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ばっくとぅとっぷ

今日の幻覚日記 3月27日(木)


 ビスマルクの前髪が鼻フックに見えるくらいにはいろいろあって疲れている。

今日の広島日記 3月21日(金)〜3月23日(日)


 詳しくは2014年広島旅行記参照。

今日の返信日記 3月9日(日)


 メールフォームより無記名さん、ありがとうございます。

> いつも楽しませて頂いております。 >意外な人出と鉄骨の中四苦八苦しつつ… ”意外な人骨の出土”と見間違えてびっくりしました。 これからもお体に気を付けてお過ごし下さいませ。

 ああ、確かにw とはいえ一度落城を経験した城の石垣ですから、うっかり人骨が出土してもある意味では意外ではないかもしれません。 …ただし、本文に書いたとおりこのあたりは昔一度ちゃんと発掘調査をしているわけで、その時から今までの間に新しい人骨が紛れ込んでいたとしたら… これはもう意外とかそういう問題ではなくなりますねw

今日の石垣日記 3月8日(土)


 この週末、普段は地中に埋もれている秀吉時代の大阪城石垣が発掘されて一般公開されているらしいので、のこのこ大阪に見物に。



 大阪城は子供の頃以来何回か訪れているので、写真は適当で。





 この城の… というか天下を手中にした後の徳川の城の特徴といえるかもしれませんが、縄張りも石垣の高さも堀の幅もそして使われている石も、全てがでかい。もちろんこれらの石は石垣表面を飾る平べったい石で奥行きまではあまりないのですが、なんというか、山城で半ば落ち葉に埋もれた腰までの高さ程度の石積みを必死に探し回るのがバカバカしくなるスケールです(笑)。

 


 意外と多い人出(それもかなりの率が中国か韓国の人っぽい。前からだけどそっちの人に人気だなあここ)をかき分けつつ本丸へ。 …なんか、赤備えの甲冑を着て六文銭の旗を掲げたおっちゃんがゴミ拾いをしている… いや、ゴミ拾いのおっちゃんが赤備えの甲冑を着て六文銭の旗を掲げている…?(一緒のようでちょっとニュアンスが違う)
 前者ならともかく、後者で甲冑着用が業務命令だったとしたら… ヤな職場だなあ…





 本丸にある元大阪市立博物館。今は閉鎖されています。博物館の前は大阪府警本部等、更に元はといえば、実は第4師団司令部。さすがに昔はこんなものにまで注意を払ってなかったので、しげしげ眺めるのはこれが初めて。



 石垣の発掘現場。この石垣は今回発見されたものではなく、30年ほどに発掘された後埋め戻されていたもの。今回大阪の陣400周年ということで改めて発掘して、保存状態の確認などをしているようです。そういうわけで地上から地下の石垣を眺めるだけだということは理解していましたが… しかし、鉄骨が多すぎて見えにくい…



 意外な人出と鉄骨の中四苦八苦しつつ、なんとか拡大。小ぶりであまり加工されていない石を使った野面積み、色も現在の石垣とは結構違います。産地が違うのか、あるいは落城の際の火災とかで変色したのか。写真からはわかりませんが6〜7mの高さがあるという点では、そんじょそこらの城ではかなわない巨大要塞であったという点では共通していますが。



 参考に、現在見ることができる本丸空堀の石垣。石の加工度とか、やっぱり全然違いますね。

 


 他にも発掘調査の結果が少し紹介されていたので、さっと回って終了。

 


 …というのもわざわざ大阪まで出てきたにしては寂しいので、一応天守には登っときますか。

 




「徳川時代の天守台に豊臣時代をイメージした天守を建てて「大阪の象徴! 太閤はんの城や!」もないだろw」「エレベーターwww」などと言われることもある三代目大阪城天守ですが、昭和時代に築かれた天守の中では規模、デザイン、オリジナリティ、なにより地元からの愛され具合を総合すると、やはり稀代の名天守の一つであることは否定できないと思います。

 


 なにより、存続している期間からすれば、この天守こそが大阪の地に最も長く聳え立っている(しかも戦災を乗り越えて)んですよね。いつも言っていることですが、そろそろ材質がコンクリだとかそういうところばかりにこだわらず、昭和の復興天守や模擬天守の一部にはそれ自体としての価値が備わっていることを認める時期に来ているんだと思います。

 …などと思って中に入る。 …あれ? いつの間にかリニューアルしてるのかな? 昔に比べて、妙に小奇麗になっている、様な…

 


 内部の照明とか、すげえ。さすが、さすが太閤はんの城や…!

