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2014広島旅行記 前へ

ばっくとぅとっぷ


今日の大久野島日記 3月23日(日)


 連休最終日の朝。再び単独行動に戻ったので、今日もまた朝っぱらから動こうと思います。



 まずは三原駅、すなわち三原城へ。





 どういうことかというと、三原駅は三原城の天主台をまたぐように建っているので城(の中心部)すなわち駅、なのです。



 鉄道が城域をぶった切ってるとか駅を出たら目の前に本丸がある、程度ならわりとよくある話(ぱっと思いつくだけでも福山城とか淀城とか有岡城とかが出てくる)ですが、三原城の徹底しているところは「天主台へ登るには駅のコンコースを経由するしかない」という点でしょうか。さすがにここまで駅と一体化した城は、他にはなかなか聞きません。当然のように昨晩三原に到着するなり天主台には登っているのですが、夜8時過ぎで写真なんか撮れなかったため、出発前に撮り直した次第。



 三原名物のタコに侵略された三原城。ただし、三原城に実際に天守が揚がっていたかというと… まあ、よくあるアレです(笑)。 天主台(一応現地案内板等に準拠して主の字を使ってますが、個人的には安土城などの特殊例以外は天守と表記したい気も。もっとも、当時は当て字上等、人名すら適当な字を当てていたような時代だったわけで、そういう枝葉末節にこだわるのは後世のマニアの悪い癖だと思いますが)としては日本でも屈指の大きさで広島城天守が6個も入るとのこと。 …しかし、天守があったわけでもなくそこまで広いと、それむしろ天主台というよりはただの本丸の一部なんじゃないかとも思います。



 天主台以外にも市内の各地に石垣の痕跡はあるようですが、今回は時間がないので天主台近くのガード下の石垣を確認しただけ。呉方面行きの列車に乗って忠海駅で下車、フェリーに乗り換え。



 朝日に輝く瀬戸内海を渡り、



 鉄塔の見えるあの島へ。あの島はそう、かつて帝国陸軍が軍機の壁の中で禁忌の技術を弄び、今は人外のモノたちが闊歩する。姫騎士や女騎士が放り込まれようものなら、ものの5秒でひぎぃらめぇ状態になってしまう…



 そう、オークの島! 噂に違わず島に着くなり速攻で人外のモノたちのお出迎えです。ふふふ、このかわいさの前にはいかな武勇の誉高い騎士であろうと、女の身であれば抵抗できまいて…



 …ごほん。そういうわけで大久野島にやって来ました。ご存知の通り、旧陸軍の毒ガス工場があったため地図上では空白地帯になっていた、いわゆる閉鎖都市であった過去と、大量繁殖したうさぎの楽園という二つの側面がある島です。この建物は毒ガス貯蔵庫跡。





 桟橋から国民休暇村まで送迎バスで移動、フロントでレンタサイクルを借ります。一部にわりと坂があるので、電動付きにしたほうが無難かもしれません。 …私は見栄張って普通のママチャリを借りて少し後悔しました(笑)。あとうさぎの餌も購入。しかし、ほんとに視界のどこかに1匹から2匹はいるなあ、うさぎ。なお、毒ガス工場という島の前歴から、彼らは逃げ出した実験動物の子孫なのかとも思われますが、実際は戦後島外の小学校が離したやつらが繁殖を重ねた果てらしいです。







 もう半ば埋もれた貯蔵庫や、火炎放射器で焼却されて黒ずんだ壁が残る貯蔵庫(長浦貯蔵庫)跡。





 この島は毒ガス工場の建設以前から芸予要塞の一部を構成しており、その時代の砲台跡が4箇所(北部×2、中部、南部)に残っています。まずは一つめの北部砲台。24センチ加農砲が配備されていたようですが、ここにも毒ガスのタンク置き場に転用されていた跡が。



 せんそうとへいわ。



 北部砲台から中部砲台へは、自転車を一旦降りて結構急で長めの山道を歩かないといけません。途中島の外からも目立っていた鉄塔を経由。







 中部砲台。日露戦争の時に旅順に送られた28センチ榴弾砲の一部はここに配備されていたらしいです。



 北部砲台まで戻って、こっちは12センチ速射砲が配備してあった砲座。





 火薬庫跡。中は床も天井も抜けた完全な廃墟。万一の際の被害軽減のために土塁とかで他と隔離された空間にあるのはこの手の施設のお約束。黄色いペンキでなにか書いてありますが、落書きではなく米軍が火薬庫として利用していた時のもの。



