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ばっくとぅとっぷ


今日の伊達日記 6月16日(木)


 三日目。途中郡山から福島まで一駅だけ新幹線に乗ったりと謎なことをしつつ、宮城県白石市へ。



 当地の名物といえばこの人しかいないでしょう。独眼竜政宗の右腕あるいは右目、片倉小十郎景綱。彼以降の片倉家累代の居城がここ、白石城(駅から徒歩10分くらい)。



 元々それなり以上の知名度があった人ですが、近年の人気上昇はやはりこのゲームの存在を抜きにしては語れないところですね。そういうわけもあってか城の土産物屋も半分以上BASARAグッズ屋と化していたり、駅前にも片倉小十郎ショップがあったりしました。残念ながら遭遇はしなかったのですが(そもそもまだ継続してるのかな?)ラッピングバスやタクシーも走ってたみたいですし。





 残るBASARAネタは後に回して、まずは城を。今ある建物は小峰城同様、天守相当の三階櫓などが近年木造で復元されたもの。本来江戸時代ともなると一国一城令により一つの大名が一国に持てる城は一つが基本だったのですが、この城はその制度の例外の一つ。もっとも仙台藩は城とはいわず要害とかなんとかいう名目で支城を維持していたりしますが。





 この城は幸い石垣崩壊といった大損害こそなかったものの、三階櫓・門ともに漆喰が剥がれる、窓の周囲に亀裂といった被害は免れず、痛々しい箇所も目立ちます。とはいえ、小峰城や後に訪れる仙台城が石垣崩壊で一部立ち入り禁止になったりする中、せめてこの城だけでも(特に安全的な面などで)健在が確認されているのはなんというか、励まされるものかと思います。



 本丸内部から見た三階櫓。



 土塁。この先は学校の敷地。



 三階櫓の中から見た門。ここで袋叩きにしますよーと言わんばかりの門直前のくびれが素敵です。





 さて、櫓の内部にはこんなパネルが。近年の白石城の入館者数とBASARA関連の発売。放映等スケジュールの相関関係を示したグラフ。

 …4ヶ月単位ということで元々の閑散期と繁忙期なども存在するでしょうし(例えば12月あたりに少ないのは当然でしょう、北国ですから)、単純にBASARAだけがファクターになっているというわけでもないはずだとは思いますが… そうはいってもやはり、こうしてグラフにされるとBASARAの威力は一目瞭然ですね。発売当初は率直に言って無双のパクリの色物かと思っていたのですが、まさかここまでの現象になるとはなあ……
 そういえば、ごく最近も小十郎役の森川智之が白石市に100万円寄付したなんていうニュースもありましたね。



 現象ってかもはや政策の領域にまで話が広がってたり、(もちろん単純に厄災というわけではないだろうとしても)まるで大怪獣か何かのような扱われ方をされていたり。そりゃ土産物屋もBASARAショップ化するわけです。しかし、参加者75名中74名が女性の伊達軍ツアーか…… 小学校低学年の頃から20年くらい、一人で細々と城巡りしてたり歴史ネタで遊んでたりする身としてはいろいろ複雑な思いもありますが…… …ほんとにいっぱいいるなら一人くらい私の前に現れて意気投合してくれてもよさそうなものを。結局基本的には腐ってる人々ばっかだったりするんですかねえ(よくある残念なひがみ発想。 …そんなふうに自嘲しときながらお前結構目がマジやろ? 知らんがなそんなん。)。



 ちなみに彼は白石市のゆるキャラ、こじゅうろうくん。どことなくやさぐれた雰囲気なのは本来自分が公式なのに華々しい出番は全部どこぞのゲームのキャラが持ってってるから… とかではない、はず。実際のところはあまりにフリーダムな主君のフォローに疲れ果てた一瞬の表情を切り取った…

 ……こっちは完全には否定できない様な気がするところも、この主従の面白さですよね(笑)。いやむしろ片腕とは無茶苦茶する主君を時にはさり気無くフォローし時には正面切って突っ込みいれて制止するといった苦労を背負い込んでこそ輝くもの!

 白石の次はいよいよ仙台へ。おお、さすが東北唯一の政令指定都市にして100万都市、街の活気が他とは桁違いりゅん!

