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ばっくとぅとっぷ

今日の花粉日記 3月31日(日)


 …山の中に突っ込んだ翌日は眼と鼻が死ぬる。いつまで続くぬかるみぞ(顔面全体が)。つうかほんとそろそろ終われよ…

今日の篠山日記 3月30日(土)


 春だ桜だお出かけだ、ということで、今日も今日とて城巡り。本日のターゲットは山陰道に睨みを利かせる天下普請の城、丹波篠山城。



 JR篠山口駅から市街まではバスで15分程度。下車したところではシシガミ様がお出迎え。周りにはぼたん鍋の店が多くありました。今日はその後の予定もあったので食べていませんが、一度シーズンのうちに食べに来たいものです。城はすぐそこですが、とりあえず先に城の北側にある観光協会でレンタサイクルを借りておく。





 篠山城二の丸入り口。山国故か桜はまだ五分咲き。まあ、これくらいのほうが人が少なくてしみじみ見るにはいいんですよ、と強がっておきましょう。



 枡形。安定の藤堂高虎プレゼンツだけあって方形のシンプルな縄張りですが、一個一個のパーツの大きさは流石というべきでしょうか。





 昭和19年に消失、平成12年に復元された二の丸大書院。我らが真首都の二条城二の丸御殿にちょっと似ているような(用途とか様式的に当然か)。



 本丸跡は歴代藩主を祀る神社に。一つのお約束ですね。青山神社ということで、祀られているのはいうまでもなく青山氏。



 天守台。実際には天守は建てられていません。あまりの城の堅固さに幕府からストップがかかった… などと言われていますが、どこまで本当なのかはよくわからないというか、別にそこまで堅固な城じゃなくてもそれはそれで理由をつけて建てさせなかったような気も(笑)。



 

 …で、本丸二の丸内には実はもうそんなに見るものがなかったりするので、内堀内の犬走りから石垣を見上げてみましょう。





 下から見るとやっぱり高いなあ。





 埋門は締め切り。でもってこの先は立ち入り禁止区域になっていたので、天守台を下から仰ぎ見ることは能わず。残念。



 外堀。かなりの広さ。城本体が小さい分、さらにその存在感が際立っている感じ。銃撃戦の時代に完全対応した、いわば水上に浮かぶトーチカみたいな城、といっていいんでしょうか。天下普請の城というと無駄に豪壮で巨大なものを想像しますが、こういう方向性もあるのか。





 内堀沿いに東に移動。広大な外堀と違って内堀は妙に細くてあれ、こんなもんでいいのかなと思ってしまいますが、どうもこれは後世に埋められたからであるっぽい。



 外から見た枡形アップ。





 この城の最大の見所は虎口の外側に設けられる射撃拠点兼反撃時の出撃拠点、馬出が綺麗に残っていることでしょうか。基本的に城の一番外側に設けられる設備だけあって、市街化の波にあっさり飲み込まれる部分なんですよね。篠山城には北、東、南の3つの馬出がありましたが、今残っているのは東と南。これは東馬出です。



 そのまま外堀沿いを南馬出に向けて移動。途中天守台が見えましたが、小学校を挟んでいるのでなかなかうまくは…





 南馬出は土塁造り。貴重さは東の更に上かも。



 南馬出の土塁上から見た城内。



 南馬出を囲む堀。

 次は自転車に乗って市街を離脱、南東方向に移動。目標は八上城、ご存知波多野氏の本拠にして明智光秀が攻めあぐねた山城。



 登山口のある八上の春日神社までは、篠山城から自転車で25分程度。自転車を借りられる観光案内所で地図ももらえるので、迷うことはないでしょう。八上の集落に入るところにローソンあり、春日神社にトイレもありと攻略のための兵站は万全。 …たまに失敗しますからねえ、そこらへんを軽視して…



