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ばっくとぅとっぷ



 えー、なんか一年以上にわたって深い眠りについていたような気もしますが、あえてそのことには触れずに旅行記を書きましょう。今回の旅行は6月頃、フランスや韓国などにご一緒したMURAJIさんが「9月の連休に根室半島チャシ跡群に行きたいです」と呟かれたのにうっかり反応してしまったことに始まります。
 根室半島チャシ跡群。おそらく日本百名城を知る人達が口をそろえてこう呼ぶ場所。そう、「ラスボス」。その理由は……根室半島という立地からしておわかりでしょう(ほんとは他にもあるのですが、それは後述)。気がつけば百名城のうち80城以上をクリアしてきた私も、あそこだけはヘタしたら定年後まで待たないといけないかもなあと思っていた、そんな場所。そこに行こうと考えている人、それもこれまで何度かご一緒したことのある人がいる、それはもう飛びつかないわけがない。そして飛びついてから衝撃の一言を聞くのです。
「あ、私、自分の車で行ってみたいので、本州からフェリーで北海道に上陸して車で根室まで行こうと思いますが、大丈夫ですか?」
 ほ、ほほう……そいつはまた……お、面白いじゃないですか……(震え声)。

今日の出発〜海上日記 9月18日(金)〜19日(土)


 かくして後には引かない無駄な勇気で参加表明をしてから3ヶ月。連休前の仕事をさっさと終えて埼玉県某所に集合し、MURAJIさんの愛車に乗り込みいざ出発。目指すは北の大地、新潟。

 ……お前ら北海道行くんちゃうかったんかいというツッコミが容易に想像できますが、実はここ新潟港と小樽を結ぶ新日本海フェリーが往路の足なのです。関東から北海道へのフェリーといえば大洗あたりが有名ですが……大型連休というものを甘く見ていて取れなかったんですよね、普通に(苦笑)。まあ、おかげで行きは日本海周り、帰りは太平洋周りと一粒で二度おいしい船旅を楽しめたりはしたのですが。



 そんな、どう考えても変なルートに思える新潟航路ですが、2ヶ月近く前に予約したのに実は間一髪、当日はもちろん満席でした。なお、新潟着は19日朝5時頃、フェリーの出港は10時半。その間はスーパー銭湯で軽い休憩をとってました。ここらへんの時間調整は私が集合場所に向かえる時間が終電に制約されてしまうため、仕方のないところ。3時くらいに集合できれば待機時間無しで乗船できるんですけどね。



 この船が今回乗船する「ゆうかり」。全長199.9m、総トン数18,229トン、速力22.7ノット。威風堂々たる優秀船です(大戦基準)。きっと緒戦南方を皮切りに大かつや……ってそれは危険なフラグか。どうでもいいけど全長の数字が絶妙すぎてうっかり何かの条約逃れ? などと思ってしまったり(税金の関係とかのほうがまだ現実味がある気がする:しらんけど)。



 船内の一番目立つ場所にあった謎の円錐オブジェ。船名の「ゆうかり」、「夕張ではなくゆうかり……そんな地名、あったっけな? 勇狩とか湧狩とかそんな感じか……?」と一瞬考え込んだのですが、どうやらコアラが好むあのユーカリのこと……なんでしょうか。それはそれでなぜこの航路でその名前なんだという気はしますが。ともあれ乗船、言うまでもなくグレードは2等船室、いわゆる雑魚寝部屋なので速攻コンセントを確保できる位置を占領。携帯にカメラにモバイルWifiにタブレットとなんかもう最近の旅行の時は一人通信兵みたいになってますから、一日充電できるのとできないのとでは大違いなのです。




 新潟から小樽までは14時間、洋上に出ると電波も届かず艦これもできないので、やってたことといえば持ってきたラノベの消化か展望デッキに出てボケーっと海を眺めるか、あるいはひたすら床に転がって寝てるか。天気が微妙だったのと持ち込んだ本がたった2冊だったのとで結局ほとんど寝てすごしてました。。



 レストランで夕食。席数自体はけっこうあるものの、カフェテリア形式なこともあってかかなり並ばされました。なお、船内では暇を持て余した乗客がいたるところで酒盛りに興じていましたが、この私がトレイ上に見える日本酒1本で我慢したことに鉄の自制心を感じてください(その程度のセーブで賞賛を欲するって普段どんだけ飲んでんねんお前)。



