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ばっくとぅとっぷ

今日の建造日記 1月26日(日)


 まるゆ建造。30分弱でできるというのは悪質なデマだと思います。6時間40分かかったわこんちくしょう。



 まあ、プラモの方ですけどね。パーツは少ないわりに無駄に細かい部品があって面倒なんだよなあ。とくに1/700のおまけの方。

今日の映画日記 1月25日(土)


 アイマス劇場版を見に行く。グリマスキャラが準メインで出てくるというネタバレは仕入れていてどうしよう全然わからんぞと思ったものの、特に心配するほどのことはなく。なかなかいい映画だったと思います。ライブ曲が一曲だけだったのはあれ、これだけ? とも思いましたがそれくらいかなあ。



 …そして、うっかりソフマップに寄ってしまった結果、ついに買ってしまいました。艦これ専用ゲーム機… じゃない、8インチタブレット。冬コミと砲雷撃戦で友軍が使っているのを見てやっぱり便利そうだなと購入意欲が湧いていたのです。機種はなんかよくわからなかったけど24日発売だというからASUSのVivoTab Note8というやつ。タッチペンがついてるのと他の候補より稼働時間が1時間ほど長いのがいい、のかなあ。

 ともあれ、これで一泊二泊程度の小旅行なら3.5kg(アダプタ別)ある大型ノートを担いでいかなくても良くなったと考えると、艦これ以外でもそれなりには活躍してくれそうです。重さでいうと一気に十分の一だからなあ。まだ他の用途についてはあんまり考えていないけどw

今日の購入日記 1月24日(金)


 最近購入した本:『カクレキリシタンの実像』『戦争の日本中世史 「下克上」は本当にあったのか』『帰ってきたヒトラー 上下』。面白そうな本、なんか出るときにはいっぺんに出るなあ。

今日の失敗日記 1月20日(月)




 日本海軍風塗装のF4Uとか。久しぶりに色を塗るところまで含めてプラモを組んだ… けれど、かなり色々失敗しているのでデカールまでは貼らないかなあという感じですね。なにしろオリジナルというか妄想塗装をしてしまったので別売りデカールを使わないといけませんから。

 しかし、やっぱりコクピットの位置、おもいっきり後ろだなあ。仮に日本が鹵獲したり供与してもらってこの塗装が実現しても、パイロットからの不評続出で絶対持て余す気がします。とはいえこのコクピットだからこそ格好いいんですけど。一番好きな戦闘機の一つですので。

今日の砲雷日記 1月19日(日)


 砲雷撃戦6に参加。コミケやこれまでの回の例から相当な覚悟を持って臨んだものの、一部大手以外は意外と楽… というか、むしろ快適なくらいで拍子抜け。いやもちろんいいことですけど。とりあえず目当ての物は買えたのでよかったよかった。

今日の百穴日記 1月18日(土)


 ビッグサイトで行われる砲雷撃戦よーい!6のために上京。冬の戦から1ヶ月経ってませんが、まあ、そういうこともあります。あんねん。

 ともあれ、上京してしまったものは仕方ないので寄り道しましょう。今回の目標は武蔵松山城。品川駅のロッカーに荷物を置いて、東武東上線東松山駅へ。



 松山城、といって最寄り駅は東松山駅ですが、城本体は隣の吉見町にあります。その吉見町のお出迎え。どうやらこのあたり、埴輪や古墳が作られていた時代にはゾウやキリンといった生物が闊歩していた地域だったようです。坂東武者の源流たちはこれらの動物から果てはライオンやハイエナと闘って日々を過ごしていたのですね。

 冗談はさておき、なぜ埴輪の模型が置いてあるかというと、この松山城のすぐ真横に古墳時代の横穴墓群、吉見百穴があるから。というわけで、まずそっちから見に行きましょう。



 松山城との分岐点からすぐのところ、さっそく岩肌に穿たれた謎の岩窟群が見えてきます… が、これは吉見百穴ではなく「巌窟ホテル・高荘館」という、ある種の人たちを惹きつけてやまなさそうなスポットが。近所に住んでいたおっちゃんが吉見百穴を見て「よし、自分も」と親子二代、ノミ一本で岩壁を掘って作ったとのこと。今は危険なため立入禁止になっていますが、昔はそれなりに見物客も多かったようです。「ホテル」とついていますが、実際にホテルとして使っていたのではなく周囲の人達の「巌窟掘ってる」がなまってそうなった、と言われています。

 …なお以上の説明は吉見町役場のサイトにも載っていたり。昔はいざしらず今はよくてB級スポット、有り体に言って廃墟(しかも入れない)についても紹介してくれているあたり、吉見町というのは度量が広いのか他にネタがな… げふんげふん。



