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ばっくとぅとっぷ

今日の簡易日記 6月30日(日)


 世界樹とか色々することあるので簡易更新。

今日の散髪日記 6月29日(土)


 散髪。例によって歴女の美容師さんとこで。今回も他のお客さんとかいるのに鳥取城の籠城戦で人肉食がとかそういう物騒極まりない話をしながら。

今日の迷宮日記 6月28日(金)


 新世界樹の迷宮。キャラ固定もまあ、悪くはないですが、気分でメンバー代えられなかったり明確な採掘部隊とかを作れなかったりするのはちょっと残念、かなあ。 …とかいいながら、延々と3DSのタッチパネルに格子状の跡をつけまくる作業に没頭しているんですけど。にしてもやっぱり第1階層の曲はいいですね。山道とか歩いてるとこの曲しか頭に流れないのもうなずけます。

今週も夜更日記 6月23日(日)


 アニメシャワーからそのままコンフェデに突入。 …まあ、負けるのはわかっていたのでそれはいいんですけれども。 …あれ? 先週と同じ?

 最後酔っ払って半分寝落ちしてたのも同じ。起きたのが2時過ぎで結局ヤマトと大河見て更新したら一日が終わるのも同じ。あかん。

今日の深海日記 6月22日(土)


 ニコ動のしんかい実況をBGVに。すごいことができる時代だよなあ。深海に群がるエビにキモいというコメントが流れる中、うちの水槽もあれくらいワッサワサに殖えたらいいなあと思ったり思わなかったり。

今日の体験日記 6月21日(金)


 世界樹リメイクの体験版を落とそうとするも、本体更新が何度もエラーになってちょっとイライラ。最終的には無事成功したものの、なんかそれだけで貴重な時間を使ってしまったような。

今日の夜更日記 6月16日(日)


 アニメシャワーからそのままコンフェデに突入。 …まあ、負けるのはわかっていたのでそれはいいんですけれども。3点目はなあ… というわけで6時くらいまで酒飲みながら起きてたので必然的に起きるのは2時となりぼけっとしてたらヤマトが始まって冒頭の艦隊戦に大興奮してお風呂シーンを眺めているうちに大河が始まって更新しただけで休日が終わる。あかん。

今日の漬込日記 6月15日(土)


 酒肴調達に行ったスーパーで、砂糖と切った果物を突っ込んだらそのまま果実酒ができるお手軽サイズのホワイトリカー(瓶入り)が売っていたので、ちょっと試してみる。とりあえず、ぱっと目についたメロンとパイナップルで。3日くらいでできるらしいので楽しみ。

今日の融解日記 6月14日(金)


 暑すぎてでろ〜ん。

今日の暑熱日記 6月13日(木)


 …真首都35度超えてお前…

今日の加賀日記 6月12日(水)


 艦これ。捜索を始めて一ヶ月以上、ついに我が艦隊に加賀さんが! 夢の正規空母6隻態勢! ついでに阿武隈と夕張、瑞鳳は建造で出現! ふはははは! ふははははは!

 …さて、ひとしきり笑ったところで長門と雪風探しに戻るか。

今日の反発日記 6月11日(火)


 あのおっさんボールぶつけられても仕方ありませんな。自分のサイン入りの。

今日の疲労日記 6月9日(日)


 ぐったり。

今日の安土日記 6月8日(土)


 今月の城巡りはちょっと近場、滋賀県は安土に。といっても主目的は安土城よりはむしろ観音寺城。近場な割にまだ行ったことがなかったんです、実は。



 信長様御自らお出迎えしてくださる安土の駅前。ちなみに明日、6月9日はあづち信長まつりらしいです。まあ、別に祭りとか武者行列が見たくて来てるわけでもないし、むしろあまり人が多いとじっくり見れないしいいけど、などと思っていたら、NHKが誇る歴史ドキュメンタリー風ドラマ、タイムスクープハンターの時空ジャーナリスト、沢嶋雄一こと要潤が来るという話を帰ってから知りました。ちくしょ、それはちょっと見たかったかも。



 ともあれ、駅前でレンタサイクルを借りて観音寺城へ。さすがというか、安土城だけでなく観音寺城方面へのルートや地図なども、自転車を借りるときに教えてもらえたり確保できたりします。目指すはあれに見える繖山。標高432メートルの山の南麓一帯に、曲輪群が無数に築かれています。



 織田軍の旗印だったということで、安土町のマンホールは永楽通寶。今となっては合併して近江八幡市になっちゃいましたけどね、安土町。紆余曲折を経まくりたおした上で。





 今回は桑実寺ルートで登城。もうこの時点で良い感じの石垣。城本体そのもの、ではなくても一部はの役割は担っていた、のでしょうか。



 そんな感じで城の直下にありながら室町時代初期の建物が残っている桑実寺。室町幕府12代将軍足利義晴が仮幕府を設置したり、15代義昭が滞在したという歴史があります。六角氏の庇護下にあったことが一目瞭然な立地ですね。というかもうほとんど一緒だし場所。



 桑実寺から30分ほど登ると見えてくる平入虎口。



 いきなり本城に到達してしまいました。実は六角家臣末裔(一応マジ)だったりするので感慨的なものもちょっとだけ。 …その割には随分あとまで放置してたよな?







