行試合、豪州戦。久しぶりの野球である。オクスプリングってあのオクスプリングか。ワシ時代の選手だったと思いますが、随分息が長いなあ。代わりがいないだけかもしらんけど。

 試合内容は、うん。能見がキレてただけで満足です。

今日の封神日記 2月22日(金)


 DQ7がラストダンジョン手前でレベル・熟練度上げ態勢に入ったのでパスチャ3に移行。面白い… けどレベル上げはちょっと面倒かも。あとプリズム◇リコレクションも到着。もちろん来週も何本か買うわけで、ぱすチャ3は突発事例とはいえ今月はなんか妙に五月雨式に続きますね。いいけど、どかんと一気に来るよりは。

今日の期待日記 2月21日(木)


 やるトラ! 予告:やる夫たちは城を極めるようです

 まだ予告なのでこっちで期待。城巡りというだけでもう私のテンションな上がりまくるのは当然でしょう。もうあらゆるジャンルがネタになってるんだからそろそろ漫画なりラノベなりで城そのものより城巡りを題材にした作品って出てこないかなあ。全力で推すのに。

 …そんなん言うならお前が書け? …それができたら苦労せんわ…

今日の未配日記 2月20日(水)


 本がいろいろ届いていた。うちのトコでは3、謎の独立国家ソマリランド、人類は衰退しました8。甘城ブリリアントパークだけまだ来てないのはさすがE○宅配。

 …というか、2日たっても届かないのに追跡サイトでは配達完了になっているのですが、これは。 …マジでクレーム入れたほうがいいかなあ、これ。

今日の連想日記 2月19日(火)


 廃校になりかねないから部活を→(アイドルの)甲子園出場→甲子園といえば野球→ラストイニング→野球賭博→アイドル賭博と考えが飛んだ。なんだアイドル賭博って。

今日の発熱日記 2月18日(月)


 38度発熱につき行動不能。幸いインフルではないもののというか飲み会行って真夜中に帰ってきて布団に入らずに寝落ちしたら速攻風邪ってわかりやすすぎていけません。

今日の悪寒日記 2月17日(日)


 あれ、なんか体の調子が……

今日の飲会日記 2月16日(土)


 飲み会につきへろんへろん。

今日もDQ日記 2月11日(月)


 城行ってドラクエして更新したら連休がどっか行った…

今日のDQ日記 2月10日(日)


 DQ7してた。さらばリーファ。

今日の宇陀日記 2月9日(土)


 今月の城めぐり。2月も三連休ですが、今回は近畿圏内で日帰り作戦行動。ぶっちゃけドラクエの方に時間を割きたいのです(笑)。というわけで目的地は奈良県、宇陀市大宇陀地区。近鉄で榛原駅まで行って、そこからはバス。





 大宇陀地区は江戸時代から明治大正にかけての古い建物が残る、静かな町並み。なかなかいい雰囲気です。



 ミニチュア寺社建築みたいな看板。細かいなあ。



 …この店で出してる牛、ほんまに「ちゃんとした」牛なんだろうなおい… 人語を解したり食う直前に肉から予言の声が聞こえてきたりしたらすっげえヤだぞ…



 松山西口関門。宇陀松山城の元城門にして唯一の建物遺構。同時に松山城廃城後に宇陀統治の拠点となった宇陀陣屋の遺構でもあります。なお、この陣屋に入ったのは「あの」のぶお、信長の息子上から三番までで一番アレなアレ、キャッチフレーズは「唯一の関西資本」(それはちげえ)こと織田信雄。彼のあと3代は織田家が続きましたが、4代信武の時にお家騒動が起こって減封の上丹波柏原に移され、これをもって宇陀松山藩も廃藩になっています。それでも完全に改易されなかったのは織田ブランドの力でしょうか。 …そんな局面で発揮しても情けないだけという気はしないでもないですが。



 登城道は春日神社の脇に。入り口にある春日門には早速石垣が。  



 春日神社。後世に城跡にもってきたわけではないようです。まあ、大和は春日大社(というか興福寺)の国ですしね。なお、春日門が春日神社より前にあることからもわかるとおり、有事にはこの神社も曲輪の一つとして機能したことでしょう。



 城跡へは比高120m、15分か20分もあれば到達できます。前日雪が降っていたのですこし心配していましたが、これくらいなら通行に支障はうぉっとやべえ中途半端に凍てついててこけかけた!? …ともあれ、途中削平地っぽい平場や土塁っぽい土の高まりが見え、いかにもな感じで道が屈曲しだしたら、