 この島は基本的に車乗入れ禁止で、島を回ろうとすれば自転車か徒歩かの二択になるのですが、自転車に乗る際にも道路上を我が物顔に遊んでいるうさぎを轢かないよう注意しないといけません。というか、こいつら人に慣れきっているのでこちらが気をつけていても餌をねだりに全力ダッシュしてきたりします。ああもうあかんて、チャリの下とか入ったら轢いてまうでお前。





 どれくらい慣れてるかというと手から餌を食ってくれるくらいに(うっかり素手でやってますけど事故防止のために手袋はしといたほうがいいと思う)。ああもう、かわいいなあ。



 なんとなく昔なつかし、志村けんの変なおじさんに似ているような。





 南部砲台。…しかし、オークの島という名前だけで色々楽しいのに、「ゲイ予要塞の一部」となるとこれはもうカオスですね。いろいろ危険すぎて… はっ! そんな島だから地図から抹消されてしまったのか…!



「この島も人間がようけ来るけど、ここまでアホなこと考えながら回っちょるやつははじめてじゃけえ」(なお言葉遣いは適当)



 発電所跡。ここも米軍に利用されていたのでMAG2の文字が(火薬庫はMAG1だった)。大戦中は大陸間非弾道弾ふ号兵器こと風船爆弾の組み立て工場に転用されていたとか。立入禁止の柵がしてありますが、用途からすると毒ガスの影響(一部の貯蔵庫跡などはこれで立入禁止)というよりは単純に廃墟で危ないからでしょうか。







 もちろん、そんな理由彼らにとってはなんの関係もなかったりします。



 行きのフェリーから見える発電所はこんな感じ。手前に石造りの当時の桟橋も。

 だいたい島を一周したので、一度自転車を返却。2時間制なので中部砲台への往復を入れると結構忙しなくなってしまいます。そこさえ無視すれば十分なんですけど。





 休憩がてら土産物コーナーをうろうろ。昨日の宮島といい、このあたりの自治体は一市町村につき一人ご当地キャラを配備しているのでしょうか。先進的だな広島県。 …あ、でも黒髪の和風美人の広島弁、なんかいいかも。



 店内にはもちろん、様々なうさぎグッズが並んでいます。 …けどこいつはなんか違うような… 



 ああ、いいですねえ、このふてぶてしい感じのセリフ。誰とは言わないけれど脳内にてすっげえ渋い声で読み上げられています。





 などと思いながら外にでると、ほんとにふてぶてしい連中がいたー!?





 検査工室と研究室跡。休暇村設置当時はこれらの建物も宿舎として利用していたとか。 …なんか出なかったんでしょうかね、それ…



 前の写真で検査工室前でグダっていた黒うさぎ、私の気配に気づいてダッシュしてくるまでのその間3秒。ついでにあと2匹もどこからか出現して、建物の写真撮ってる間中餌くれアタックでした。ほんとに慣れてるなあ。 …まあ、どっかの奈良の鹿と違ってアタックを受けても大ダメージになることもなく、威圧感もないのでなんの問題もないのですが。 …2日連続奈良の鹿を引き合いに出すとか、お前なんか嫌な思い出でもあるのか? …やだなあははは。 …ないわけ、ないとでも?(幼少期になんかあったらしい)



 大久野島毒ガス資料館。館内は撮影禁止。島で使用していた防毒服・防毒面や陶器製の毒ガス製造装置が展示されていましたが、製造装置が真首都の、しかも私にとってとても馴染み深い通りにある会社の製品であることにびっくり。まさかこんなところであの地名を見るとはなあ。もちろん通りであるからして東西南北に伸びていて、私がよく知っているその場所の近辺ずばりで作っていたわけではなさそうとはいえ。