 


 …ごほん。大阪城名物のエレベーターが長蛇の列だったので無駄に8回まで駆け上がって後悔したりしつつ降りてきました。この出入口前においてある青銅砲は美作の職人が作ったもの。明治になってからは号砲として正午の時を告げる役目に使われていました。なぜか大阪城のプラモには必ずついてくるパーツとしても有名です(笑)。

 


 なーんか見るものを不安にさせる屋根の構造をしている乾櫓を眺めつつ離脱。さすがにこのまま帰るのもアレなので、少し寄り道しましょうか。最寄り駅(複数あるけど)の天満橋から京阪で新首都に戻るとして、途中にあるものといえば…

 




 いや、あるというかいる、ですね。というわけで墨染駅で一旦降りて墨染さんを撮ってから伏見稲荷駅で伏見さんを撮影、伏見稲荷へ。なお丹波橋は乗り換え時間1分だったのでパス、神宮丸太町等は艦これの遠征管理しているうちに通りすぎてしまったので略(笑)。

 


 駅の人間の皆さんは確認したので、次は… あ、いた。

 


 うか様だ! けど修学旅行の生徒とかにも囲まれて写真が撮りにくい(笑)。

 


 痛絵馬も若干確認しましたが、作者の方がかけたというものは残念ながら確認できず。しかし、巡礼者と思われる方々もそれなりに見かけますが、女性が結構おられたのが印象的というか。まあ半分くらいは男連れでしたけど。けっ。

 


 まあ、ここも何度か来ていますし巡礼者以前に普通に参拝者が多いので写真とかは略しときます。

 


 伏見稲荷、鳥居だけじゃなく脇道に入ると寄進されたと思われる祠とかお社とかも林立していてなかなか壮観ですが、中にはお稲荷さんとも違うなんだかよくわからない神様が祀られているところもあったりして面白いです。これなんか、なんかかち割られそうな名前の神様だ…

 




 なかにはなぜか元始天尊や太上老君といった中国の神様も。

 


 うか様の神像なんかもあったりします。情報の少ない時代に掘られたものらしく、現在門の前に立っている最新のお姿とはちょっとかけ離れた感じ。

 


 社務所にもポスターが張ってあるくらいですから、最新のお姿が正しいのですよ、間違いない。

 


 いい年したおっさんが一人で食うようなもんじゃないたいやきパフェを食べつつ帰宅しましょう。おいしいけどちょっと手がべたつくなあこれ。

今日の八幡日記 3月1日(土)


 土曜日なので城巡り。思いついたのが前日夜で下調べの時間と気力がなかったため、手近の近江八幡へ。SUICAに突っ込んである金だけで行けますし(笑)。

 近江八幡駅から八幡山城下町までは結構距離があるので、レンタサイクルを利用すると便利。八幡山城は秀吉の甥、豊臣秀次の居城。山麓居館部分と山上の城からなりますが、まずは山麓の居館部分に行ってみましょう。

 


 居館部分は図書館の裏、八幡公園の一部。家臣団の屋敷跡と居館跡が段々になっています。

 


 居館跡の石垣。写真ではわかりませんが、石垣上の竹藪の中にも同クラスの石垣が一段、二段は隠れています。山麓居館跡… というと発掘されて復元された石垣の下の方がせいぜい数段、あとは礎石とだだっ広い平地が残っているだけみたいなイメージがありますが、これだけ見事な石垣が残っているとは。さすがは仮にも関白になった男の居城。

 




 ただし石垣の上、居館の中核部分は完全に竹藪と荒れ地になっているので、居館の豪壮さは感じられても広大さはあまり感じられないかも… 「竹が高齢化してたのを植え替えたからしばらくたけのこ掘らないでね」という看板が立ってたので、いまさら伐採して整備するということもなさそう。

 