 そのうちに左手に現れる横堀。伐採により全容がわかりやすくなっているということもありますが、この規模はすげえ! 堀底を伝ってずっと横に回れるっぽいので、これは本道を逸れるしかないでしょう。



 横堀はそのまま竪堀や土塁と接続して外郭防衛ラインを構成しているようです。ここらへんは近世城郭というよりは中世城郭の最終形態を残しているような感じですね。あ、この城はもともと地元の国人秋山氏の秋山城であったものが、豊臣時代に加藤三号機こと加藤光泰や近江の国人出身の多賀秀種などが入って近世城郭として改修、その後福島正則の弟福島高晴(孝治?)が入ったものの大阪の陣の時に内通を疑われて改易。同時に城も廃城になるという歴史をたどっています。そういう歴史があるゆえに中世城郭と近世城郭の両方のテイストが混じっているんですね。



 さっそく石垣の欠片も顔を出しています。





 にしても、やっぱり木が取っ払われて山肌が露出していると往時のイメージを掴むのが格段に楽ですね。どこの城でもこれくらいやってくれれば… というと日本全国禿山だらけになってしまいますが。



 お、ちょっと土がかぶってるけど見事な角度の石垣… と思ってよく見たら世界最強の土木用具、DONOUでした。発掘調査か復元整備用でしょうか。 …どうでもいいですけど、戦国自衛隊やら戦国の長島巨人軍でおなじみの、現代のテクノロジーをもって過去にタイムスリップしたら無双できるんじゃね、というシミュレーション、DONOU袋とDONOU製造機(単なる枠)を持っていくだけで結構な威力を発揮するような気がします。DONOUさえあれば伝説といわれる一夜城でさえ実現できる可能性が… …あるかなあ?



 石段も設けられた大手道。横堀がこの城の中世城郭としての顔とすれば、2つ、3つと連続する枡形虎口はこの城の近世城郭としての防御力の真骨頂でしょう。ここの重防御っぷりはたまりません。





 このあたりも往時は石垣でがっちり固められていたのでしょう。



 本丸下に広がる大御殿。実に広々としています。



 本丸と大御殿の間には空堀が。



 本丸の石垣。2〜3段分しか残っていないのは城割の結果かと思われます。ちなみにこの城の城割に関しては担当した小堀遠州の書状が残っていて、城割の具体例を示す貴重な事例となっている… とウィキペディアにはありました。



 大御殿から天守台を眺める。



 大御殿からの二の丸方面。



 接近路がちょっと見当たりませんが、城の裏側(北側)には竪堀もあるような感じがします。



 一瞬「あれ、冠木門でも復元してるのかな?」と思えた謎の構造物。



 このあたりの石垣は、今まさに発掘作業の実施中という感じでしょうか。



 本丸。10年ほど前の訪城記を読むと「藪に覆われているのが惜しい」的な感想が決まって見られましたが、平成18年の国指定史跡化もあってか今ではこのとおり。



 天守台。高さは低いものの、広さはかなりのもの。あるいは天守郭としたほうが妥当かもしれません。奈良大学の千田嘉博教授によると、ここに建っていたのは平面十字型の天守なのだとか。本体に4つの櫓が付属してたとか、そんな感じなのでしょうか。



 やっぱり大活躍しているDONOU。



 さっきの謎の構造物。こういうのって結構あちこちで見かけますが、元はなんだったのでしょう。東屋とか、あるいは伐採した木や草の集積所?



 天守台上のすこし高くなったところには白髭大明神の石碑。この高まりが天守本体のあった場所かどうかは不明。



 本丸を降りて二の丸へ、振り返って天守を見る。結構な高低差があります。



 二の丸への道に残る石垣。

 山上の宇陀松山城を南東方面に下り、麓に広がる秋山氏時代の居館跡、秋山下城を目指します。この場合、山上の詰の城は秋山上城と呼称すべきかもしれません。



 麓からの突入ルートは、バス、車できた時の拠点となる道の駅大宇陀から国道166号を東に進み、「城南建設」の敷地横から。写真のフェンスが目印になるかと思います。



 道なりに進んで稲荷神社があるあたりが主郭。土塁等の防御施設はなく、なだらかに支尾根が突き出している南側と南西側に数段の曲輪を重ねている感じ。北側は絶壁になっていて遮断されているので防御のことはあまり考えなくてもよさそう。規模的にはさすが有力国人の居館、といえる程度に大きいです。