 本丸の土塁とか井戸っぽい石組みとか石垣とか。本丸も面積的には広いですが、見所はこんなところ。本丸をクリアしたからこれで大体終わりか… というとそんなことが全く全然欠片もないのがこの城の恐ろしいところ。なにしろ、観音寺城は曲輪の総数千以上、縄張り的にも本丸が絶対的な中心というよりは、あまたある大規模な曲輪の一つにすぎないような存在。まさにそこのところがこの城の特徴であり、見方によっては弱点だったりするんですけど。





 そういった大きな曲輪の一つ、平井丸の石垣。曲輪の名前は六角氏の有力家臣の名前から。観音寺城の曲輪は尽くこのように六角家臣の名前がついており、それぞれの屋敷などがあった、つまり一つの城というよりは家臣団の屋敷の集合体的なものだったのではという話があります。六角氏と家臣団の力関係がどうとか、確かに石垣は多用されていて見事だがそれ以外の防御構造は… とかいやいやそうじゃないしっかりと立派な防御力が… とか、興味深い論点は色々あるかと思いますが書きだすとキリがない上にあんまり自信もない(ついでに六角氏に関してはうぃきぺで知ったかしようにもなんか昔いろいろあったっぽいのでただでさえアレな信頼性が……)ので、面白い話がいろいろあるよ、といったところでとどめておきましょう。いいのかそれで家臣末裔。



 さておき、こちらは池田丸の石垣。



 全山あちらこちらに石垣や曲輪があります。絶対一日では回りきれません。というか、そもそもいまだにすべての曲輪が確認されたわけでもなかったり。





 城名の由来でもある西国三十三所三十二番札所、観音正寺。聖徳太子がこの地で出会った人魚の願いで建立したという伝承が伝わる古刹。その人魚のミイラも伝わっていた(真偽? そんなもん察しろ)ようですが、彦根城欅御殿を移築した本堂や本尊もろとも1995年に火災で焼失。本堂は2004年に再建されたようです。



 観音正寺からの眺め。近江富士こと三上山が見えるので多分南側。





 三角点のある方向、つまり場内最高所に向かうあたりの曲輪(高宮邸、和田邸、楢崎邸、沢田邸など。どれにあたるかはようわからん)の石垣。



 城域北側の尾根道で堀切を発見。今日明瞭に見かけた堀切はここだけ。



 佐佐木城址の碑。石碑に落書きなんてしてはいけない(しかもペンキなどではなく彫ってる)のですが、ついうっかり笑ってしまったので。ちなみにこの碑、わりと奥まった場所の結構足場が不安定な場所にあります。わざわざよくやるなあ。



 北側の尾根道を戻る途中、ふと下を見ると曲輪が、そしてここにも石垣が。



 城の構成物かどうかはわかりませんが、城内には石垣以外にも巨石がごろごろ。観音正寺が建てられたのはこういう石に対する信仰みたいなものがきっかけだった、のかもしれません。大規模に石垣を使えたのも材料の石が豊富だったから、でしょうか。

 まだせいぜい4割程度しか回れていませんが、このあたりで観音寺城を離脱。「大きすぎて回り切れない」といわれる城もあちこちにありますが、次の予定を入れているとはいえ全体像の把握すらできなかったのは初めてでした。おそるべし、観音寺城。





 下山中にどうも脚がガクガクしてきたので、一旦安土城考古博物館で休憩。こういう博物館に少女漫画調の武将イラストがあるのも今時驚くほどのことでもありませんが、三成、お市と並んで森可成という人選は少し謎。確かに信長家臣団で近江にて討ち死にしたのは可成以外だと坂井政尚あたりくらいしかぱっとは浮かびません… が、別に討ち死にした人でなくても近江出身者ならいくらでもいるような。単に蘭丸の親父だから、とかそんな理由でしょうか。信長のシェフ効果ということは… まあ、ないよなあ…







 博物館と同じ敷地内の安土城天主信長の館にある、安土城天主上層部の原寸復元模型。復元ってか資料が残っていない以上想像にすぎないものではありますが。1992年のセビリア万博に出品されたものですが、施設がぴっちりサイズすぎて全体像を捉えるのはちょっとしんどい。



