過去日記目次へ


ばっくとぅとっぷ


今日の三沢日記 6月21日(土)


 梅雨に入ってジメジメムシムシしてきた日々にうんざりしてきたので、思い立って北の国へフライ・ハイ。我ながら自由なものです。



 さすがに北方へ行こうとすると電車では無理なので大阪空港から出発。行き先は三沢空港。米空軍と空自の一大拠点に民間が間借りしている感じの空港ゆえに撮影禁止らしいので、到着時の写真はなし。しかし、機内からは軍用機こそ見えなかったものの格納庫や掩体らしき土盛りなどが散見され、いきなりテンションが上ります。その上がったテンションのまま、まずは空港近くの三沢航空科学館へ。



 科学館だけあって館内展示の大半はいわゆる体験型の科学実験コーナーなのですが、奥の方に数機の飛行機が展示してあります。これは1938年に長距離周回飛行の世界記録を樹立した航研機…のレプリカ。





 エンジンとプロペラ。



 長距離飛行を目的にしているため、主翼がやたらでかいというか細長い。 …しかし、それ以前になんか違和感が…



 と思ったら、実はコクピット、というかキャノピーがないのでした。離着陸の時はこの折りたたみ式の風防を立てるものの、飛行中は機体の窓(見ての通りそれも大きくはない)から外を見ていたとか。抵抗軽減のための似たような処理は記録狙いの機体だと基本、でしょうか(というか偏執狂的に視界を重視する軍用機のほうがある意味異端か)。現代でもリノのエアレースで見られる速度記録狙いのレーサー機だとコクピット縮小と同時に主翼も極力切り詰めるところ、コクピット縮小+めっちゃ長い主翼という組み合わせはある意味では斬新かも。
 ただし、この機体は速度じゃなくてあくまで航続距離の記録を狙っていたものなので、実はエンジン出力は800hp、速度も260km/h程度だったようです。



 上から。 …なんか、仮に風防をオンにした状態にしてもわりと主翼が邪魔なレイアウトのような気も…



 航研機の隣。東北電力に転職した、ヘリコプターきたかみ様だよー。



 あとはYS-11。私が見たのは所沢に続いて2機め。

 …とまあ、本館の展示はこの程度なのですが、ここには最近割と強力な目玉が加わっています。



 そう、陸軍のキ-54 一式双発高等練習機。2年前に十和田湖から引き上げられた機体。



 十和田湖という低水温の淡水環境にあったおかげか、70年近く沈んでいたにしては原型が綺麗に残っているように見えます。日本で飛行機が発見されたりしてもレストアされずにそのままの姿で展示されることが多いことについては常々不満に思いつつもまあ資金も技術も理解もないだろうしなあと諦めることが多いですが、これくらい残ってる状態ならある意味、内部構造もわかりやすい天然のカットモデルみたいなものとして納得できるかも。





 座席、車輪、燃料タンクなどのパーツ。座席がプラモデルのパーツまんまだなあ、と。





 翼端灯など。こんなに鮮やかに色が残ってるものなんですね。それ以前に内部の電球ともども原型をとどめたかたちで残っていることが驚きですが。



 実際にはこのソケットに電球をつけるんですね。



 主翼の識別帯のところについてるなんというのか微妙に分からない電球とカバーも元のまま。



 どっかで見たタッチのイラストだと思ったらやっぱりこがしゅうと先生。ミュージアムショップで最新作も売ってました。



 ドア。これが右開きか左開きかといったところで資料との食い違いがあったとかの話ですが、詳細は略。



 日本機特有の注意書きもばっちり残っています。



 胴体後部。こうしてみると、飛行機の後ろのほうってほんとがらんどうですね。



 垂直尾翼。外側下の一部だけ真ん中に穴が開いた感じになってるのが謎。



 こちら側の胴体は破れきってはいないようです。が、けっこうベコベコ。水圧の影響でしょうか。やっぱ飛行機、それもそこまで無理な機動をする予定のなさそうな練習機とかだと薄いもんなんですねえ、外壁。