 船内、スポーツルームと称するエアホッケーが2台おいてあるだけのお部屋。写真は撮っていませんがゲームコーナーなどももちろん完備しており、お約束通り味のある空間になっています。



 そんな暇というか平和な航海でほぼ唯一のイベント、「ゆうかり」とは逆に小樽から新潟へ向かう姉妹船「らいらっく」とのすれ違い。夜間、かつ動揺する船上から撮影した写真なので思いっきり揺れまくってなんか変なことになってますが、これはこれで味がある……と思ってもらえたりはしませんかそうですか。




 でも頑張って射線を固定して正確な姿を捉えても、これだと地味じゃん? あ、二枚目の方も対空砲火撃ってるみたいな感じでちょっと気に入っています。

 らいらっくとすれ違ったあとは本格的にやることもなくなったのでさっさと就寝。しかし、丸一日船に乗っていると日付感覚、狂いますね。飛行機で日付変更線を超えるほどではないにしても。この後、全日程中二人の間で「あれ……今日って何日目でしたっけ」という疑問が飛び交うことになります。

今日の根室日記 9月20日(日)


 新潟〜小樽航路の朝は早い。どれくらい早いかって小樽港着が4時半なくらい早い。そんな時間に北の大地を踏んだ我々は、「こんな時間からやってる店もないでしょうし、とりあえず先に進んでからいい時間になったら飯を探しましょう」と一決、一路東への進撃を開始したのでした。本日の宿は釧路と根室の中間点にある厚岸(中途半端な場所ですがこれまた予約が遅かったのでやむなく)。目的地としてはまあ途中にある帯広や釧路あたりですかねーというのが「この時点での」計画でした。そして快調に高速道路をかっ飛ばしはじめて2時間ほど。キタキツネが描かれた動物注意の看板などに北海道を感じながら小樽札幌を華麗にスルー、休憩に入った輪厚PAで、じゃあそろそろこの先の飯屋を探しますかーと調べ始めてふと気づく。

 ……あれ? ここらへん(そもそも「ここらへん」という距離感が本土とはちょっと違う)の高速SAPAも道の駅も、店が開くの、全部9時以降じゃね……? というか、そもそもSAとか、ほとんどなくね……?

 で、しばらく考えた結果出した結論は「……とりあえず、先に進みましょっか」
 こんな何もないところで店が開くまで2時間とか待ってても仕方ないですよね。前進あるのみ! 大丈夫大丈夫、走ってればそのうちまともな補給拠点にたどり着くはず! ……お、由仁SAかー。なになに、道東道最後のガソリンスタンド? おお、すげーなー北海道。まだルートのほんの入口近くなのにもうこの先スタンドがないなんて。
「でもまだ開いてないしいいですよね、このまま行っちゃいましょう」

 え、あ、ちょ!? マジで!? マジで新潟で給油したっきりで!? 大切大切! 補給は大切ですってう゛ぁぁぁぁ

 ……などと動揺しているうちに車は発進、なんとそのまま現在完成している道東道を最後まで走りきって、かつて自衛隊がエゾシカと戦い苦杯を嘗めた地であるところの白糠市街(詳しくは「白糠の夜明け作戦」でぐぐれ)まで到達したところでスタンドを発見、なんとか給油に成功しました。最終的な残燃料は約10%。なんだろう、この「ルート固定が必要な高難易度海域に何も考えてない編成で送り出しちゃった艦隊」じみた消耗具合は(笑)。



 道東道驀進中に立ち寄ったどこかのPAで、我々の隣に駐車してきた車。
えー、なんといいますか、あまりにも地元などで見慣れすぎたなにかというか、むしろ見慣れすぎていてこんなところで遭遇する衝撃というか……アフリカの奥地を探検してたら、ジャングルの木陰からひょっこり近所のあんちゃんが出てきたかのような、そんな強力な違和感が……いやはや、こんな北辺の地にもいるんですね、トラキ……もとい、とても熱心な縦縞球団ファンって…… 
 ……さて、これだけ各地にファンがいるんだから、頼むでほんま。どうやら今年の9月ももう手遅れっぽいけど。またしても9月になってから力なく笑いつつああやっぱりと呟くしかできない状況に陥ってるけど。なんでこう毎年毎年毎年。学習とは。反省とは。嗚呼。