 多少体力が回復したのでいよいよ安土城に向かいましょう。麓の広場は明日の祭りの準備で忙しそう。

 実は、安土城はこの趣味を始めて早々に一度訪れてるんですけどね。もう20年も前に。 …俺、20年この常人にあまり理解されない趣味を続けてるのか… うん、そんな自分が大好きだ(笑)。



 安土城跡はこの20年で発掘調査、復元整備が大きく進展しているので一度来ているといってもかなり様変わりしています。最初に来た時は安土城の象徴であるこの一直線の大手道もここまで整備されていなかった、はず。どうでもいいですけど安土城の階段、全体的に一段一段が大きすぎて登るのが非常に疲れます。この段の大きさもあるいは権威の象徴なんでしょうか。





 伝・羽柴秀吉邸跡。建物跡やらなにやら、なかなか面白い遺構が検出されている… ようですが、それが本当に秀吉の屋敷だったか、というとどうだろうなという説も。まあ、「伝」ですからねえ。







 秀吉邸から道を挟んだ向かい側、伝・前田利家邸跡。建物跡やらなにやら(略)。まあ、「伝」ですからねえ。個人的には秀吉と利家が取ってつけたように向かい合わせになってるあたりがどうも後世の創作っぽいような気が。いや、根拠とか特にありませんけど(笑)。





 今はハ見寺の仮本堂があるあたりの高石垣。



 安土城は今はハ見寺の境内ということで、本来の城域からすると見られる部分はかなり限られています。よって、勝手な史跡ガイドなどが禁止されるのも理解の範囲内。 …宗教行事が禁止されるのもそりゃお寺の敷地内で他の宗教に勝手なことをされたら困るでしょうしまあ理解の範囲内ではあるのですが… そもそも、この城でわざわざする必要がある宗教行事ってなんだ…? 新興宗教オダウフ教とか?(オしかあってへんがな)





 伝・武井夕庵邸跡。大手道はこのあたりから七曲りに。大手道があまりに真っ直ぐすぎて防御よりも権威誇示優先の城なのでは、などといわれることもある安土城ですが、この先はそういう評価だけで簡単に片付けることはできないのではないか… 的なことが、最近読んだ千田嘉博先生の『信長の城』に書いてあった、ような。なお、この曲輪で今期初めて蛇さんに遭遇しました。1mくらいのシマヘビ。日本全国でも屈指クラスの知名度を誇る城だけあって、大手道にはかなりの人数の人がいたのですが、ほんの少し横にそれたとこにはいるもんなんですねえ。



 夕庵邸跡の石垣。



 階段のあちこちには石仏が埋め込まれています。神をも恐れぬ信長の思想のあらわれ、みたいな話の時に必ず出てくるものですが、光秀の福知山城とかを見てるとむしろぬるく感じてしまいます。どう考えてもあっちのほうが過激だしなあ。石材が集まらなかったとか別の理由もあるんだろうけど。

 石材を集めるといえば、なんでこんなに近いのに観音寺城の石垣がそのまま残されたのかなあとか、今ふと思いました。佐和山城の石材とか、彦根城に徹底的に持ち去られてるのになあ。まあ、あの城は家康的に見て「悪の本拠地」として完膚なきまでに破壊しなければならなかったからというだけのことか。



 伝・織田信忠邸跡を上から。





 黒金門跡。中枢部への入り口だけあって、使われている石の大きさが別格。





 二の丸〜本丸の石垣。



 落成祝いとして設置された、信長公の御足形… …ではなくて、これも転用されていた仏足石。



 二の丸跡の信長廟。信長の墓所、霊廟、供養塔などはここ以外にも本能寺やら阿弥陀寺やら高野山やら大徳寺やら、あっちゃこっちゃにあります。





 本丸千畳敷。



 多分天主台の石垣。天主台、実は上の方が崩れたりしていて往時のサイズではなかったりします。あ、この城は天守じゃなくて天主なんですよね。こだわり的に。



 天主台に登ってみましょう。



 礎石の並ぶ天主台穴蔵。今となっては知るすべはありませんが、どんな建物が建っていたのでしょうか。知りたい気持ちが半分、想像の中にあればこそかと思うところが半分。



 20年ぶりの天主台からの眺め。



 織田家四代の供養塔。四代といっても信雄から始まる系統。確かに信長信忠亡き後織田家嫡流はこの流れですが、一説では安土城を燃やした張本人なんですよね常真殿。そんなところに埋められても調子上々気分上々じょ、じょ、じょ常真といえるのかどうか(関西ローカル)。



 帰りの順路に従い、ハ見寺本堂跡。この寺の存在意義については信長自身の神格化のためとかいろいろ言われてきましたが、最近は実は信長、そこまで過激な人間ではなくむしろ保守的だったのでは、みたいな説も浸透しているように思います。個人的には今までのゆり戻しで逆の方に極論が行ってるところもあるんじゃないかという気もあるのですが、ただ、少なくとも勘違いした会社社長やら政治家やらが崇拝している「織田信長」は「坂本龍馬」と同じくらい鼻で笑っとけばいいよなあと。そういう連中が信仰してると実害があるのが困りものなんですけどね。