 この主翼の外れ方、外国製のあまりパーツの合いの良くないプラモを仮組みせずに一発で接着しちゃって失敗した時に似ているような… 実物でもこんな感じになるもんなんですねえ。これからは組み立てに失敗しても「某所の湖に沈んでいて最近引き上げられた仕様」という感じで改造してしまえばいいんだ、そう思う勇気がわきました(他のダメージ加工がめんどくさすぎてダメだろう)。



 主脚。キ-54の足はもともと半引き込み式で、今は失われているエンジンナセルから半分車輪がはみ出すスタイルだったようです。よって着水の衝撃で足が折れたとかではなくて、元からこんな感じっぽい。



 反対側の主脚取り付け部。



 ハ13甲エンジン。海軍だと天風になるんでしたっけか。本機は双発ですが、もう一基のエンジンは日野自動車(このエンジンを作った瓦斯電の後身の一部)が補修して、八王子の自社の博物館に展示しているらしいです。



 機首を真正面から。なんか漫画というか子供向けの絵本とかに出てくる吸血鬼の牙みたいなことになってます。機首から水面に突っ込んでいった感じなのでしょうか。



 できるだけ中を撮ろうと試みたけど無駄だった。



 酸素か二酸化炭素か水か何かの瓶?



 主翼の桁と胴体の接合部分。こういうところが見られるのは破損機ならではですねえ。



 横から。この角度からだとほとんど原型を保っているように見えます。



 キ-54のエンジン整備用の作業台。長年放置されていたものをマニアの人が発見、保管していたとか。なんでもとっておくものなんですねえ…



 正直、「どうせレストアもせずに展示してるんだしなあ…」と思って高をくくっていたところはありましたが、むしろあまりにも適度な壊れ方だったのでいつまででも時間を食いそうな感じでした。名残は惜しいですが、このあたりで屋外展示に移りましょう。





 …あ、実はこの格納庫、同時に何かの映画で使われたとかいう零戦の実物大模型の展示もありましたが… まあそっちはいいですよね。実物もわりと今まで見てきてますし。





 屋外には米軍や自衛隊から借りている機体が展示されています、ということでF-16。いつも思うのですが、横から見るとかっこいいけど前からだと腹の膨らみが気になるんだよなあ…



 で、その腹の膨らみの蓋にはなんか名簿みたいなのが書いてありました。めんどくさいから解読はしない(えー)。



 おなじみF-104。コクピットにも入れました。



 ので、入りました。



 …で、そのピトー管にはこんな注意書きが。注意書きというか、もうやんわりとした警告文のようにも思えます(笑)。何度も同じような質問をされてうんざりしている説明員の人の姿が目に浮かぶようです。しかし、レーダーとかアンテナ、避雷針はともかくレーザーて… たしかに一昔前の特撮だったらここから稲妻状の光線をぶっ放しそうだけど…



 あれ、そういえば質問しようにも説明員の人ってどこに… と思ったら、横にはこういうお断りが。該当の車を探してみるとたしかに車内で待機されていました。うーん、羨ましいような、退屈そうな仕事なような…





 通常仕様とブルーインパルス仕様、2機のT-2









 英語だと特になにも思わない機体の注意書きですが、日本語で色々書き込んであるとなにか不思議な感じがします。





「とう載」「アレステングフック」と、いかにもお役所的な漢字かな交じりになってたり普通とは違うカタカナ表記になってるあたりが、特に。旧日本軍機と違ってひらがなも普通に使われてるのも違和感の理由かも。



 T-2から派生した支援戦闘機、F-1。実は、私が戦後機に興味を持ちだした頃には既に退役が始まっていたので全盛期の印象はあまりなかったりします。創作物でも「群青の空を越えて」で玉砕覚悟で出撃して悲壮感漂いまくっていた(そして全滅する)イメージが真っ先に…