 城に登り始めると、いきなり巨大な平坦地、主膳屋敷跡。平時というか明智以降の時代に居館があった曲輪だとか。主膳というのは八上城主前田茂勝、五奉行・前田玄以の息子のこと。坊主の息子のくせに熱心なキリシタンであったりしたようです。 …それだけならいいけど残っている逸話とかは色々と、こう、 …アレな人?(もちろん改易絡みの話とかはきな臭い側面もあるだろうと割り引くとして)



 そんな茂勝の供養塔。平成に入ってからのもののようです。



 山頂の中枢部までの道のりは結構長め。途中、いくつかの前哨陣地的な曲輪を通過します。これは一番最初に出くわす、鴻の巣と名づけられた番所跡。



 西側を管制する番所だけあって、いい眺めです。



 下の茶屋丸・上の茶屋丸・中の壇といった曲輪群を通過しますが、曲輪自体の幅はあんまりないようにも。案内板がなかったらただの尾根道だと思ってスルーしそう。私の注意力散漫故か木が繁茂したせいなのかはわかりませんが。



 とはいえ、山肌には堀切なんじゃないかなあ、きっと、多分、そうだといいなあ的な痕跡が随所に。





 25分くらい登ってようやっと主要部の入口に到達。右衛門丸。ここには石垣が残存。



 っと、ここで案内板にあった縄張り図を載せておきましょう。



 続いて三の丸、



 二の丸と、本丸の切岸。



 二の丸には門の礎石が残っているということですが、この石のことでしょうか。



 岡田丸。本丸の帯曲輪的な曲輪ですが、重臣岡田某の屋敷があったことが名前の由来だとか。城の最深部に重臣の名前がついた曲輪があるというあたりがいかにも中世。小谷城の赤尾曲輪なんていう例もありますね、他には。





 岡田丸から確認できる、本丸の石垣。八上城、波多野滅亡即廃城ではなくその後も明智(の武将)や前田茂勝、松平康重(彼が篠山城を築いて移る)らが入っているわけで、そういった後世の改修によるものか… と思ってしまいがちですが、実際のところ、どうだったのでしょう。丹波というとどうしても鬼の住んでる人跡未踏の山国みたいなイメージを持ちがちですが、実際はそれこそ足利尊氏の時代から山陰道と京を結ぶ交通の一大結節点で、戦国前期には細川や三好らと積極的に交流したり殴りあったりしてたんですよね。でもってあのあたりの勢力は当たり前のように石垣も使っていたわけで、技術が導入されていたとしてもなんの不思議もない。実際のところなんて私にわかるはずありませんけど。



 では本丸に登りましょう。波多野秀治公表忠碑の前で昼飯。



 本丸にあった案内板から、八上城とその付近の中世城郭。このうち、八上城から谷を挟んで西側に位置する法光寺城は八上城の一部と位置づけられ、奥谷城は八上城の前身(元は奥谷城が本拠だったが波多野氏の勢力拡大とともに本拠を八上城に移転。その後も奥谷城は八上城蕪丸として存続)であり、この3城だけで相当な規模を誇ります。その上にこのキチガイじみた城郭群。もちろんこの中には非波多野勢力の城もあるでしょうし、明智勢の付城も入っているかもしれませんが、これだけの城郭ネットワーク(しかも中枢がしっかりしている)で抵抗されたら、そらみっちゃんも攻めあぐねるよなあ。



 視界に映る丘とか林、あれほとんど全部城跡なのでは。もちろんこのエリアだけではなく、少し離れた地域にも有力支城はあるわけで…





 そんなことを思いながら下りましょう。一旦大竪堀と水の手、朝路池跡を見る道を下ってから、戻って改めて「藤ノ木坂」コースへ。朝路池は落城の際に朝路姫が身を投げたからそんな名前らしい(わりとよくある)のですが、現状は身を投げてもどうにもならない感じ。これもわりとよくあることか。



