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ばっくとぅとっぷ

今日の記名日記 4月20日(日)


『艦これRPG 建造ノ書 壱』確保。

 同書を手に取られた方は確認できるかと思いますが、目次横スタッフクレジットの一番下、「協力」の項の末尾に錚々たる面々に混ざってとても場違いな二文字が印刷されていたりします。 …ええ、その「某氏」、紛れもなくこの「某氏」です。気になる方でまだお持ちでない方はぜひ。

 って、別に文章を書いたとかイラストを描いたとかそんなだいそれたことではないんですけどね。ほんのちょっと、かけらほどお役に立てたか立てなかったかどうかなあ程度、このくらいで名前を載せてもらっていいのかなあみたいな。いや、ありがたいことです。

 しかし、こういう時に某氏みたいなあまりにも一般的すぎる名詞をHNにしてると不便といえば不便ですね。普段はわざわざエゴサーチして一喜一憂する気にさせないとか、そういう面である種の有用性があるのですが。有用性なのかそれ。

今日の開墾日記 4月19日(土)


 親戚の手伝いで農村下放政策。 …元堤防&河原で河道付け替えによって農地になったものの数年放置されていた休耕地の草取りと畝作りとか、これ、もう開墾だよなあ。小石だらけの土とかアホみたいに根っこが張ってる雑草とか。都会のひ弱なおっさん連れてくるよりTOKIOに頼む案件な気がする(笑)。

今日の苗木日記 4月12日(土)


 だって花見終わらない。ということでリストアップしている攻略予定目標の中から花が咲いていそうな場所を選んだ結果、岐阜県東部、中津川へ。目的地はこの地にある苗木城。駅から城まではかなり距離があるので、ここはすぱっとタクシーで飛んでしまいます。



 城の麓のさくら公園は思ったとおり花盛りですが、花見は城跡のあとにゆっくりと。





 さくら公園からは北門を経由して城内へ。門の片側には石垣で囲われた溜池も。



 さて、苗木城。当地に土着していた苗木遠山氏代々の居城。…途中、本能寺の変の余波で鬼武蔵にぶんどられたり、その手下だった河尻秀長が城主になっていた時期もありましたが。江戸時代の石高は一万石、面積的にいうとまあそれなりの規模ではあるものの、この城は総石垣、それも天然の巨石を巧みに石垣に取り込んでいるという、他にはなかなかない個性をもっています。



 三の丸大矢倉跡。北門の裏側ともいう。





 本数は少ないですが、城内の桜もいい感じ。





「天然の岩盤や巨石と人工的直線的な石垣が有機的に組み合わさっているのが好き」「多少防御力的に難点があってもシンプルな高石垣よりも低くて小さい石垣が複雑に組まれている方が日本戦艦の艦橋っぽくてかっこいい」といった性癖はこれまでにも何度か白状したことがありますが、この城はそれらの趣向を完璧に満足させてくれます。故にけっこう前から一度は訪れたいと思っていたのですが、駅からの距離がわりとあるなどの理由で後回しにしていたんですよね。





 二の丸矢場の横にある菱櫓跡から先が本丸。



 本丸から大矢倉方面を。石垣から見ての通り、大矢倉は外側からは二層、内側からは三層に見える構造。





 本丸中心部、山頂まで本当に巨石祭り。よくこんなところに城を築こうと思ったなというべきか、これだけの天険だからこそ城を築いたんだろうと思うべきか。



 本丸跡から見た木曽川と恵那山。





 巨石の上にはみ出したかのように乗っている展望台ですが、実はこれが天守跡。懸け造り… 清水の舞台のようにたくさんの支柱の上に建物を建てる工法で天守が建てられていた、その構造を再現して展望台に活用しているようです。天守だけでなく、往時のこの城は全山、巨石や低い(純粋に防御力の観点だけで見たら微妙そうな)石垣を土台として、空中に建物を張り出させていたのでしょう。





 下から見ると、本当にこの上に建物があったのか… と思ってしまいます。かっけえなあ。





 しかし、あの天守の(一部が)乗ってる巨石、こういうのも天守台と呼んでいいのかなあ。それがアリなら日本一ワイルドな天守台といっていいかも。







 城跡からさくら公園に戻り、焼き鳥とビールで真っ昼間から花見酒。なぜか公園に流れているBGMはミクさん(多分曲は千本桜。いや確かに桜満開だけど)。おもむろにタブレットを取り出して艦これの遠征管理をはじめたならば、究極の休日の出来上がり。究極に駄目な休日、の意味でな。