 屋外に展示してあった毒ガス製造装置。これも真首都製なんですかねえ。





 フェリーの時間までは結構あるので、島の南部を歩きまわってみましょう。幹部用防空壕跡と移動交換器室跡。



 灯台。



 南部照明所(探照灯)跡。もちろん夜戦に大活躍。 …要塞に夜戦もクソもないとか、そんなことは知りません。





 もうしばらくうさぎと戯れていたいところですが、更にフェリーに乗って次は大三島へ。盛港という港に到着しますが、どうやらここは裏口的な場所のようで、自家用車を置いていない限り、他の交通手段がなさそうです。よって大久野島出発前に休暇村のフロントでタクシーを手配しておくしかないかなあと。

 大三島は大とつくだけあって、思ったよりでかいです。そして宮島の時も思いましたが、山が結構高い。タクシーの運ちゃんいわく大三島にはダムもあって水を他の島に給水する側だとか。瀬戸内の島というと基本水なんかなくて本土からの給水だよりかなーみたいなイメージがありましたが、そんなことないんですね。



 盛港から2500円弱、今回の旅行最後の目的地、大山祇神社。





 さすが戦の神様だけあって、門を守るのは弓と刀を構えた甲冑姿の武神像です。



 海と戦の神様に祈ることといえばやっぱり航海安全(艦娘の)と羅針盤調伏。あとドロップ繁盛に建造成就。そのうち罰が当たりそうな気もしなくもないですが、気にしないでおきましょう。

 この神社の目玉といえば、古来より数多の有力者たちが奉納してきた武具の数々。残念ながら収蔵している国宝館などは撮影禁止ですが、重文・国宝級、義経やら頼朝やらが奉納した甲冑や太刀、長刀などがごろごろ転がっているさまは壮観です。中でも普通の太刀の二倍から三倍の長さがある大太刀が複数あったのが印象的でした。おそらく奉納用だからこその実用度外視アイテムだとは思うのですが、こんなでっかい武器を軽々振り回して雑兵をふっ飛ばしている武者の姿を想像すると… おおお…



 もちろん有名なこの人、鶴姫所用(らしい)の女性用鎧も。ほんとに腰のところがくびれてるんだなあというか、むしろこれはくびれすぎでは… くらいのイメージが。胸の方は他の鎧と比べると(ちょっとは広がっているとして)大きすぎるほど大きいというふうにも思えなかったので、あまりぱんぱかぱーんだったわけではなさそ(どこからともなく飛来する矢とか20.3センチ砲弾とかを受けて沈黙)

 国宝館の隣にある海事博物館も共通券なので入りましたが、海の生物標本と並んでなぜか陸地の鉱山の鉱物標本なども並んでいたりする、まあ、よくある「博物館…」的な施設ではあります(もっとも、大山祗神社は「海と山と戦の神」を祀っているので、その意味では鉱物標本があってもおかしくはない。じゃあ「海事」とつけなくても… という点は残りますが)。ただし、昭和天皇が生物採集に使われた船、葉山丸がそっくり保存されているほか、生物学者・昭和天皇の著作や論文も展示されています。この葉山丸、15トン程度の小舟ですがれっきとした横須賀海軍工廠製、戦時中は海軍に移管されて江田島で兵学校生徒の訓練用に使われていたらしいので、その点では一見の価値あり。 …国宝はともかくこっちは写真くらい撮らせてくれてもいいと思うのですが…



 神社近辺の土産物屋にて。なんとも古式ゆかしい、この。



 あとはバスで福山まで移動、そこからは新幹線で撤収。連休最終日だけあって今治から福山への高速バスは大三島に来た時点で満席、積み残しすら出る有り様。私は幸い早めに並んでいたので補助席を確保できましたが、あのあと臨時便とか出たのかなあ…
 もちろん福山駅からの新幹線も満席、みどりの窓口は長蛇の列でした。初日の混雑を見ていた私はこんな事もあろうかと前日夜のうちに18時30分くらいの席を確保しておいたので問題なし。とはいえ、大三島から予定より1時間早く出てしまった(渋滞もあるかもなーと警戒していたが案外するっと着いてしまった)うえに座席変更が無理だったため、福山駅のホームで2時間ほどボケーッとするはめに。まあいいんですけどね、タブレットと携帯キャリアのWi-fiスポットを活用して艦これしてればいいんですし(笑)。

 今回の旅行による日本百名城達成度 77/100 中国地区クリア
ばっくとぅとっぷ

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