 …はっ!? いかんいかん。ついにセンチメンタルでせつなさ炸裂な12都市を制覇した喜びで、つい。

 ……延期にグッズ・CD商法に誰得続編にキャラデザ崩壊(あと暗黒太極拳)と今にして思えば現在この界隈で問題になってるような話のほとんどが1998年時点にして濃縮されたとんでもない作品だったりはするのですが、やっぱ私のエロゲギャルゲ遍歴の最初期を構成した作品だけあって思い入れはありますし、今でもあの12人はなんだかんだで自分内好きなキャラランキングの結構いいところに食い込んでたりするんですよ。 …特にっていうか主にっていうかゲーム内じゃなくてグッズとかの甲斐智久絵のはな。

 …あー。黒歴史自白みたいな自傷行為はさておき。1時半くらいに仙台についてラーメン食ってホテルに荷物置いて、2時半くらいから行動開始。当然真っ先に仙台城を目指します。駅から城まではバス、それも結構かかります。ただ、バスの本数自体はさすがに大きい街だけあって十二分。少なくとも1本逃したら2時間待ちとかもはや無いとかそういう危険な事態はなさげ。

 仙台城は本丸は山の上、二の丸・三の丸は麓の平地部とほぼ完全に分かれており、バスで城跡までといって行けるのは山上の本丸の方。山の部分と平地の部分が両方あるという意味で平山城と紹介されることも多いですが、麓のエリアは二代忠宗になってから追加で作られたということもあり、本質的にはやっぱりある意味オーソドックスな山城というべきでしょう。だからってただただ古臭いだけかというとそうではなく、切り立った断崖絶壁上にある山城としては破格な広さの本丸はいざという時には相当の威力を発揮したと思われます。むしろ太平の世であろうがやる気満々の城を整備したあたり、独眼竜の本領発揮という感じ(そもそも別に戦闘力を失ったから廃れたというわけでもないですしね、山城)。

 …ただ、肝心の城としての見所(石垣など)はその分断された本丸と二の丸を結ぶ山道にあるようなのですが、まさにそのあたりの石垣などが地震により崩壊して通行禁止になっているという… よって、遺構群の見物はおろか本丸から二の丸へ下りることも出来ないのが現状のようです。バスも今のところ迂回運転を余儀なくされていることから時間がかかり、結局この日のうちに二の丸方面などを見てまわることは無理ということに。



 そういうわけで下から見上げるという鑑賞方法ができたのはこの本丸北壁の石垣くらい。このあたりは近年改修工事を行っていたようで、それが功を奏してか今回は耐え切ったとのこと。ここ以外の立ち入り禁止区間の石垣には見える範囲でもかなりの部分にわたってブルーシートが掛けられていました。小峰城と違って規模が大きいぶん直感的に被害状況を把握するのは難しいのですが、ダメージの深刻さでは同程度以上、やはり大きいぶん絶対的な量では上回っている可能性が高いように見受けられます。



 それでも有名な奥州筆頭像は健在。世が世なら千畳敷の本丸御殿や懸造りでレッツパーリィしていたことでしょう(壊れるがなそれだと)。



 本丸から眺める仙台市街。なんやごっつい観音さんがおる(一枚目中央やや右)。 …牛久大仏あたりに代表される(元をたどればなら鎌倉の大仏なんでしょうけど)巨大仏もしかし、考えて見れば面白い文化です。中が展望台になってたり、鉄筋コンクリートはおろかFRP製の物が「普及」していたり。晴れた日には見に行きたいものです(とある本の題名より)。



 城跡の資料館や武将グッズなどにはその武将の家紋が不可欠ですが、伊達家の竹に雀が使われているところにはなんかしつこいくらいの勢いでこのように伊達家の許可をとって使っていることの断り書きが。どうやら、今の当主の人だかが家紋を商標登録とかしてるみたいですね。確か竹に雀の紋って上杉からの貰い物なんじゃあ… とか、別の紋にしても九曜のは細川に… とか思わないでもないですが、まあ、やり手ですなあ。



 名古屋城でその人気っぷりに驚愕したおもてなし武将隊ですが、ここ仙台でも結成されてたんですね。メンバーは政宗、片倉小十郎、伊達成実、茂庭綱元に支倉常長や足軽、くの一ですか。くの一のそもそも論のところは軽やかに無視するとして、伊達を代表する人選としてはまあそんなところ……