 本堂後から見た西湖。



 三重塔。1454年建立。安土築城と年代が合いませんが、寺内の建物の多くを近江の古刹から移築してきたため。この塔は甲賀の寺から持ってきたようです。



 仁王門。これは1571年建立。



 帰路、ひょっとしたら曲輪だったのかとも思える削平地を眺めつつ。しかし、先に観音寺城に行ってから安土城を見ると、縄張りの思想というか構造が対照的なことがはっきりわかったような気になりますね。かたや守護と家臣団の力関係が対等に近いことを反映して各曲輪が並列的に寄り集まった、大きいけど芯みたいなものがあまりなさそうな構造、かたや主君の権威を反映して本丸を中心に整然とした序列があって曲輪が並んでいるような構造と。

 作戦行動はこれで終了、安土から帰還。夏期作戦の第一弾ということもあって、今日はどうも水分を摂りすぎてしまいました。おかげで途中からかなりバテ気味に。いかん、夏本番までに適切な給水ペースを思い出さないと。

 真首都に帰還後はいつものように破壊神様と合流して焼肉。よく動きまわって汗をかいてからのビールと肉はたまりません。 …ビールがぶ飲みと給水ペースの把握は思いっきり相反しているような気もしますが、いいんです。ビールは作戦が終わった後のお楽しみですから。



 おまけ。安土城考古博物館にいたゆるキャラ、まめのぶくん。肖像画の特徴はわりと捉えてる… かな?



 もう一個、安土城考古博物館に売っていた信長キーホルダー。特徴は捉えているような… というか、むしろ平安時代の墨書人面土器を彷彿とさせるような(笑)。

 今回の旅行による日本百名城達成度 69/100

今日の俺妹日記 6月7日(金)


 俺妹完結巻。前からちらちら言ってますが、俺、この作品けっこう好きだったんだなあとやっぱり。ちゃんと完結されて、よかった。

 …しかし、最後の方の「あのシーン」にイラストがなかったのは少々いただけません。どのシーンかは言わんけど(笑)。

今日の鬱憤日記 6月6日(木)


 なんとかして一発反撃しないと気が済まんような事案に遭って密かに策を練り始める。

今日の機種変日記 6月5日(水)


 2年3ヶ月にわたって運用してきたHTC EVO、3月ころから充電失敗率が跳ね上がるわメモリ不足でメール送れんとかいう警告が頻発するわなにもしてないのに一日一回は勝手に電源落ちるわと限界に達していたので、意を決して機種変更。おなじHTCのJ ONE、この6月に出た最新機種。さすがに早くて薄くて軽い。発売まで変更を待ったかいがあったわふはははは。

※後日追記:なお、わずか3日後の観音寺城攻略中にうっかり石の上に落としてさっそく傷がついた模様。 …アカン…

今日の代表日記 6月4日(火)


 サッカー日本代表W杯出場決定! …正直恐ろしくヒヤヒヤしましたが、まあよし!

今日の返信日記 6月3日(月)


 メールフォームより、えればすさん。おお、お久しぶりです。

(前略)「広報室」に関してですが、「シーマンシップ」CM当時に教官だった米国海軍の中の人から聞いたところでは、発音がちょっと…なせいで、パイソンズのスパムネタに近いと思われていたとか。
 ある意味(素行のアレな)師匠のリスペクトなんでしょうか…?
 その人がバイキングの中の人(機長的な意味で)でもあった為、引っかけが上手いなと印象に残っていました。 (その後は栄転されたようで、小泉孝太郎の横須賀探訪に映った際には在キティホークの飛行隊隊長を務めていたようです) (後略)


 なんと、意外なところでそんな話が(笑)。しかしスパムのアレ扱いというのはなかなか衝撃的な話です。 …スパムと同じくらいわらわら隊員が増えたらいいのに… いや、そんなに増えても予算とかあらへんけど……(つうかその増え方した隊員は使い物になるのか)

今日の謀反日記 6月2日(日)


・6月2日は本能寺の変記念日。

・部屋に積んである本がそろそろシャレにならないレベルに達しつつあるのでせっせと漫画など崩す。 …が、既に本棚は満杯であり崩した本をどうしようにもどうしようもないという。 …どうしよう?

今日の巨人日記 6月1日(土)


・とある巨人がとある人に似ていて非常に笑う。

・艦これ。多大なバケツと資材の消耗に耐えつつE4クリア。だが阿武隈だけ回収できず。E4はクリアしても挑めるっぽいので、最終日まで一応粘ってみましょうか。 …資源が回復したら。
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