 西側はなだらかな傾斜にところどころ削平されたかと思われる形跡もあり、そのまま、あるいは往時はもうすこしきっちりと整地されて曲輪群として機能していたかと思われます。 …ただ、倒木と倒竹とついでに雪のせいでくまなく見て回るのはかなり困難。夏はもっと酷そう…



 そんな倒木や倒竹だらけの中、苦労して見つけた西曲輪西端の石積み。南西の曲輪にも残っているらしいので、多分土留め程度には使われていたのでしょう。



 南曲輪の一つ… だけどいつもどおりなにがなにやらわかりませんね。

 秋山下城から麓に戻り、国道166号の対岸にある丘にも出城、庚申山城があります。これも城南建設横から小道がある… と聞いたのですが、どうも見当たらない。というか道らしきものは見つけたのですがその道自体がススキに呑まれていて、しかもどうも丘の上に登らずぐるっとどこかに続いているような…

 ということで必殺、直登発動。といってもせいぜい5分程度で登り切れたのでたいした話ではありませんでした。



 たどり着いた先は西郭。城全体は頭を南、交差部に主郭をおいたL字型。南、西に1段から2段程度の郭を配した小規模な出城です。秋山城の南の防衛ラインといったところでしょう。



 見どころは南郭端の堀切。例によって写真だと意味不明ですが、幅にして10mくらいはある箱堀。これはなかなか見応えがあります。もっとも、南郭自体は笹の侵略が激しく、少々歩きづらいかも。



 でもって主郭は完全に藪化しており、突入すらも困難。これはさすがに無理だわ…



 帰りは西郭の端から伸びる本来の道を使いましょう。木で見えませんが中央左にある高まりが城域。



 途中まではそれなりに道になっていたのですが、案の定下るに連れて草に埋もれていき最後は藪こぎするはめに。なんとか先ほどの道に降りて振り返った入り口はこの写真の真ん中あたり、何かの目印に… ってこんなんわかるかぁっ!

 これで宇陀からは離脱。まだすこし時間があるので、帰りに大和郡山城にも寄りましょう。この城も丹波亀山などと同様「近すぎて」今まで行っていなかった城の一つ。今日の宇陀松山、前に行った高取とあわせ、これで奈良の近世城郭3つはクリアです。



 現況の城域は近鉄によって分断され、二の丸以下城内の大部分は郡山高校の敷地や民家、市役所などになっています。平地に築かれた近世城郭の宿命でしょうか。この建物は三の丸にあって現在も機能し続けている番所。コンクリート製で建物としては強靭そうですし、櫓としても番所としてもかなりの広さを誇ってはいますが、狭間や石落としなどの防御上の工夫は見られず実戦的といえるかどうかは疑問符がつくところです。いや駅前交番が実戦的にならざるをえない状況とかあったら困りますけど。60年代とか70年代じゃあるまいし。



 …しかしこいつ、ほんとに全国的に活動しとるな…



 郡山高校前の水堀跡。大和・紀伊・和泉百万石を統べる、ラスボスの常識人な弟こと大和大納言豊臣秀長の城だけあって実に大規模。 …しっかし広大な領土ではあるけれど見事に難儀な土地ばっかりですね。だからこそラスボスも一番信頼が置ける弟に任せたのかもしれませんが、ひょっとして秀長、もうすこし気楽な土地に入れられていたら史実より長生きして、結果的に豊臣政権も長続きしたんじゃあ。 …その場合もラスボス発狂イベント自体は粛々と進行して、犠牲者が一人追加されるだけ(存命人物をぶっ殺すことになってむしろ事態が悪い方向に)という可能性も大いにありますが。



 本丸石垣。郡山高校からは部活の練習なのか音楽の演奏が聞こえてくる土曜の夕暮れ。 …あれ、この曲黒バスだ。だからどうしたというわけでもないけれど。



 本丸に鎮座する柳沢神社。名前のごとく明治維新まで7代続いた領主、柳沢氏を祀る神社です。柳沢吉保といえば犬野郎こと綱吉の寵臣、忠臣蔵なんかのイメージからなんとなく悪人認定してしまうところもありますが、後ろ盾の将軍が代替わりした時も露骨に処罰されず(転封は食らったけど石高は据え置き)、自分が引退しただけで家は最後まで存続していたりするわけですからそんなに極悪というわけでもなかったのでしょう。むしろ民政的には評価されていますし。まあ、この人あたりはもう再評価完了しているから今更な話ではありますけどね。