 ……って漆黒の政宗ってなんだよ…… 政宗の意ってあれか、かつて天下を震撼させた独眼竜の厨二病精神を現代に蘇らせたとでもいうのか……

 あれですね、こういう時徳川三代将軍家光あたりならこういうんでしょうね。「政宗なら仕方ない」。



 結局この日はあと大崎八幡宮だけ回ってホテルに撤収。黒地に金は映えますねえ。



 参道の石灯籠は地震で尽く倒れてしまったようですが、今は部品を固めて置いてあるようです。って気軽に書くけどこれ重いよなあ、倒れるにしても散乱した部品を動かすにしても…



 晩飯。初仙台、ということで選択の余地なく牛タン。基本ケチな私にしては珍しく牛タンにぎりまでつけてみたり。というかビールまでつけてやがるこいつ。なんと豪勢な(日頃どれだけ飯にかける金ケチッてるかがよくわかる言動。まあ、一人旅で無駄にいい飯食ってても悲しいですしね、と自己弁護しておきましょう)。

今日の仙台日記 6月17日(金)


 旅行四日目。元々この日は仙台をさらに見るかあるいは松島あたりに行ってみるか決めかねていたのですが、昨日一日で見た範囲はさすがに少なかったので仙台ルートを取ることに。 …といっても3時くらいにはまた次の目的地に向かうんですけどね。



 まずは政宗の霊廟、瑞鳳殿へ。 …なんか古い喫茶店の看板(上か下の半分が白地で店名が入り、もう半分がオレンジだったりしてUCCとか入ってるやつ)みたいなデザインだなあ、この看板。



 看板はおいといて、涅槃門。この門の時点でなかなかの派手さ。



 本殿。空襲で焼けて戦後再建された建物ですが、豪華絢爛ぶりは往時と変わらず、なのでしょうか。再建工事の際に地下から政宗の遺骨などが掘り出されて学術調査され、彼の身長(159センチ)が明らかになったり頭蓋骨から人相が復元された、というのは有名な話、だよなあ。ちなみに本殿の内部には政宗の像などが安置されているようですが、お祭りの際などの他に例の家紋の使用許可の際などに当代当主と利用希望の会社(など)の人が来てお伺いをたてるときに開かれたりする、とボランティアのおじさんが。 …やっぱやり手よのう、現代の伊達家…



 こういう鮮やかな色使いとか複雑怪奇な立体、結構好きです。一歩間違えたら悪趣味になりかねないバランスがまた。



 ええ表情しとるなあ、特に右側。



 小さすぎてよくわかりませんが、この丸いの、菊紋です。秀吉が天皇から拝領したものをさらに政宗がもらったもの。頂いたものを有りがたく使わせていただいてますよーという対関白媚び媚びか、あるいは単にもらったのが嬉しくてベタベタはりつけまくったのか。この建物が建てられた時期からすると別に太閤殿下に媚びる必要なんかなくなってますから後者でしょうか。その方がらしいっちゃらしいしなあ(笑)。



 両脇に並んでいる石塔は殉死者の墓。その数20、って多いよなあ…



 同じ敷地には二代忠宗を祀る感仙殿、三代綱宗の善応殿もありますが、例によって震災被害で立ち入り禁止。 …まあ、本命を見られるだけでよしとしなくてはいけませんよね、例によって…

 次は昨日見られなかった仙台城の山麓部へ。



 三の丸の堀跡の一部、五色沼。昔は冬に氷結していたこの堀が日本におけるフィギュアスケート発祥の地だとか。 こんな所から始まって世界に飛び立ってるんですねえ、フィギュアスケート…





 仙台城の唯一の復元建築物、二の丸大手門脇櫓と大手門の石垣… ですが、例によって地震で損傷。なお、二の丸は東北鎮台→第二師団駐屯地を経て現在東北大学。軍用地→大学キャンパスというパターンは金沢あたりと同じですね。



 三の丸跡に残る土塁と、かろうじて上半身だけ戦争中の金属供出をまぬがれた政宗像。三の丸には現在仙台市博物館がありますが、今は震災被害で通常の展示をしておらず、パネルによる特別展示(無料)しかありませんでした。



 本来はこの登り口から本丸まで、石垣とか見ながら登れるんだろうけどなあ…



 上述の通り博物館の内部も見られなかったので、一旦駅前に戻って昼飯として牛タンカレーなど食す。



 ……関西人、というか黄色い縦縞球団ファンの古傷をえぐるようなホテル名ですねおい。あれか、1泊何千万の世界か!