 いわゆる本能寺の光秀怨恨説の根拠の一つとされる、明智母(もしくは伯母)が磔にされた松の跡付近。ただしこの木は特に関係のない適当な木、のはず。昭和初期まで根株が残っていた、らしいです。 …が、そもそもそんな事件があったかどうか… というのはいまさら言うまでもないことですね。



 むしろこの松跡のそばにあった曲輪が結構広かったことのほうが気になったり。



 堀切、竪堀っぽい地形はあちこちに。



 芥丸という小曲輪。案内板には砦跡とありましたが、せいぜいが番所跡程度の広さ。



 芥丸からルートを少し離れたところにある西蔵丸。西、とついているものの城内最東端の監視拠点。ただし、今は樹木が生い茂っていて視界ゼロ。



 芥丸と西蔵丸の間にあった横堀(推定)。これで遺構探索は終わり。あとはひたすら下りて藤ノ木坂の登山口へ。春日神社に戻り(徒歩7分くらい)自転車を回収。



 八上城本体のある高城山を後にして、次は前述の支城というか一城別郭、法光寺城に登りましょう。





 この城も神社(稲荷神社)が登り口の目印。八上城の一部として史跡指定されているため、案内板も立っています。 …が、登城道はなかったりします。 …新しいパターンだな、これは(笑)。



 ただし、城跡のある尾根筋には動物よけのフェンスが張られているため、これを辿っていけばある意味道代わりになります。とりあえず稲荷神社社殿の左側あたりから、取りつきやすい斜面を左へ左へ回りつつ登りましょう。フェンスと行き当たったらルート確定。





 フェンス沿いにひたすら登ると尾根にでます。この尾根上の4つほどのピークがそれぞれ曲輪。遺構といえるのは削平地の他に堀切つきの土橋が一箇所くらい。





 ただ、主郭の前にある竪堀はかなりのもの。ただでさえ細い痩せ尾根の道をばっさり断ち切っているさまはなかなかに豪快。 …写真では枯れ枝が溜まっていて何がなにやらですけどね……



 竪堀のあたりから見た高城山。



 主郭。こうしてみると八上城の下の茶屋丸・上の茶屋丸あたりと同じような感じですね。 …特に技巧を凝らしたわけでもないところが。

 これで法光寺城も攻略完了。本当は奥谷城もクリアしておきたかったのですが、時間的都合もあるので市街に撤収。



 市街に戻ってバスを待っている時に食べたいのししまん。味は… 味噌味、ですね。肉の味はわかるようなわからんような。



 街中猪だらけの中、毅然と立ってるアルパカさんたち。

 あとは二条駅で破壊神様と合流して焼肉食って終了。篠山、今日行ったエリア以外にもなかなか面白そうな山城が点在しているので、再訪して色々回りたいものです。いや、だいたい今まで行ったどこの地域もそうで、毎度のことなんですけど(笑)。

 今回の旅行による日本百名城達成度 61/100

今日の開幕日記 3月29日(金)


 プロ野球開幕。今年も縦縞球団、開幕戦勝利! 幸先ええで!

 なお開幕勝利と一年の結果の関係性は(以下略)。

今日の探索日記 3月28日(木)


 ダンジョントラベラーズ2とかなんとなく買ってみたり。意外と難易度高いかも。気楽に突っ込んだらあっさり死にかけました。これくらいの難易度のほうが楽しいですね。 …ただ、けっこう長そうなので4月のゲームラッシュまでに片付けられるかどうか…

今日の戦車日記 3月27日(水)


 待ちに待ったガルパン11話&12話。ええ、待ちに待った、甲斐がありました。熱かった。もう2話とも、最後の最後まで、熱かった。ほんとうに、良いアニメだったなあと。ああ、なんか戦車の実物とか見に行きたいなあ。そりゃ戦車プラモとかもガルパンの影響で爆売れするわ…

今日の宿酔日記 3月26日(火)


 一日中、ただの全く使えない物体に成り果てていました。

今日の泥酔日記 3月25日(月)