 ひとしきりビールかっくらいながら桜を愛でた後は、苗木遠山史料館へ。その途中に見かけた「消火栓記念碑」。特に近くに説明などもなく、消火栓のなにをどう記念したのかは不明。あるいは消 火栓氏なる中国人のなにがしかの業績を記念したという可能性も考えましたが… ないよなあ、それはいくらなんでも。

 史料館には当然藩政時代の資料などが展示されています。一万石の小藩故に財政は火の車、末期には藩札の乱発などでえらいことになっていた(なにしろ苗木城は財政的事情から白壁で塗ることができず「赤壁城」と呼ばれた――もっともらしい伝説は色々あるものの――上に維新後には負債に充当するため速攻解体された)とか、ガチ国学系の藩士が実験を握ってしまった(知藩事も結局そっち系に傾倒)ばかりに廃仏毀釈でヒャッハーしすぎて藩内のすべての寺がなくなったとか、端から見ていると笑うしかない… もといなかなか興味深い展示もありつつ。それでも、一度奪われ、見事取り返した先祖の地を最後まで守り抜いたというのは、やはり遠山氏にとっては誇るべき歴史なのでしょう。

 往路は時間も惜しいのでタクシーでショートカットしましたが、帰りはのんびりと歩きましょう。中津川駅までは徒歩2時間弱、道を聞いた史料館のおばちゃんは呆れていましたが、電車の時間にさえ余裕があれば私には許容範囲です。 …というか私は遠出をする理由は一に城めぐり、二にそれに付随して歩くことで必要最低限の健康を維持することですから、むしろ適度に歩かないと困ります(笑)。



 木曽川にかかる橋を渡る。結構な高さ。思わず「あ、これ吸い込まれたら楽になれるかなー」みたいな妄念が頭に浮かび、なんとか振り払う(笑… っていられるからまだ大丈夫、うん大丈夫)。



 木曽川と苗木城(左のピーク)。こうしてみると背後を木曽川に守られた天険であることが一目瞭然。





 史料館のおばちゃんに「目的地にするといいですよー」とプッシュされたので来てみた女夫岩。 …まあ、字面と写真でどういうアレかは一目瞭然ですし、あえて詳説申し上げますまい。なんとも由緒正しい豊穣と生命礼賛の象徴よ。



 …ただ、中津川のすごいところはこの二つの岩のあるあたりを開放感のある公園化した上、すぐ横によりにもよって子ども科学館を建ててしまうところにあります。おかげでご立派様の周りを子どもたちがなんの屈託もなく走り回っているという、いろいろな意味で生命力に満ち溢れまくりすぎた光景が… いや、現代日本の一部に見受けられるように極端に潔癖なまでにそういう情報と子どもとを切り離そうとしても、それはそれでろくな結果を産まないものだとは思うけども…



 まあ、色々と思うところはありますが、とりあえず観光マップでこの岩にモザイクかけてるのはある種の悪ノリがすぎるんじゃないか、ということだけは確かです(笑)。

 帰りの電車まではまだ余裕があるので、もう少し散策。中津川市内には35年ほど前まで存在していた北恵那鉄道という鉄道の廃線遺構が点在しています。じっくり探せば駅の跡や廃線跡をたどって歩けたりもするようですが、私もそっち方面に関しては完全に素人なので、わかりやすい鉄橋跡などの遺構をつまみ食いしてみましょう。





 市内を流れる中津川にかかる中津川第一橋梁。途中で「く」の字上に折れ曲がっています。結構急角度にも見えますが、これくらいなら曲がれるもんなんですね。
 構造物自体はしっかり残っているように見えるものの、橋のこっち側は枯れ木に覆われ、向こう側は橋の先が藪に飲まれている感じ。さすがにこれを渡る人は… いないと思うんだけどなあ。馬鹿正直に公言するかどうかはともかく、マニアってなにするかわからんからなあ…(お前が言うな)





 第一橋梁から中津川沿いの道路を北上。第二橋梁はちょっと遠いので撮りづらいものの、さらに先に進むと。



 中津川と木曽川の合流点にして多分一番の見所、木曽川橋梁に出ます。赤錆びてこそいるものの、廃線から40年近くの年月が経っているとは思えないほどの堂々たる姿。実は苗木城から木曽川を見下ろした写真にもこっそりこの橋が写っていたりします。



 この鉄橋は採石場の敷地内にあり、もちろん関係者以外立ち入り禁止の看板などが立っているわけですが、従業員のおっちゃんに写真を撮りたい旨伝えるとあっさりOKしてもらえました。平日のフル操業の時はわかりませんが、土日の比較的暇な時期なら大丈夫、なの…かな?