 終わらない嘆きはこのくらいにして、占冠村あたり、原野と山と牧場とがひたすら続く風景の中に唐突に出現する高層建築物。どうやらリゾート施設のようですが、あまりにいきなり視界に現れたのでちょっとびっくり。今の経営状態とかはよくわかりませんが、うぃきぺでちょっと調べたらバブルの時にゴタゴタしてた……のはびっくりというかむしろ当然という感じですね。




 話を白糠に戻して。燃料補給が済んだら食料だよねということで、白糠郊外の道の駅恋問でようやっと朝食に。豚丼とタコザンギ。うむ、疲れた身体に濃い目のタレの味ととろけるような脂が心地よい。……けれど、どちらかというと以後このルートを使う方は小樽なり札幌で一旦高速から降りて、早朝から営業している店で燃料食料を万全に補給してから挑むのが正解だとは思います(笑)。



 この時点でだいたい12時過ぎ。そういえば今朝まではこの海(太平洋)とは違う海の上にいたんだよなーとかぼけーっと思いながらこの先のルートを検討。当初立ち寄る予定だった帯広とか全力で駆け抜けちゃったし、この先どっか寄るとしたら釧路くらいしかないような……
「んー、じゃあ、まだ時間がけっこうありますし、……今日中に(本来は明日行く予定だった)根室半島、一周しちゃいましょうか」

 ……そう、今回の旅の(なんか知らない内にそういう流れになってしまった:笑)コンセプトは、「迷ったら前進あるのみ」でした。なあに、小樽から白糠までが318キロ、白糠から根室なんてその半分の158キロ。余裕ですよ余裕。え? 根室から先に行ってそこからちょっと戻って厚岸に泊まるんだからそれだけじゃ済まんだろ? ……あ、すいません、聞こえなかったです、はい。

 そんなわけで再始動した我々は太平洋沿いの国道を一路、東へ。道中通過した釧路はあらゆる業種の大手チェーン店がとりあえず一通りは揃っているように見え、さながら日本最東端の大都会といった風情(イオンの中にだけどアニメイトもあるっぽい)。とはいえ、市街からしばらく行ったあたりの原野や牧草地であると思われる草地は先日の大雨の影響で水浸し、一部では道路までまだ冠水しているような状況で、ああ、さすがは湿原地帯であるなあ、と。



 そんな湿地帯の中でのんびり草をはむ牛とか馬とかを眺めつつ釧路を超えて、厚岸でとりあえず宿の場所を確認して、根室市街をも駆け抜けて根室半島でまず車を停めたのは北海道立北方四島交流センター。外壁工事中だし工事関係者と職員らしき車以外は駐車場になかったものの、普通に開館していました。



 しかし……随分と立派な施設です。写真はこのロシア文化ルーム以外撮り忘れましたがチリひとつ落ちてないよく磨かれた床、バリアフリー完全対応のスロープ、12年前には将棋の王位戦が行われたという和室……




 なにより、こんな分厚い、もはやパンフレットや冊子とはいえないような書籍を無料配布している豪気さ。……予算って、投下されてるところには投下されてるもんなんですねえ……
 設備としてはホールや会議室などがメインで資料展示はどちらかというと脇役でしたが、北方四島にソ連軍が進駐してきた時の報告書がパネル形式で展示してあったのはちょっと興味深かったです。それによるとソ連軍、わりと平和的に進駐してきたとか、暴行略奪は案外少なかったとか(時計や貴金属などを持ち去らなかったとは言ってない)。
 一番インパクトに残った話は、小学生の引き揚げだったかに学校の女教師が付き添う予定だったところ、その先生が船酔いになってしまったから代わりに男の人に行ってもらったらソ連軍に抑留されて帰ってこなかった(大意)という報告だったりしますが。とばっちり可哀想すぎる。



 予想外の豪華施設を出たのがだいたい15時半、北の大地の東の果て故に早々と傾きつつつある太陽に急かされながら根室半島を更に先に向かって走っていると、ありました。今旅行の主目標、根室半島チャシ跡群。日本百名城の栄えある第1番(単に北から番号振ってるだけではある)にして百名城めぐりの最難関、ラスボス。まさかこんなにあっさりと到達できるとは、感無量……(あっさり:一日で小樽から北海道を横断してきた)