 こっちが本物の吉見百穴。ひゃっけつ、と読むものだとばかり思っていたのですが、現地のアナウンスだとひゃくあな、と読まれていました。まあどっちでもいいのかもしれませんが。しかし、わかってはいましたが一見道もなさそうな岩壁に整然と掘られた岩穴の列、たしかになかなか異様な光景です。 …実は道、ちゃんとあるんですけどね。





 穴の形、配列ともに荒削りなエリアときっちりとしたエリアがあるのは、できた年代による違いでしょうか。



 穴そのものの奥行きはそんなにありません。両側に長椅子のような感じで一段高くなっている部分が見えます。明治期に百穴をはじめて発掘調査した人がコロポックルや土蜘蛛(小人)の住居という説を提唱したのは、これをテーブルか寝床か何かと判断したのでしょう。 …今の視点からするとんな荒唐無稽なと思う説ですが、というか当時でもすぐに反論が出たようですが…



 一部の穴にはヒカリゴケが自生していて、金網で保護されています。



 金網がおもいっきり写りこんでいて少々残念ですが、おお、確かに蛍光っぽい感じで光ってる。もっともいわゆる「蛍光」そのものではなく、あくまで光の反射による現象だそうで。



 百穴の下部に掘られたこの洞窟は、大戦末期の地下軍需工場跡。中島の工場が疎開してエンジンを作る予定だったようですが、終戦までに本格稼働には至らず。





 洞窟内部。公開されているのはごく一部分ということで、作業面積はそれなりに確保されていそうです。 …ただ、壁面だけでなく床までほぼ素掘り。仮に組み立てだけとしても、この環境でまともなエンジンがいいペースで作れるかというと、どうにも…



 別の入口。洞窟と行っても一本ではなく、縦横に張り巡らされている感じ。



 では、そろそろあちらに見える松山城へ。



 松山城、縄張図。



 今のルートは本丸直結。大した高さはない丘ですが、周囲に遮るものがないため視界は抜群(でも写真はない)。







 この城の特徴は、ひょっとしてこれ城域の三割から半分くらいは堀底なんじゃないかと思うくらいに張り巡らされた堀切でしょうか。いかにも後北条氏の重要拠点といった感じであるなあ。



 四の丸の土塁。堀切とは逆に土塁などは少なめ。





 この後、MURAJIさんと合流。閉館まであまり時間はありませんでしたが、同じ東松山にある埼玉平和資料館に。この手の施設はとかく… なところがあると思ってつい身構えてしまいますが、なかなか面白いものが展示されていました。具体的には松根油の精製装置とか陸軍蚊取線香(ほとんど今と同じ渦巻形)とか。後者、陸軍があるならやっぱり海軍蚊取線香もあるんでしょうか。線香立てを刺す穴の形が微妙に違って互換性がないとか、そんな。

 資料館からの帰り道で、偶然「足利基氏の館跡」という標識があったので細い道を入ってみました。室町幕府二代将軍足利義詮の弟(当然尊氏の息子)にして初代鎌倉公方の館がなんでこんな北武蔵の片田舎に…



 …と思ったら、正確には「塁」の跡。1363年に芳賀氏を討伐した際に短期間滞在した陣城の跡とのこと。地元豪族の館を利用しているようです。



 どうやらこの田んぼが堀跡。背後のゴルフ場敷地に土塁が残っていますが、写真は失敗したのでパス。

 鎌倉公方といえば代々室町幕府に逆らうことが生きがいになってるような連中ばっかりですが、初代の基氏だけは例外というイメージがあって、地味ですがけっこう興味深い人物です。 …まあ、義詮も基氏も、車の両輪のごとく新時代を切り開いてきた父親と叔父さんが仲違いして天下全体をカオスに巻き込むさまを目の前で見せつけられているわけで、敢えて自分も兄弟と喧嘩しようとする気にはならなかったんだろうなあという感じはします。それ以前にこの二人は歳が離れているのと活動場所が京と鎌倉で分かれていたのとでそもそもまともに会ったことがあるのか怪しいとも聞きますが。

 小さいながら思わぬ寄り道をした後、東京に帰還。ドラマ版孤独のグルメにも出てきた四川料理の店で夕食を食べ、いつもどおり蒲田泊地に布陣。激戦の予感に戦きつつ就寝するのでした。

今日の当字日記 1月17日(金)


 うぃきぺネタの上偽作である可能性がどうとか書いてありますが、天正少年遣欧使節が持っていった大友宗麟の書状の「署名」、フランシスコを「不龍獅子虎」と書いてるとか。たしかにこれは偽作を疑うに足りる当て字であるなあ。