 柳沢神社の裏には天守台が。ただし、崩落の危険につき周囲の一部にはロープが張られ、天守台上は立ち入り禁止。たしかに一部の孕み具合はけっこうやばそうです。安全のためにも遺跡保存のためにも、しっかりとした修理が望まれるところ。





 福知山城ほどではないものの、この城も転用石を多用しています。なかには平城京羅城門の礎石まであるとか。



 転用石の中でも有名というか代表になっているのが、この逆さ地蔵。石組みの奥の方にお地蔵さんが逆さに突っ込まれていて、外から覗きこむことができます。このお地蔵さんの祟りで天守が倒壊したとか、なんかおっそろしい逸話まであったり。





 逆さ地蔵を供養するために… というところから始まって、あっちこっちの道路工事などで見つかったお地蔵さんがここに祀られたりしていった結果、一帯は地蔵密集地帯と化してなかなかすごい雰囲気に。夜中に見たら泣きそうです。



 最後に復元された追手門、追手向櫓、大手東隅櫓に。



 追手門に燦然と輝く桐の門。上に書いたとおり大和大納言秀長の城であるわけですが、つまり本丸の転用石をかき集めさせたのも彼なんですね。これまた上に書いたとおり常識人イメージのある秀長ですが、そういう面でのドライさというか冷酷さがあるあたり、やはり一筋縄ではいかないということでしょうか。そういや福知山城のみっちゃんも常識人イメージというのがひとつのパターンですね(彼の場合はやらかしたことが派手な分、他のパターンも昔から複数存在してはいますが)。むしろ当時の常識人にとって石仏やら五輪塔なんかは単なる石垣の素材に見えていたという可能性もないではないのか。



 追手向櫓。そろそろ日没間近。



 大手東隅櫓は、門の直前よりも近鉄の線路越しからのほうが見栄えがするかもしれません。



 旧奈良図書館。明治41年に建てられたという立派な建物。今は不登校児童の学習施設として利用されているらしいですが、こんな威圧感というか迫力全開な建物でその用途というのは微妙にマッチしていないような気もします。ちなみに建設当初の名称は「奈良県立戦捷記念図書館」だったとか。無駄にステキなネーミングだ…



 なんか植木鉢的な状態になっている石垣を見つつ、今日はこんなところで離脱しましょう。近距離戦だから程々の時間に… と思ってたのに、結局日没まで歩きまわってしまいました。

今日の老朽日記 2月8日(金)


 なんんか最近カメラのフリーズとか充電の不調が増えてきたような。もう5、6年くらい使ってますし、そろそろ更新時期かなあ。取り回し重視だからデジタル一眼は気乗り薄、さりとてこのままコンデジというのも画質とかに不満はある(最近のはどうなのかさっぱり知りませんが)、といったところで、さてどうしたものか。なにかおすすめの機種とかありませんかねえ。

 …おっと、これを機にレンズ沼に沈めたろうとかそんな不逞の輩は帰っていいですよ?(笑) 他にも沈んでいる沼がたくさんあるのでこれ以上はもういいのです。下のBD沼とかもノーサンキューな、マジで。 …マジで…

今日の到着日記 2月7日(木)


 ドラクエ7到着。平日はやる時間ないけどちまちま進めるか、と思って初日は初戦闘にたどり着いたあたりで終わってしまう。そうそう、このスロースターターっぷりが7だよなあ。

今日の錯乱日記 2月6日(水)




 …おや? このCD(とBD)は……?

 …ま、まあ、ここから恐怖のBD沼へまっしぐらということもあるまい。 …ない、はず……

今日の恵方日記 2月3日(日)


 節分。関西なので恵方巻き自体は例年普通に食卓にのぼります。

 …ただし、うちのおかんは「そんなん食べやすいほうがええに決まってるやん」と断言して見事にぶった切って出してくれますが。ただ、今年は普段の巻きずしよりは気持ちぶ厚めでした。そこらへんは学習の成果なのか。

今日の吉田日記 2月2日(土)


 御用で吉田大学方面に進出。なんかやたら人が多いなーと思ったらそういや節分ですね。ってもう1月が終わったのか…

今日の謎掛日記 2月1日(金)


 おやつに買ってきたたこ焼きを妹に分け与える。戯れに「生地を傷つけずに中のタコだけ食べられたらもうひとつ食べて良い」などと口走ったところ、いつもの残念な人を見る目で見られたのですが、実際のところなにかありますかね、面白い回答。特にオチを考えているわけではないのですが。 …あ、ジョジョネタとかは禁止でな。