 週明け早々飲み会に巻き込まれてえらいことに。

今日の山賊日記 3月24日(日)


 買ってあった山賊ダイアリー3巻読む。いいなあ、こういう生活、憧れますねえ。 …実際には絶対無理ですけど、ひ弱な私には。代わりになるかどうかはわかりませんが、せめて奸賊ダイアリーとかつけられるようになりたいなあ(なりたいか?)。

今日の散髪日記 3月23日(土)


 散髪。今回も歴女の美容師さんとこで。相変わらず竹田城に行った話と幕末トークとかで3時間終わる。幕末の人で一度会って話をできるならという話題であえて選ぶのが桐野利秋とか、このお姉さんやっぱいいセンスしてるなあ。

今日の不終日記 3月22日(金)


 状況終わらずそら目も死ぬで。

今日の山場日記 3月21日(木)


 なんか色々大詰めで山場で死線上。

今日の投稿日記 3月20日(水)


 新聞の読者投稿欄ってたまに「こっち系」の絵も載って(二次創作とかも…は地方紙だけか?)たりしますよね。子供の頃は密かな楽しみだったりしたのですが、ついこの前と今日載ってたそういう絵の投稿者が49歳とか50代の会社員男性で唐突に色々考えこんでしまったり。いや、気にしだしたら負けな話ですけど。

今日の烈風日記 3月19日(火)


 朝ズバ見てたら「アイドル養成学科」がある大学の話が出てたり。おいおいゲ ームか何かかと思ったのですが、そこで誕生した学内アイドルグループの名前が「烈風」「晴嵐」で噴きました。リアルスクールアイドルは帝国海軍風味なんですね。

 って後で調べたらなんか学科長がかなりアレっぽいのですが…… なんというか、こう……

今日の漂流日記 3月18日(月)


 ドリフターズ届いた! 今回も超おもしれえ!

今日の誕生日記 3月17日(日)


 スリガオ水槽のブラックモーリー、稚魚が生まれていることを確認。しかも4匹。祭りじゃ。今日は祭りじゃ。

今日の電波日記 3月16日(土)


 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。まあ、岸まではたどり着いてないので気休めには過ぎないけれど。

今日の当選日記 3月15日(金)


【幸運】某将、宝くじで3000円当たる【奇跡】

※なお、20枚買っていた模様

今日の粉塵日記 3月14日(木)


 電気髭剃りで髭を剃っている最中についうっかり鼻水をすすったら髭の粉末が鼻から喉に入り大変なことに。鼻水が黒い粉末を含んで暗黒ねばねば液に…

今日の快勝日記 3月10日(日)


 野球。まさかの鳥谷先頭打者ホームランからはじまって東京ドーム大花火大会。こういう時はうははうははて笑って見とけばええねん。

 …って書いた途端に内海が失点しましたが、まあ、まだ大丈夫、きっと。うん。たぶん。

 試合終了。あのあと速攻坂本のグラスラ反撃、実に気持ちいい試合でした。うはは、うはは。

今日の天空日記 3月9日(土)


 月に一度の城巡り。今回は新制式カメラEOS-Mの初陣ということで、それなりに撮り甲斐のある城を狙いたいところ。となれば、いよいよあの城を訪れる時が来たということでしょう。というわけで今回の目標は、いまや深秋になれば風物詩として新聞に写真が載るくらい有名になった「天空の城」、但馬竹田城。





「天空の城」というくらいだから結構人里から離れてるのかなーとびくびくしてたのですが、実は駅からその姿が見えたり、駅のすぐ裏に登城道があったりすることを駅についてから知る。これは便利です。もっとも、有名な雲海写真の撮影スポットは城からはすこし離れた別の山だったり、中腹に駐車場があったりするので車できたほうが便利なのは言うまでもありません。 …ええねん。慣れてるし。