今日の閉店日記 1月16日(木)

最寄りの本屋がどうやら閉店したのではないかということに気づく。あそこがなくなると雑誌とかちょっと買うのがとても面倒になるんだけどなあ… 一時期は徒歩10分圏内に8件もの本屋を数えたこの界隈も、めっきり不便になってしまった…
 逆に言えば、昔はラノベとか漫画とかその本屋ですごい勢いで買ってたようなガキがたまに雑誌だけ買うおっさんになったから閉店するのかもしれませんけどね。そうはいっても、もうラノベとか漫画とかは町の本屋さんでほしい物をほしい時に買えるほどまとまりのいい分野やなくなったんや… 

今日の改二日記 1月15日(水)


 那珂ちゃん改二かわいい。放置ボイスの最後の「…そっか…」が寂しそかわいすぎていつまでも放置しておきたくなります(酷い)。

今日の農林日記 1月14日(火)


 のうりん。多分今期一番期待ってか原作が好き。わはは、そう、このノリ。しかしベッキーの蹲踞はさすがに地元のおっちゃんたちの前で流す回にぶつけるのはひどすぎるw

今日の到着日記 1月13日(月)


 とらの通販、やっと到着。これで一部の残党を残してコミケ終了。あとは筋肉痛と二日酔いでなにもせず連休を終える。

今日の買出日記 1月12日(日)


 台湾から帰省している従兄が帰国前にプラモの買い出しに行きたいというのでボークスへ。秋に一度案内したわけですが、どうも味をしめたようです(笑)。私が買ったのは、



 これとか、



 これとか。 …そう、艦これ特設台みたいなところのどまんなかに置いてあったので、これはもう確保するしかとか。生意気にもエッチングパーツまでついてるという。しかし、このキットも艦これがなければ埋もれていたに違いないよなあ。そもそも艦船模型の特設台があるという時点で、少し前からは考えられません。 …とりあえず、この程度のキットは完成させなきゃな…

今日の龍王日記 1月11日(土)


 本年の城巡り始めを敢行(大絶賛工事中でさっぱりだった楠葉台場はノーカンとして)。三連休ではあるものの、来週また東京に出兵しなければいけなかったりするので大規模作戦は控えて近場を攻略。年末から年始にかけての運動不足の解消も必要ですしね(笑)。今回の目標は大和の有力国人十市氏の龍王山城。大和国内でも屈指の規模を誇る山城です。

 奈良をはじめ、近鉄沿線は近鉄がハイキングマップを公開してくれているので、こういう時のコース設定にはとても便利(使ったのは「奈良-12 龍王山展望コース」)。 …近鉄の天理駅からコース起点の柳本まで実はJRを使えば接続よく20分程度で行けるところ、敢えて本数の少ない奈良交通のバスだけしか手段を書いていなかったりもしますが、まあ、そこらへんはかわいい意地というやつでしょう(笑)。



 まずは黒塚古墳に寄り道。大量の三角縁神獣鏡などが発掘されたことで有名になった古墳。



 上から見るとこんな感じの前方後円墳です。





 この古墳、中世には柳本城という城郭に転用されていました。前方部と後円部の継ぎ目に当たるくびれの部分にきれいな道というか線というかが入っていますが、これがその時の堀切の位置を示しています。前方部などもかなりきれいに削平されていて後円部とけっこうな高低差がありますが、これらも築かれた当初からの特徴というよりは、そのような後世の改変の結果によるものという可能性もあるようです。



 江戸時代に入ってからは柳本城は廃されたものの、現在の柳本小学校の位置に柳本陣屋が置かれ、古墳の周濠などは引き続き陣屋の一部として利用されました。この石垣は多分その時のもの。
 なお、この陣屋を拠点としていた柳本藩は織田氏。信長の弟、有楽斎の系統です。将軍綱吉の葬儀の時に当時の藩主が加賀前田家分家の大聖寺新田藩主に刺殺されるとかのハプニングもありつつ、無事この地で維新まで存続しました。