 続いて山頂の城跡へ。ロープウェイが出てるので一発で行けます… ってここで邪王真眼。ああ、そういえば近江鉄道が全面コラボしていて、このロープウェイも近江鉄道系列なんですね。残念ながら写真には収められませんでしたがロープウェイの車体(というんだっけか)にもラッピングというか広告が貼ってありました。

 




 ロープウェイは現在展望台が建っている二の丸の下に着きます。

 








 …そして、展望台の二階には特別展示が。 …いや、本当に狙っていたわけではないんですよ(笑)。

 




 さておき。山上の城は主に本丸を中心に放射状に展開する二の丸、北の丸、西の丸からなり、かっちりと石垣で固められています。本丸の石垣などはかなり大きな石材が使われており、築城者(=秀吉)の権勢の大きさが偲ばれるところ。

 


 とはいえ、少なくとも今見られる範囲でいうと、各曲輪の面積はかなり小さいですね。本丸は昭和になってから移転した村雲御所瑞龍寺(秀次の菩提を弔うために建てられた寺)の本堂でいっぱいいっぱい程度。庫裏?などの附属建物はコンクリの支柱を使って石垣から張り出して建てられているくらいです。山麓居館とは完全に分離した詰の城、といった感じでしょうか。本能寺の変の後に新築された城のわりには古典的な印象も受けますが、賤ヶ岳は終わったといえ小牧長久手を控えている状況下、このあたりもヘタしたら最前線になりかねないと考えると、こういう構造も理解できる、か、なあ。

 




 ともあれ、お寺や展望台などの現用施設がある分補強やコンクリなどが使われている部分はあるものの、全体としては見事な石垣が残っている、滋賀でも屈指の名城といえるでしょう。 …まあ、心情的に秀次に同情してしまうからそう思うという補正が入っているのは認めますが。 …最晩年の秀吉はなあ… どうにも弁護のしようがないというか… そのうえで私、やっぱり秀次の方に同情というか肩入れしちゃうんですよね。生まれてこの方住んでるところが聚楽第の近所だという要素もあったりするのですが。

 


 北の丸からの景色。春霞もしくはPM2.5に沈みまくっていてアレですが、右側の山が繖山、観音寺城です。その続き、画面中央あたりに安土城。結構近いものというか、まあ隣町ですしね。

 


 八幡山城はこの程度ですが、北の丸からそのままハイキングコースを北上しましょう。堀切と土橋なのか自然地形なのかわからないポイントを数箇所通りつつ、30分ほど起伏のある尾根道を踏破。

 


 すると、このような案内板に出くわします。案内板の先の堀切を超えると、八幡山城と同じ山塊にある北之庄城。もちろん、越前にある柴田の権六さんの城とは関係ありません。というか、六角氏に関係があるということくらいしか、詳しい城歴がわかっていません。

 


 城の構造はおおまかにいって、八幡城側の上の曲輪とその北側の下の曲輪、その間をつなぐ段郭群からなります。

 


 その曲輪がかなりの高土塁で囲われているのがこの城最大の見所。写真は上の曲輪南側、つまり八幡山城側の土塁と堀切。

 


 堀底から土塁の頂上まで、およそ4mほどシダが覆い隠している光景。なんかいいなあと思って写したものの説明のしようがない、程度の話ではあります。

 


 上の曲輪内部の様子。削平は甘く、土塁・堀切の見事さからするとかなりアンバランスな印象。土塁の立地、すり鉢状の削平状況からは、もともとあった尾根を土塁として曲輪を掘り下げて作ったのかという推測もあったり。曲輪内部の現状はともかく、それなりの面積の曲輪をこれだけ大規模な土塁でほぼ全周囲っている城というのは、無名未詳の城としてはなかなかないかと。

 


 下の曲輪にはかなり大規模な枡形虎口も(進路は画面右側に折れる)。近世城郭と比べても遜色のない大きさの枡形がこの程度の城にあるとは。

 


 下の曲輪にはもうひとつ、七ツ池という貯水池の跡があるらしいのですが、ご覧のとおり完全に笹薮化しているので捜索は断念。現在確認できるのは7つではなく6つになってるという情報は仕入れていましたが、それどころの状態ではありませんでした(笑)。