 登城口は駅の裏側ということで線路を渡らないといけないのですが、その渡る道が線路直下をくぐるとても低い通路。高さにして150センチ程度、さほど背の高くない私もすこし屈んで通らなければならない程度。実はありふれた方式かもしれませんが、少なくとも真首都では見かけないのでかなり新鮮。線路の直下はさすがに波板でカバーがしてありますが、これ上を列車が通る瞬間に下にいたらどうなるんでしょう。まあ、その心配を別にしなくてもいいような気がする程度のローカル線ですが。





 これは帰りに撮ったもの。この瞬間に列車が来たらどんな写真が撮れるのだろうとかふと思いましたが、実行したらいわゆる「はた迷惑な撮り鉄」になりかねない気もするのでもちろんやりません。というか次の電車一時間後ですし。そんなに待ってる暇はない。 





 駅の裏側の登城道はけっこう急。登りだしてすぐに道の左右に石垣が。家臣団の屋敷か? とも思うのですが、見た感じかなり積み直しがあるっぽかったり後世の築造かなあというものが混ざっていたりして確言は不能。



 登城道の脇にあった砂防ダム。なんかかっけえ。



 あとは一心不乱にひたすら登っていると見えてきました、竹田城。この段階ですでに高まりきっている期待。





 私が歩いてきた駅の裏からの登城道は大手の真下に出ますが、ちょっと寄り道して駐車場方面へ向かう道をすこし下る。すると見えてくる南千畳のパノラマ。





 ともあれ、大手に戻って城に入りましょう。にしてもやっぱり人は多いですね。山腹の駐車場まで車で来る人がいっぱいいるのは当然ですが、私と同じ登山道を登ってくる人もひっきりなしでした。人が来ること自体は別に悪いことではないのですが、先月登った宇陀松山城とのギャップが激しすぎて、こう(笑)。





 …しかし、いくら賑わうのはよいといってもこの城を恋人の聖地に認定するのはどうなのかとも。こんなところで恋人なったりしてもメガネの大佐の目が潰れるだけやがな天空の城つながり的に。ということで思いっきり無骨な石垣のアップ。



 大手門付近。連続する枡形が実に良い感じ。



 城の構造はおおまかに言って、本丸を中心に北、南、西に放射状に郭を配置した形。大手は北の端、北千畳につながります。写真は北千畳から見た南千畳。





 北千畳から見た本丸〜二の丸方面。



 でもって三の丸を正面から。さあ、このまま中心部へ… といきたいところですが、その前に寄り道するところが。そう、これだけ整備されて人も多い城跡にも、まったく未整備で誰も近寄らない(というか存在を知らない)ようなポイントがあるのです。



 駅の観光案内所でもらった縄張り図でいうと、この赤丸で囲ったあたり。赤い線で示した感じに獣道程度の道があるので、そこを下っていけばたどりつけます。 …じゃあもう一本の青い線は何か? …言わなくてもわかると思いますが、本来の道が見つけられなかったので適当に斜面を降りていったんですよ……
 山肌強襲降下自体はもはやいつものことですが、これだけ人の目があるとちょっと面倒というか、アレですね。突入口を探して石垣の下を動き回っている時に城内から感じる人たちからの不審の目が… うわ、あのおばちゃんら確実にこっち見てなんか言うてるぞ…



 緑の丸で囲ったところにある井戸。このあたりまではそれなりに道があるのですが、ここから本来の目的への軌道修正がなかなか大変でした。コンパス持っててよかった(そういうものか?)。





 で、降りた先になにがあるかというと、登り石垣だったりします。彦根城、松山城、洲本城あたりに残っているものが有名ですが、この城にもあったのですね。





 登り石垣といっても彦根城などのように山肌を一直線に登っているわけではなく、櫓台や小曲輪状の石垣がつながっている感じのようです。山上の石垣に比べれば崩壊しかけている感がありますが、急斜面ですししかたのないところ、かなあ。