 さて、では竜王山に向けて歩きだしましょう。すぐに見えるのが行燈山古墳(崇神天皇陵)。ただし、見えているのは後世に追加された堤防というか土手というか。



 やっぱり古墳は横から見ても大きすぎてわけわからんので、現地案内板の上から見た図を載せておきましょう。



 さらに道一本挟んで双方中円墳なんていうけったいな形をした櫛山古墳も。大和地方全体ではありますが、それにしても古墳密集しまくりです。





 龍王山へと続くゆるやかな山道も古墳群。こっちは山道に沿って石室が点在している感じ。



 麓から4kmほど登って、ようやく城の麓へ。龍王山城は南城と北城、二つのピークにまたがる一城別郭の巨大城郭。



 現地案内板の縄張り図。あとはこちらのサイトの縄張り図が今回のメインウェポンでした。まずは標高586m、高い方の南城から登ります。 





 堀切、土塁の他、この石段も遺構だとされているようです。縄張り自体は尾根筋に順々に小さめの曲輪を並べたシンプルなもの。南城の方が先に築かれ、後に一段低い尾根筋の北城方面に城域を拡張したようですが、縄張りからもそんな感じがします。



 主郭には謎のアスレチック施設風見晴らし台が。



 少し靄がかかっていますが南城からの眺め。右手下から順に黒塚古墳、行燈山古墳、黒谷向山古墳(景行天皇陵)、箸墓古墳とでっかい古墳がずらずらと。更に箸墓古墳の奥に見えるのは耳成山と畝傍山。晴れていると金剛山や明石海峡大橋まで見えるらしいですが、ちょっと無理でした。



 多分縄張図にいうところの高土塁。虎口あとのあたりは東側からも西側からも道がビニール紐で封鎖されていたので確認できず。





 山の名前の由来になっているであろう二つの龍王社を見つつ、次は北城の方へ行きましょう。北城登り口と南城登り口の間は徒歩10分くらい離れていて、かつ舗装された下り坂なので間違えて麓に降りる道を歩いてるんじゃないかと不安になりますが、ちゃんと案内板や石碑が途上口にあるので標識を信じて歩けば大丈夫。





 その石碑と案内板。主郭を中心に放射状に曲輪が配置された縄張りは、南城との世代の違いを感じさせます。



 馬池。今は水のある範囲が縮小していますが、残っている窪地の大きさからすると当時はかなり有力な水源であったと思われます。



 西の道路沿いには畝状竪堀群が… あるものの、写真では例によってなにがなにやら。しかもなまじ半舗装状態の道に沿ってるがゆえに不法投棄らしきゴミが散乱していてなかなか悲しいことに…



 土塁が残る南虎口から主郭へ登りましょう。





 多くの曲輪に築かれた土塁や、かなりの規模と角度を持った切岸はかなり見応えがあります。



 石垣の痕跡もちらほら。



 辰巳ノ櫓と主郭間の堀切。





 主郭。やっぱりけったいなアスレチック風施設がある…



 足元の倒木などはかなり多く、夏場などは藪と相まって踏査はなかなか厳しそう。



 北側に回って西の大手丸付近の… 石垣跡にも見えるような、自然の岩塊なような…





 五人衆郭の土塁と切岸。間違いなく6人以上詰めていたはずです。





 高低差10m以上ありそうな大堀切。頂部には土塁まで築いてあって万全。 …だけどこの城、本格的な攻城戦の前に十市氏が没落退去していたりするんですよね。そのわりに落城をめぐる怪談話が残っていたりもするのですが(「ジャンジャン火」でぐぐれ)。



 ひとしきり回って堪能したので下山。龍王山城、今年の城巡り始めにふさわしい、いい山城でした帰りは岩肌むき出しの急なルート。 …良かった、こっちを登りルートに選択しなくて(笑)。



 麓のお寺に出ていたカーナビ禁止令。「駐車場はカーナビには登録されていません」とかそういう意味だと思いますが、「不可です」と言われると一体カーナビのなにが気に喰わないのかとも。



 あとは淡々と京都に帰ってきました。我らが京都市営地下鉄、しばらく乗らないうちにずいぶん頑張ってるんだなあ。ちょっと前までこんなんだったのに。さらには新キャラも投入されるという…

今日の初詣日記 1月5日(日)


 随分遅くなったけれど初詣。京都市内の有名神社は大体行ったことあるしなあ… ということで、ちょっとだけ遠出して石清水八幡宮に。





 かつて徒然草に「山までは見ず」などと書かれた石清水八幡宮ですが、京阪八幡市の駅と山頂までのケーブルカーの駅がほぼ直結されている今となっては、むしろ山頂だけ拝んで山麓の宮を参らない人のほうが多いかもしれません。 …というか、今回私自身が手抜きしてそんな感じでした。技術の進歩による皮肉というかなんというかを感じますが、自分に対しては不精せずせめて下りは歩けよと思わないでもありません。それはともかくこのケーブルカー、売り場も車体も京阪色全開でステキ。