 


 北之庄城からみた村雲御所=八幡山城本丸。

 


 帰りは東麓の北之庄神社方面から下山。自転車の置いてあるロープウェイ乗り場方面へ戻る道を調べるべくグーグルマップ様にお伺いを立てたところ、道幅1mもないような家と家の間の路地を指示されることに。大丈夫かいなこれと思いましたが、おとなしく従っていると無事、目的地にたどり着きました。偉大なりグーグルマップ様。

 




 近江八幡といえばかつて八幡山城の水堀でもあった運河、八幡堀とそれに連なる城下町の町並みですが、ここらへんは数年前に訪れて紹介しているので略。多分過去ログに残っているはず。正確にいうと、あの時友人や後輩たちに遠慮して山上まで登るのを強行しなかったからこそ今回再訪しているわけです。

 


 ともあれ、途中駅前のマクドで昼食(と、艦これの遠征処理)を摂りつつ、駅を挟んで南側にある山の麓、日吉神社へ。この神社の裏手から登れる山も、もちろん城跡。

 


 特になにも考えずに登っていくと、このような堀切の底に出ます。この堀切の左側が一の郭、右側が二の郭。

 


 一の郭側から見た土橋。

 


 一の郭。目立った土塁等も特に見当たらない、なんてことない山城跡ですが、実はこの場所、尾張の鬼瓦が瓶を叩き割った同族相撃の舞台… ってさすがに意味がわかりませんね。六角勢に包囲された柴田勝家が水瓶を叩き割って不退転の決意を示し突撃、見事窮地を脱して「瓶割り柴田」の異名を取ることになった、あの長光寺城です。現代では山そのものが瓶割山と呼ばれています。

 ただしこの話、例によって「実は江戸時代の本が初出で実際あったかは怪しい、てかなかっただろう」とも言われているようです。まあ、およそ有名すぎるエピソードなんてだいたいかくの如きものなので、今更衝撃をうけることもなければ紹介をためらうこともないのですが。三国志じゃないけど正史日本史とは別の「日本史演義」の聖地巡礼でもやってると思えばいいのかな、とか思ったり。

 


 縄張図。基本的には並立する一の郭と二の郭が中心で、その先に三の曲輪や若干の小郭群が存在する程度。勝家の逸話で有名とはいってももともとあった六角氏の支城に臨時に在城していただけの、いわば前線基地ですからこんなものでしょう。

 


 一の郭下、登り口のすぐ左手に見えるのが城内最大の石垣。3〜4mの高さがある立派なものですが、草が枯れて見やすいはずの今の時期でさえこの有り様。夏に来ても気づかないかもしれません。

 






 城内は一の郭と二の郭、せいぜい三の郭以外はあまり整備されておらず、それ以外の郭の位置などはかなり不明瞭。一応、一の郭下や二の郭と三の郭の間などに石垣が確認できるほか、堀切や土塁と思しき跡も存在します。…してると思うのですが、いつものことながら今一自信はありません。三の郭のあたりがかろうじて明瞭… かなあ…

 


 水の手回りの話で有名な城だけに、城内では3箇所ほど井戸の跡を確認。今はほぼ完全に埋まっているので往時を推察することはできませんが、さほど水源に恵まれているわけではなさそう。

 




 一通り見て回ったあたりで天候が崩れてきたので急いで下山、撤収。駅に向かう道すがら、ふとある民家の軒先を見ているとこんな小屋が。

 …網のせいでわかりにくいですが、これ、中にいるの鷹とか隼とかそういうたぐいの鳥だよなあ… この家の方は鷹狩でも嗜んでおられるのでしょうか。

 


 帰還した近江八幡の駅前には中二病ラッピングバスが止まっていました。あと、踏切で待っていると車体に中二病の広告(ラッピングというほどではない)を貼った近江鉄道の列車が目の前を通過したりも。ロープウェイといいこの町の交通機関、完全に契約完了されてしまってるぞ、おい…

 




 ということでうっかり二期の記念切符を買ってしまったり。よく考えたら近江鉄道の中二病記念切符、一期の分も劇場版の分も持ってるような(笑)。いや、いいんですけどね、六花とモリサマーかわいいし。