 チャシという構造物が本当のところは一体どういった性格のものだったのかとかそういうことは私にはよくわかりませんが(個人的にはアイヌの人たちも極端に美化されるほど牧歌的で平和をこよなく愛する人達というわけではなく、時に小競り合いも戦争もする普通の人間だったと思うのでやっぱり砦としての用途が主だとは思う)、とりあえず根室市内に24あるチャシ跡がまとめて史跡指定されています。そのうち見学用に整備されているのがこのノッカマフ1、2号チャシと後で訪れるヲンネモトチャシ。どちらも海に面した崖の先端部を、空堀や土塁で区画した構造。




 先に向かった2号チャシは、円弧の形こそ見事ではあるもののただの溝かと見間違うくらい浅い空堀が一条掘ってあるだけ(案内板には未完成か、とも書いてあるくらい)。そう、このチャシ跡がラスボスである理由、「わざわざ必死こいて見に来たはいいけれど、肝心の遺構が……」という精神攻撃にもあるよなー、と、立っている岬だけでなく心のなかにも秋風が吹きかけましたが、






 1号チャシのほうは空堀も深く、土塁も確認できたのでこれなら、と気を取りなおす。……え? これって気を取り直すほどのものなのか、ほとんど同じじゃないかって? やだなあ、これだけ明瞭に空堀と土塁の遺構が残ってるんですよ? これでテンションが上がらないなんてはははそんな。……ええ、知ってますよ。普通はどっちも等しくただの原っぱにしか見えないなんてこと、それくらい。



 1号チャシから見える根室半島。このあたり、こういう海につきだした崖が多いんですね。ついもしやあの崖もチャシかと思ってしまいますが、残念ながらそうではない模様。




 1号、2号どちらとも、空堀の中はこんな感じの平坦面。面積は本州の山城の本丸と比べても狭い。アイヌ同士の戦いなら人口の少なさもあってこの程度で十分だったのかもしれません。あのキチガイじみた戦闘民族の一派が流入してこなければ……いや、奴らが南から来なくてもそのうち北から赤ら顔した鉄砲大砲満載のある意味もっと怖い連中がやってくるか……






 ノッカマフ1号2号チャシからさらに岬先端部の方へ移動、ヲンネモトチャシへ。このチャシは空堀よりも土塁のほうが印象的。



 ヲンネモトチャシから眺める温根元漁港。なるほど、港をこのように監視できるのだから、防御施設として立地は十分考えられているように思えます。

 なお、ノッカマフ、ヲンネモト両方のチャシを我々より一足早く回っている先客が一組だけありました。それがなんと妙齢の女性二人組。いわゆる歴女のお姉さま方とある程度整備された山城ですれ違うことくらいは今や珍しくもないのですが、こんな場所に足を運ぶ猛者がいるとは思っていませんでした。さすがに釧路まで空路で入って、そこからはレンタカー利用とのことでしたが、というか我々が小樽から走ってきたと言ったら若干呆れの入った眼差しを投げられたような気もしますが(笑)。
 ついでに、根室半島チャシ跡群には実際の歴女のお姉さま方だけではなく、いわゆる萌えマスコットキャラ二人組もいたりします。北海道という地の利を生かしてなかなか個性豊かなキャラだとは思いますが、デザインは観光協会職員の人の手になるようで、なんというか、リメイクされる前の太秦萌(リメイク後は我らが真首都地下鉄の誇る最終兵器)みたいな感じは、ちょっと(笑)。 ……つまりこの子たちもしかるべき手が入ると、なかなかすごいことに……?



 さて、ヲンネモトチャシまで来たからには本土最東端、納沙布岬までほんの一息、3kmくらいしかありません。誰だよこんなところを百名城に選定したのマジで。……というか、そもそもクナシリ・メナシの戦いというとおり、こんなところや国後島にまで倭人が進出していて、松前藩兵が鎮圧に出動してたりしてたんだなあ……






 納沙布岬にて。一般人が立ち入れる範囲で国土の一番端というと、少なくとも我が国みたいな島国だと大地の果てとかなんとかでセンチメンタルな気分を醸し出したり、眺めの良さをアピールしたりと純粋な意味での観光に重点が置かれるものだと思うのですが、誰もが知ってる特殊事情のおかげか、ここ納沙布岬だけはなかなかそうもいかないようです。しかしまあ、こんなにいろんなその筋の人達が、大小取り混ぜて(用意できたご予算に応じて?)碑を立てまくってるとは……