 上から鉄橋に最接近。至近距離&しゃがみ構図で迫力重視の写真を載せといてなんですが、とても細い。日本デフォルトの狭軌軌道かつ単線ならこれで必要十分なのだと頭で理解できても、人間が歩いて渡ることも躊躇するような細い鉄骨の上を電車が通っていたのだと思うとなにか不思議な感じがします。まあ、それができることこそが鉄道の利点でもあるのでしょうけど。新幹線みたいな高規格な路線ともまた役割が違うし。

 他にも頑張れば探せるのでしょうが、とてもわかりやすい遺構はこれくらいなので駅まで戻って帰還待機。先週に続いて今年も桜の季節を満喫、良い春でした。さて、来年はどこの桜を見に行こう(とても気が早い)。

今日の花見日記 4月5日(土)


 前日の予報では近畿一円雨模様ということで遠征は諦めていたものの、いざ夜が明けてみるといい天気。 …とまではいえなくても近場に出て夕方に帰るくらいまでは保ちそうだったので、桜でも見に出かけましょう。こればっかりは今週を逃すと終わっちゃいますからね。



 真首都にも桜の名所はもちろんいくらでもありますが、どこも花より人のほうが多そうだったのであえて市外へ。我らが京都市営地下鉄の誇る三人娘に見送られ、東西線で浜大津方面へ。



 京阪石山坂本線名物、ちはやふるラッピング。今日は自分が乗ったのも含めて何度かすれ違いました。残念ながら中二病電車とは遭遇せず。



 目的地は浜大津から一駅、三井寺。駅から寺までの琵琶湖疏水のを眺めた時点で、あ、今日は来てよかったなと思う。







 三井寺、正式には炎上…もとい園城寺(おんじょうじ、な。念のため)。かつては周期的に炎で全山彩られていた寺ですが、今日のところはその必要もないくらい、十分に華やかです(山から目線)。



 三井寺といえば晩鐘。ただし今は午前中で、ついでにこの鐘が鳴っても住民が大虐殺されるようなことはないので安心です(晩鐘違い)。



 人出の方も多すぎず少なすぎず。これくらいならのんびり花を見る邪魔にもならず、あまりに寂れすぎて… ということもなく。



 境内には孔雀が飼われていました。羽根全開でサービス満点。



 隣にはなぜか鶏も。 …孔雀の時点でなぜいるのか疑問ではありますが(一応、仏教と孔雀は縁も深いので問題ないといえばない。孔雀王とか)、鶏になると本当になぜなのかよくわかりません(笑)。



 もう一歩天気が良かったら最高だったのですが、こうやってのんびり散歩できる程度であるだけ幸せなことですよね。





 景色を含めた写真を撮るのには若干不都合でも、花を愛でることには何も支障がないですし。



 花と湖。湖はもちろん「うみ」と読みます。読め。





 まだ時間はあるし天気も大丈夫そうなので、今度は石山寺へ。



 なんか、門前で刑務所産品を売っていました。ネタでなにか買っといたらよかったか。





 境内にいたゆるキャラ、大津光ルくん。2008年に生まれた21世紀版光源氏らしいですが、その足元のローラースケート、どう考えても前世紀の1980年代に一世を風靡したあのグループからの逆輸入だよなあ… 君、実際はいくつやねん。





 三井寺程の規模ではないですが、ここの桜もなかなか。





 境内は岩山とか石組の庭園とかだらけ。なるほど、石山寺とはよくいったものです。





 紫式部がこの寺で源氏物語の着想を得たとかここで書いたとかで、本堂に「紫式部の間」なる部屋がしつらえてあったり。更にはお約束の人形だけでなく紫式部をモチーフにした「MURASAKI」なるロボも展示してあったり。なんというか、こう… シキブVSメカシキブ?





 瀬田川沿いを歩いて駅に戻る。外輪船っぽい遊覧船がけっこうなスピードで追い越していきましたが、あの外輪、さすがにダミーだよなあ。



 石山寺を見たあとはJRで西大路まで出てボークスで買い物、平野神社に寄ってから帰宅。結局天候は崩れず、のんびり散歩で終わった優雅な一日でした。うん、花も咲いてるんだ、こんな一日も悪くない。