 なぜか機体右側は鏡文字。





「疾風迅雷」「精鋭無比」。うむ、かっこいい。少し剥げかけてきてるのが気になるけど。



 多分自分が足元を照らすためについてるんじゃなくてむしろ自分の位置を知らせるためのライトだと思うのですが、一瞬なんでこんなところに、と思った装備。



 真正面から。F-104ほどそんなイメージはなかったのですが、やっぱり主翼、小さいですねえ。どうしても基準をレシプロ機に置いてしまうので、ジェット機のプロポーションというのはいくら見ても慣れないところがあります。



 T-2一族揃い踏みの図。



 P-3。哨戒機としてのP-3Cが有名ですが、この機体は米第7艦隊が要人輸送用に使っていた機体とのこと。



 というわけで中には座席が。





 コクピット。一見広そうに見えますが、中央の盤がかなりのスペースを食っていて、一人ひとりはかなり窮屈そう。



 T-3、初等練習機。ふーん、という感じで流して見てしまったのですが、写真にすると機体の小柄さのわりにキャノピーでかいですね。



 T-33。これも何気なく見てましたが機首部分、細長いというか横幅、あまりないですね。ヘタな設計をした飛行機(某英国のアレとか)の主翼くらいしかないのでは。



 OH-6。いつもながら卵かわいい。



 LR-1。かつて三菱が作ったビジネス機MU-2の陸自仕様。今まさに退役が進んでいて、もうすぐ(既に?)部隊からは姿を消すようです。解説板いわく「陸上自衛隊の地上作戦やヘリボーン作戦に際し、戦場偵察等の任務もあることから実践に即した外観迷彩等凄みのあるスタイル(ママ)」をしているとのことですが… なんでしょう、姿勢の低さ(脚の短さ)と迷彩の緑色が合わさって、第一印象は「ワニっぽい」でした。 …ただし、鼻面が長くて丸っこいところからはダックスフントも連想されるような。ワニとダックスフントのキメラ… 凄みがあるといえばありますが… ううむ。



 中の椅子はいかにもビジネス機っぽい合成皮革風。凄み… 凄みかなあ。



 屋外展示最後の一機はお馴染みF-4。 …しかし、今更だけどF-1より17年も前に初飛行してるんだよなあ… いつまで使い続ける羽目になるのやら…



 航空科学館から三沢駅へタクシー移動、青い森鉄道で八戸へ。新幹線も停まる八戸駅は市街中心部からバスで20分かかるくらい離れているので、さらにJRに乗り換えて本八戸へ数駅移動。在来線の中心駅と新幹線の駅が離れているのなんてよくあることではありますが、とはいえめんどくさいことに変わりはないよなあと思いつつ。



 本八戸駅のすぐ前にある小高い丘、いまは三八城公園と三八城神社になっている一帯が藩政時代の八戸城なので、ざっと寄り道。といっても例によってなにも残ってないんですけどね。そもそも天守はおろか櫓も建てられていなかったとか、そういうレベルです。とはいえ、丘の北側のあたりはそれなりに急勾配になってたりするので城っぽさ完全皆無かというとちょっとはなくもなく、程度。



 そんな八戸城ですが、角御殿表門は南部会館の門として残っています。

 この日の作戦行動はこれで終了。せっかく東北に来たんだからとか言いつつ屋台横丁で海の幸を楽しみながらバカバカ酒飲んで、初日からちょっといい値段の晩飯になったことに愕然としつつ就寝。まあ、明日はちょっと城見たあとは電車に乗るだけだし…

 と、この時は思っていたのでした。そう、この時は。



 おまけ。航空科学館の売店にて。 …よく見たら割と豪華な人選だ… 東北、頑張ってるなあ…



「美味格別 防衛省まんじゅう」。「世界平和により役立つ」お饅頭を考えると究極的には山吹色になりそうな気もしますが、しかしあの省にそれを可能にするほどの予算があるかといえば… うっ…