 駅前からバスで次の目的地に。目指すは伊達政宗の隠居城、若林城。



 …ですが、この城に関しては城マニア歴20年以上、優に3桁を数える城跡を巡ってきた私でも正直、中に入りたくなかったりします。



 …だってこの城の土産物屋(…?)、こんな感じなんですから。というわけで現在は宮城刑務所の敷地になってるんですよね、この城。しかもよりによって長期再犯者などの処遇困難者が収容… って別に軽度の窃盗とかでもヤですけど、刑務所入るのはw





 頑丈さを誇る城門、土塁の上には鉄壁の塀、細くて浅いながらも巡る水堀… …ですが、今となっては外から包囲してくる敵に対するものではなくて中にいる人員の脱走を防止するためのもの。まあ、「城というのは元々人質を入れておくための施設」といった説もあるみたいですし、西洋ではロンドン塔やらバスティーユみたいに城塞が監獄に転用されるのはよくあることでもありますから、ある意味では正しい使用法かもしれません。



 あまりこの施設の周りをうろちょろしててもあれなので早々に退散。まだ時間が余ってたので楽天の本拠地、Kスタ宮城に行ってみたり。残念ながら球団は現在遠征中、というかもう真逆なことに甲子園で阪神戦を戦っていたりしましたが(笑)。日程があえば観戦したかったんだけどなあ…

 さて、そろそろ時間なのでおみやげの笹かま買って、新幹線で盛岡へ。



 盛岡駅の売店にて、というか実は結構各地でも。 …この目と口の形、どうみてもあの青い(赤やメタリック、最近では他の色のもいますが)有名なゼリー状のとんがった生物だよなあ…





 盛岡藩南部氏の居城、盛岡城。石垣度(どんな概念やねん)の高さでいえば東北でも屈指、というか随一と言ってもいいでしょう。



 このちょこっと出っ張ってる腰曲輪、階段などの入る手段が見当たらなかったり。まあ、往時は建てられていた建物の中に階段なりがあったりはしごで出入りするなりしていたのでしょう。が、今となってはややトマソン風味。



 ここを繋げずにわざわざ隙間あけるあたりも。あるいは単に建物などを建てるといった用途ではなく、技術的必要性とかそういうのにのっとって付いてるだけでしょうか。



 妙に傾斜が緩いな、この石垣。 



 本丸と二の丸、そしてそれを繋ぐ橋。真紅の橋がいい感じのアクセントになっていますが、昔にあったのはこのタイプではなく廊下橋。



 北西側には内堀が残存していますが、その中は飲み屋街。ある意味では水の手曲輪とかそういう感じに用途変更されたといえないこともなく(ないかなあ)。



 なお、鳥居があるのは正面三の丸跡にある桜山神社の参道だから。領民安堵の幟がいかにも殿様を祀った神社(信直、光行、利直、利敬)といった感じ。



 …え、そんなに重要人物なんですか、彼…



 愛やらムカデやらに代表されるように兜の前立てって、というか兜自体のデザインが結構フリーダムなのは皆さん知っての通りだと思われますが、この前立ては何を意味するのでしょうか。分かりやすく鉄壁の守り? 滾る熱き血の熱量を効率よく保存? …それとも戦場での貧血予防?



 昨日の仙台牛タンに続いて今日の晩飯は盛岡名物、冷麺。辛目で頼んだら見事に真っ赤なのが出てきましたが、これからの季節だとこれくらいのほうがいいかもしれません。やっぱ本場のはうまい… って冷麺の場合一体真の本場ってなんだろうと考えだすとキリがない気もしますが(笑)。



 なお、駅の土産物屋にはラーメン缶ならぬ冷麺缶も売っていました。赤いのは激辛。例によってのこんにゃく麺ですが、ラーメンよりはひょっとしたらこっちのほうが違和感少ないのかもしれません。まだ開けてないのでなんともいえませんけど。



 さて、ホテル帰って休憩するか… って、なんだ、こいつ… ヨコハマタイヤ…?

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