 いわゆる「最東端の碑」は一枚目に掲げた写真に写ってるやつだと思うのですが、これが砂利敷きの駐車場の片隅にあるのに比べて、二枚目の「何かを主張している」碑のほうが舗装された展望台に立ててあって、記念撮影もみんなそっちでやってるという(この碑自体の設置者は不明なので、そういう団体の設置ではない可能性もあり)。





 中には地面に埋もれかけているものがあったり、よくある「世界人類が〜」の柱と仲良く並んでシュールな雰囲気を醸し出しているものもあったり。





 そういう直接的な怒号のようなものが刻まれた碑もあれば、祈りの力による返還を期待する和歌の碑や一見したところではなんだかわからないオブジェ系の構造物も林立しており、物言わぬ怒号と祈りのカオス空間のようになっています。祈りと怒号が同時に上がる光景、生身の人間によるものなら特定の季節に広島、長崎、あるいは沖縄あたりにいけば見られるものではありますが、物体に仮託されて常時見られるのはそうそうないのではないでしょうか。



 加えて何がここでしか見られないかというと、この件については根室市、つまり当局もどちらかというと「怒号」側としてふるまっているというところでしょう。岬のこんな旗だけでなく、根室半島の道沿いに建つすべての電柱に「返せ! 北方四島」と大書した広告板を取り付けていたり。まあ、今更振り上げた拳をほいほい下ろすわけにもいかないからなあ、などと思いつつ……

 個人的には、北方領土問題に対しては日本人としての感情論ともう少し抑制的な思考、現実的と称する安っぽいリアリスト的思考と(悪)趣味的思考が自分の中で入り混じっていて、なかなかどういう立場か端的には言い表せないところがあります。
 すなわち、感情としては北方四島どころか北千島樺太も返せこの露助、となりますし、そうは言ってもそれは実際無理だから異論を抑えこんででも二島返還してもらおうぜそれだけで上出来だろ、とも思いますし、これだけ時間が経つともう全部無理だろうという覚めた声だって脳裏に響きますし、いやいや面積等分して陸上国境を現出させようぜ、そのうちこないだウクライナの方に現れた「礼儀正しい人たち」in極東みたいなのが出現してめっちゃ楽しいことになるぜ、という邪悪な囁きも途切れることはなく……



 まあ、適当な頭で雑な思考をいくら巡らせたとしても、所詮現実にこの海を自由に行き来できるのは彼らだけなんですけどね。




 そんな北方四島関係の碑が乱立する中、ひっそり立ってるクナシリ・メナシの戦いの横死和人七十一人の墓。戦いの発端を考えると「横死」とも「殉難」とも言い難いところがあって微妙な顔になってしまいますが、それよりも解説板にある通りこの墓石の来歴そのものがかなりステキ。誰が作ってどこに置こうとしたかなどさっぱりわからないけど、ある日浜に打ち上げられていたのが発見されたという。木彫の仏像とかならまだわからなくもないですが、墓石なんか打ち上げられるも何も一度海底に沈んだらそうそう簡単には打ち上がらないと思うのですが……



 北方領土の様子を眺められる双眼鏡のある、北方館へ。確かちょっと前にツイッターのアカウントがある意味すごいと話題になったマスコットキャラクターがお出迎え。北方領土は日本の領土だピィ!





 肝心の双眼鏡で見る水晶島の細部はそろそろ夕方かつ天気も曇りだったのもあってわかったようなわからんような。島影自体は普通に肉眼でも見えるわけですが、とりあえず、展示してあった「納沙布海域を警戒するロシア艦船」の手配書もとい写真がありますので、詳しい方の解説を待ちつつ、



 花咲ガニを食べます(以下、カニを食しているとき特有の無言期間)。

 ひとしきりカニを貪り終えた頃には時刻はもう17時過ぎ、日も傾きつつあるので本日の宿のある厚岸まで帰りましょう。……って霧! 霧すげえ! これが道東名物濃霧か!マジで五里くらいの範囲は全部霧の中だ!

 ……幸い、霧の中からシカなりクマなり人間なりが飛び出してくることはなく、無事本日の宿のある厚岸に到着。……結局、本当に北海道の西の端小樽から東の果て納沙布岬を通って根室半島一周、おまけにちょっとだけ西に戻ってきてしまいました……いやあ、やればできるもんなんですねえ……
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