 実際に軍隊で仕事をしていた兵隊熊といえばポーランドのヴォイテクが有名ですが、どうやらこいつもその領域に踏み込もうとしているようです。 …仕事を選ばなすぎかけ持ちすぎなやつなんで、肝心なときには別のことをしていて役に立たないこと確定な気もしますが。



 この写真を撮った数日後に将来の三沢への配備計画を大臣が語っていましたが、そうは言ってもいくらなんでも気が早すぎではないでしょうか、なF-35キャップ。力強く、そして実に誇らしげな「ステルス戦闘機」の文字がいい味出してます。





 航空科学館内で流されていた「我が国の対領空侵犯措置を扱ったビデオ」。意外なところが作ってるんですね。なお残念ながら人型兵器が登場したり、どこぞのプロダクションのアイドル…と外見は似てるけど声と性格が違うそっくりさんが登場したりはしなかった模様。

今日の八戸日記 6月22日(日)


 作戦二日目。八戸における目的地は唯一つ、南北朝時代から江戸時代までこの地に根付いていた八戸南部氏の拠点、根城(ねじょう)。日本百名城にも数えられています。



 根城の位置は中心街と八戸駅のほぼ中間点くらい。バスは20分に1本程度はあります。城の前ではこの城の築城者とされる南部師行の銅像がお出迎え。日本史上最強の男装美少女(ただしかつての大河ドラマに準拠するものとする)、北畠顕家に従ってこの地にやってきたお人ですね。城跡でもらったパンフレットによると、1334年に師行が築城して以来、1627年の八戸南部氏遠野移封にともなう廃城まで300年間一度も落城しなかった名城とのこと。 …しかし、一族の内紛とか小競り合いを抜きにするとそもそも南部氏がこの城まで押し込まれて攻防戦を展開するという事例自体、そもそもどれだけあったっけなあという気も(笑:もちろん皆無ではないとして)。



 移築された元・八戸城東門から城内に。この城門、根城から八戸城に移築されたものだとの伝承もあるようで、もし本当なら単に元の鞘に戻っただけとも言えます。



 現在残っている曲輪群だけでも相当だだっ広い城ですが、実際は国道を挟んだ南側、今は住宅地になっているあたりも城域だったとのこと。この堀も昔はもっと深くて鋭角だったのでしょう。



 なんか墓地になってる東善寺(曲輪)。ボケーッと墓を眺めていたら、なにか物音が。





 振り返ると、おや。つがいなのかなんなのかじゃれあってる2匹のリスが。アメリカの公園だと日本でいう鳩と同じくらいの勢いで見かけましたが、日本本土にもいるもんなんですねえ。



 中舘手前の堀。堀底は菖蒲園になっていますが、往時は多分湧き水が湛えられていたのでしょう。水堀というほどの水量だったかはわかりませんが、むしろ中途半端に底なし沼みたいになってるほうがイヤかもしれません。



 なにぶん存続期間も長く拡張改修が繰り返されているため、堀であったところが通路になったり曲輪になったりと、いろいろと変遷があるようです。これはそういう元空堀の通路跡だとか。



 上から見た図だとやたらと広い曲輪がずらっと並んでいるだけのように見え、防御力的にどうなんだろうとも思います。とはいえ、実際歩いてみると各曲輪間の高低差はそれなりにあり、わりに起伏に飛んだ地形をうまく利用している感じ。



 本丸に渡る木橋(手すりは安全上の追加)と東門、北門。



 本丸前の空堀。なかなかのV字型。



 この城のウリは中世城郭として復元された建物群。 …とのことですが、復元想定年代は1580年すぎくらいらしいんですよね。年代からいうと中世城郭…? という感じもしますが、このあたりだとまだまだ昔ながらの館の延長も残っていた、ということでしょうか。