 登り石垣横(上?)の小曲輪。太田垣氏時代のもので、近世城郭としては放棄されていたんじゃないかなあという気もします。

 上りはちゃんとした獣道(わけわからん)でさくさく離脱。一応登り石垣に至る道筋を紹介しておきます。上の縄張り図と合わせて参考程度に。



 まず北千畳の裏手、本丸〜花屋敷が望める地点に移動。この転がってる丸太のあたりで右を見ると、



 石垣が欠けて下に降りられる箇所があるので降ります。ちなみにここで丸太の先の方へまっすぐ進むと井戸曲輪方面。私が突っ込んでしまった方向ですね。



 そのまま北千畳の石垣直下を城内からの好奇の視線に耐えながらしばらく歩くと、このように微妙に道っぽくなっているところがあるのでそこから下る。ここさえ見つければ道自体は見失わないと思われる(ただし斜面はそれなりに急)ので、試される方は自己責任でがんばってください。



 これで寄り道は終わり。「武」の門を抜けて三の丸・二の丸へ。



 三の丸〜二の丸あたりから見た本丸。



 大手方面とか。



 城内には赤松時代のものと思われる瓦が散乱しています。きわめて当然のことですが持ち帰ったりしたら処罰されるので、写真を撮るだけにとどめておきましょう。



 本丸西側に位置する花屋敷。どっかの遊園地っぽい名前とは対照的に、人が多い城内にあってなぜか人気がまったくないエリア。まあ、ルートからは外れていますし特段見所っぽいものもないのでなぜか、ということもないですか。



 この左右の石垣が曲輪の上にはみ出している構造とか、なかなか面白いと思うんですけどね。



 というか午前のこの時間帯、このエリアから本丸を見ても逆光になるのか。





 まだ本丸には行かず、先に南二の丸〜南千畳敷方面へ。こちらがわから眺める石垣の連なりはこの城の最強ポイントの一つでしょう。いや最強ポイントだらけですけどここ。



 この折り重なる石垣、やはりたまらん。



 南側も見終わり、いよいよ本丸へ。



 本丸への虎口。現代の地下鉄駅なんかにもこういう構造になってるところがあったりしますが、地味に嫌がらせ度の高い防御構造だと思います。



 今度は本丸から南千畳方面を眺めましょう。上から眺めると今度は平面構造がはっきりわかります。この見事な幾何学形状。



 こちらは北千畳方面。



 天守台。内側からだとそんなに高くはないです。



 天守台上には三角点が。



 眼下に広がる竹田の町並み。画面左側に竹田駅。



 これで撤収。尾根続きの観音寺山にある出城、観音寺城を通って下山します。





 大手門のすぐ横にある「竹田小学校へ」の標識に従い、北千畳の石垣直下を回りこんで尾根道を5分ほど歩けば城域。途中の尾根道からは竹田城がよく見えます。



 観音寺城主郭。おそらく太田垣氏時代の出城で、規模は小さいものの中世山城の雰囲気をよく残しています。主郭には大した防御施設は見受けられないものの、その切岸はかなり高く、急傾斜。



 東側に唯一残る石垣。ただしこれ以外にも石自体は結構散乱していたので、ひょっとしたらそれなりの石垣があった可能性も。





 例によって写真ではわかりませんが(機材が変わっても私自身の腕が上がったかというと…)、東側には数本連続しているものも含めなかなか明瞭な竪堀群があり、かなりの重防御。一方、竹田城に面した西側はこれといった設備が見受けられませんでした。このあたりの構造、竹田城の前衛という城の性格がはっきり出ていてなかなか面白いかと。



 城から降りる途中に見つけた石塔。樹徳塔ということは、馬や鯨などの供養塔と同様に、伐った木の供養だかなんだかのために立てられたものでしょうか。 …しかし、この季節になると木、特に杉の供養とかは体調的にどうしてもする気にならんなあ… 逆に人々が木への感謝の気持を忘れたから祟り的に今の花粉症祭りになってるのかもしれませんけど。