 でっかい矢が突き刺さってる石清水八幡宮社殿。戦艦山城の艦内神社はここから分祀されたものですが、別にそれが主な参拝理由ではありません。多分。

「ところでこの神社の別名というか旧称、男山八幡宮らしいですね。男!山八幡宮。いやあ、雄々しいですよねえ。おやどうしました山城さん?」
「…不幸だわ…」



 なお、幸いというか山城さんの痛絵馬はありませんでした。 …が、エジソンの絵馬がたくさんかかっていたりはしました。なんで神社にエジソン? という理由ですが、エジソンの電球のフィラメントにこの神社境内の竹が使われたという縁があるからだったりします。この八幡の竹とエジソンの話、京都府民だと小学校の副読本で習った(今は知らん)ものですが、全国的にはどれくらい知名度があるものでしょう。



 そんなわけで境内にはエジソンの記念碑があったり。



 その碑の前には電気自動車のコンセントが。電気の申し子たる発明王(電流戦争? 知らない戦争ですね…)にあやかって、今の最先端電気技術の一つたる電気自動車のコンセントを… というのは面白い試みだとは思います。 …が、果たしてこんな山の上までのこのこ電気自動車で登ってきて充電して帰っていく人が現れるのは何年先になることやらとも、正直…



 宣言通りケーブルカーでさっさと離脱。エジソンの名は通りにも。長岡京市のガラシャ通りといい、京都府南部、横文字人名ストリートが多いですね。

 次に向かったのは八幡市駅から東に10分弱の飛行神社。読んで字の如し、飛行機の神と航空殉難者などを祀る、ちょっと珍しい神社です。



 由来に関しては神社にあった銘板参照。思っていたより小さく、また住宅地の真ん中にあったので少々見つけるのに手間取りましたが、元が二宮忠八(詳細はググれ)の私邸に創建された神社だということなのでそれも当然なのでしょう。





 境内にはF-104のエンジンとか海から引き上げられた零戦のエンジンとプロペラなどが転がっています。



 銀色に輝く鳥居はジュラルミン製。



 本殿自体はそれこそ家庭内のささやかなお社クラスですが、その前に建っているギリシャ風の拝殿がなかなかユニーク。さて、とりあえず祈るのは… どうせしばらくは海外とかには飛べないし… …流星改、彗星12型甲、その他これから出るであろう新型機のドロップ、か…(駄目だこいつ)



 門松の奉納元には納得。



 初詣は済ませましたが、せっかく京阪沿線に来ているのでもうひと駅、足を伸ばしましょう。橋本駅から徒歩10分強南下すると、幕末に淀川沿いに築かれた河川砲台、楠葉台場跡があります。勝海舟が設計、淀川を遡って進撃してくる外国船を迎え撃つために作られた… という名目ですが、いくら当時といえどもこんなところまで外国船が遡れると考えていたのかどうか。実際は対長州向けだったともいわれています。日本国内の内陸砲台はなかなか貴重とのこと。



 あぜ道の形状などに当時の稜堡のラインがくっきりと残っている… らしいのですが、現在大絶賛区画整理工事中でなにがなにやら。一応史跡公園として整備されるとのことなのでこのままぶっ壊されるということはなさそうですが、全容を把握できる状態になるのは工事の終了を待ってになりそうです。

 なお、この砲台は、鳥羽伏見の戦いにおいて対岸の高浜台場を守っていながら華麗なお家芸の裏切りを決めた某津藩によって砲撃されまくるというなんとも言いがたい結末を迎えます。

 …しかし、状況は全然違いますが、南北戦争の発端となったサムター要塞も南軍に回った近隣の要塞との殴り合いに巻き込まれてたりするんですよね。内戦における危険地帯の要塞群というのはだいたいそういう風になる定めがあったりするのかなあ。 …それでも土壇場での寝返りはなかったけど。

今日の空振日記 1月4日(土)


 メロンの冬コミ物資が発送されたらしいので一日待っていたけど結局来なかった。なおとらは発送の気配もない模様。

今日の損傷日記 1月3日(金)


 …いい年して徹夜で馬鹿騒ぎなんかするものではない…

今日の狂宴日記 1月2日(木)


 毎年恒例、友人共が襲来して一日中非電源ゲーム祭り。まあ、今年は私と約一名、なかばPC前に張り付いて艦これ回しながら遊んでいた気もしますが(笑)。終盤はガルパン一挙上映とかも勢いでおっぱじめたりしたので、普段より心持ちカオス度が高かったようにさえ。いつものことながら実に馬鹿な集いである。

今日の年賀日記 1月1日(水)


 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 年明けとともに運試しで大型艦建造回したら4回めで大鳳が出たので、今年はきっといい年になるでしょう。多分。4回回してる時点でかなりスッてるということからは目をそらそう。
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