 中心部となるのはこの主殿の建物。2枚目の写真の手前の杭は復元されていない御殿の位置を示すもの。





 それ以外にも納屋や工房、鍛冶場といった生活空間が復元されているのもポイントでしょう。これだけでっかい城でありながら本丸にそういう施設があるのは少し不思議な気もしますが、元は本丸だけの館だったところをどんどん拡張していった結果大きな城になったんだと考えるとなにもおかしくないのかもしれません。





 あ、今気づいたけど主殿にくっついてる方の厩(上馬屋)、馬(の人形)がいますね。



 あちこちに復元してある板塀。平坦で広すぎるように思える曲輪もこうやって塀で区切ると侵入者の動きとか、結構制御できそうですね。学園祭のお化け屋敷効果というか。ただ、それを除くと防御施設が物見台跡一か所くらいしか見当たらなかったのはそんなに手薄でよかったのかとも。本丸以外の曲輪はもうちょっと厳重に櫓とかを建てていたのでしょうか。

 根城はこれで終了。さて、あとは新幹線で新青森まで出て、そこから特急で青函トンネルをばびゅーんとくぐって北海道に渡るだけ。いやー予定より早く進んでるなーこれは函館での行動を前倒しできるかもー、っと余裕綽綽、八戸駅へ向かうバスの中スマホでニュースチェックしてると、こんなニュースが。

「JR江差線で貨物列車が脱線 北海道〜本州間全面運休 運転再開の見込み立たず」(2年ぶり3度め)

 ……おや?

 ええ、例のJR北海道の脱線事故、まさにこの日の未明だったんですよ… とにかく新青森までは移動して駅員さんに情報収集を図るも、やはり北海道へ渡る列車は全面運休、代替バスの運行等もなし。ううむ、さすが試される大地、ちょっと先っぽに上陸したいだけなのにここまで猛烈な抵抗をしてくるとは… などと冗談を考えている余裕も一瞬なくしかけましたが、ここでふっと思い出す。 …そう、陸路が駄目なら海路を取ればいいじゃなーい。



 ということで、青森駅から(新青森からちょっと移動)タクシーを駆ってフェリー乗り場へ。同じことを考える鉄道難民でごった返していましたが、なんとか1705青森発2045函館着の便に潜り込むことに成功。函館の予定前倒しどころか予定到着時刻よりかなり遅くなりますが、四の五の言っていられる場合ではありません。どこか懐かしいカーペット敷き雑魚寝の二等船室に陣取り、なんとか一息。



 なお、乗ったのはこの津軽海峡フェリー「びなす」。なぜわざわざびーなすと伸ばさないのかは不明。136メートルだから駆逐艦よりはやや大きめ、20ノットは輸送船(ちゃうて)としてはなかなかに優速… などと考えてしまうのは、きっと悪い癖でしょう。総トン数表記で書かれるといまいち大きさが把握できないことも含めて。



 船内のゲームコーナーには、なにやらとても懐かしいものが。



 船室だと電波が入りにくいので、甲板に出てうろうろ。 …うろうろというか、下北半島を眺めつつ電波を捕まえて艦これ。輸送船(せやからちゃうて)から艦隊を指揮していると、気分は黄海海戦に西京丸でついていった樺山資紀。 …つまり、実際に戦ってる艦隊からすればいい迷惑であります(笑)。



 津軽海峡の西側、たぶん渡島半島に沈もうとする夕日。





 いままさに日が沈まんとするところにすれ違う一隻の船。ヒャッハー、反航戦で夜戦だぁ!(あかんて)



 視線を東に転じれば、おそらくあれが下北半島の先端部。

 このあとは海峡に潜伏している潜水艦から雷撃を受けるなどのアクシデントもなく、無事函館に到着。予定はだいぶ狂ったものの、思わぬところで船旅を楽しめたりしたのでまあ、許容範囲でしょう。こういうのも旅の醍醐味醍醐味。

 …ところで、例の脱線事故のあった路線、実は明日以降の目的地に行くために不可欠でな?

2014函館・松前・八戸旅行記 後へ

ばっくとぅとっぷ

アクセスカウンター