 そんな感じで今回の作戦行動終了。早めに帰って京都駅前のヨドバシで買い物などして撤収。竹田城、やはり名にし負う名城、大変満足できました。今度は雲海の季節に車で、「あのアングル」の写真を撮りに来たいものです。



 おまけ。竹田の城下町にて。殿、なにやってるんすか。つうかお前どこの殿だ。

 今回の旅行による日本百名城達成度 60/100

今日の劇勝日記 3月8日(金)


 帰宅してテレビつけた瞬間日本が同点に追いつく(2−2)。そこからが長い長い試合のはじまり。いやあ、熱い試合でした。まさに死闘。鳥谷が走った時はマジで悲鳴を上げて、そこからさらに歓声を上げてしまいました。井端の時にはもうむしろ声にならず。ほんと、WBCは毎回どこかしらで語り草レベルの勝負が出てくるからたまりません。

今日の花粉日記 3月7日(木)


 急に暖かくなったかと思ったと同時に眼と鼻が死んだ…

今日の敗戦日記 3月6日(水)


 野球。まあここはしゃーない。次は台湾か…

今日の訃報日記 3月5日(火)


 ベネズエラのチャベス大統領死去。ついこの前病状悪化報道があったので、むしろこれは回復フラグかなーと思ったのですが。まだ58の若さだったのは結構意外。またひとり面白い指導者(いい悪いなど知ったことではない)がいなくなってしまった…

今日の禁書日記 3月3日(日)


 KIDDYに誘われたので劇場版禁書を観に京都駅へ。いつもの禁書、という感じではありましたが、結構面白かったかと。いかにも劇場版っぽいオールスター展開でありつつ、やっぱり締めは上条さんのいつものやつで。衝撃だったのはあの人の本体がいともあっさり… したこととか、あの聖人の人が江田島平八化したこととかでしょうか。あとはなんかマクロス。これも「劇場版っぽい」に含まれる話ですか。

 映画のあとヨドバシに寄ってカメラの装備更新。今まで愛用していたコンデジ、酷使が祟ってか最近不調だったのはここでも書いたような気がしますが、京都駅方面に出てくる機会もそうないしということで。時期主力機材はキヤノンのEOS Mになりました。ミラーレスへのランクアップ! けっこうでかい出費!

 …明日からしばらく予算制限だな…

今日の開幕日記 3月2日(土)


 WBC開幕。 …まあ、わかっちゃいたが… 不安だなあ… ノウミサンが本領発揮してたのは嬉しいけど。鳥谷はまあ、いつもどおり淡々と四球を選び続けてくれれば。しかし、ブラジルのヤクルト&日本の社会人野球軍団っぷりにはけっこう笑う。中南米・欧州はもどこ実質米帝の分家だろと思ってたら、我が国にもあったんだなあ。それで分家扱いしてたらかなり追い詰められるという点まで含めて米帝風味ですが。

 ガンダムUC、EP6。マリーダさんかわええ。でもってなんていいところで終わって1年も待たせるんだ。

今日の誕生日記 3月1日(金)


 家のスリガオ海峡こと第2水槽にて、プラティの稚魚の存在を確認。



 うちで誕生した初の稚魚(多分。発生即死亡した人たちのことは考えない)。かわいさもひとしおであるなあ。



 これが親の代。これからもっと増えてくれれば。 …って、どうも軌道に乗ると逆に増えすぎて始末に困るらしいですけど。





 スリガオ海峡の名前の由来であるところの魚礁戦艦扶桑。砲塔とか艦橋とか意外に綺麗ですが、この写真でもくっついてる貝が藻を食ってるんですね。連中、意外と複雑な形状をしているところでも丁寧に掃除してくれます。ひっくり返ったら起き上がれなくて死んでしまうのでたまに動きをチェックしてやらないといけないのが面倒ですが(笑)。