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ばっくとぅとっぷ


デイトン1日目 空軍博物館 第一次大戦・戦間期 5月2日(土)



 さて、世界でも最強クラスの航空機博物館、米空軍博物館。繰り返しになりますが、ここへのアクセスはさすがに車以外はありません。おとなしくレンタカーを借りるなり、頼れる伝手があるならそれを頼るなりする以外にたどり着く方法はないかと。



 だだっ広いライトパターソン基地の一角のだだっ広いスペースが米空軍博物館。なんかスターファイターが刺さってますが、別にゲートキーパーとかではなく芝生のど真ん中です。



 開館直前、8時55分くらいで既にこれだけの列。結構な入りです。一日通して見た感じ、客層も老人、家族連れ、児童・生徒の集団、若い人と全年代に渡って、またいわゆるアメリカ人の他にも中華系、インド系とバラエティーに富んでいました。日本人の「その筋」と思しき人も私の他に2人くらいはいたかも。



 エントランスのイカロス像。とミュージアムショップと展示ホールの間にいた米空軍の皆さん。博物館の構成は、概ね3つのホールからなる本館のうち1つ目の3分の1くらいが第二次大戦まで、3分の2が大戦機。次のホールが朝鮮戦争と現代機で一番奥が冷戦と、若干順番が前後しています。あとは当日の早めに登録が必要な試作機・大統領専用機の別館と、冷戦期の奥に少しだけミサイルの間が。今日は最初のホールから順番に見ていくということで。



 第二次大戦までの飛行機の間。ここデイトンはかのライト兄弟の本拠地ということで、まずはライト・ミリタリーフライヤー。陸軍向け。



 そして彼らの本業、ライト・自転車。チェーン覆いの部分の装飾は少し素敵かもしれません。



 そんな本業での経験は飛行機を飛ばすのに活きていたんだよ、ということで、彼らが翼の制御に使ったチェーンが実は自転車式だったのだ! という展示。



 あとは彼らの使った風洞がなんか2基もあったり。左が1901年式、右が1916年式。



 兄弟のライバル、カーチスさんの1911年式モデルD。マネキンが操縦していればアップにせざるを得ない。



 唐突に置いてあるツェッペリンの模型。



 アメリカ最初の航空エンジン。ワシントンDCの航空宇宙博物館からの借りものということは、オリジナルでしょう。なお、壁の方にも小物の展示がいろいろあるのですが、全部取り上げてたらきりがないので大胆に割愛。なお、エンジンの取り扱いについてはこちら参照。



 ブレリオ単葉機。この博物館、練習機とかミサイル、無人機みたいな小物(このエリアではそういう区別ではないですが)がかなり上に吊るしてあって、気が抜けません。



 オクターヴ・シャヌートのグライダー。



 J-1



 スパッドZ。ここら辺はル・ブルージェにもありました。



 JN-4D ジェニー



 アブロ 504K。日本も使ってました。



 粘土製の練習用模擬爆弾(左)とか、訓練生がエンジンの雑音に邪魔されずに指示を受け取るためのヘッドホンというかチューブ(中央)とか。



 リヒトホーフェンコーナー。フォッカー三葉機のUR-2ロータリーエンジン(リヒトホーフェン機の物はロンドンは帝国戦争博物館にあるそうな)とか、彼のフォッカーD.Z(ソンムで撃墜された時の物)から引っぺがしてきた布だとか。あ、撃墜者はオーストラリアのパイロットになってました。



 Thomas-Morse S-4C スカウト



 詳細はわかりませんが、たぶんパイロットか誰か(きっと有名人)が埋葬された時の墓標。 …おそらくきちんとした墓地に改装されたから不要になったのだろうとは思うのですが、いいのか、それでもこんなの展示して…



 ニューポート 28。WW1の米大陸遠征軍が最初に飛ばした戦闘機、らしい。本国フランスでは採用されなかった程度の、まあ、アレですが…



 宙返りするフォッカー Dr.I。三葉機。



 ソッピース キャメル



 Halberstadt CL W。米独関係諸機関の共同プロジェクトの結果、ボロボロの状態からレストアできたようです。随分カラフルな塗装ですが、例によって私に塗装の正確性などを尋ねるのは、お上りさんオーラ全開の胡散臭い東洋人にサンフランシスコで道を尋ねるくらい無意味なことなのでご遠慮いただけるようお願いします。つうか実際いたんだよなあ、後者を敢行してきた人が…




 Caquot TYPE R 観測気球。でかい。



 スパッド ]V C.1。日本だとス式一三型。このあたりの日本機の適当な命名はステキ。



 WW1のアメリカ軍パイロットの中では、仲良くなったフランス娘のストッキングをもらって、それを頭にかぶって出撃することが幸運のお守りとして流行していたらしいです。これがそのストッキング。

 …いわゆる「セイラさんのお守り」の派生として十分理解はできるのですが、よりによってストッキングを被るってお前、それはどうかと… 見た感じ後年のパンストとは違ってより靴下的な物っぽいので、変態度は最悪の想定よりはマシとはいえ……いや、全然マシじゃないか…



 Mr.伝書鳩氏。



 サルムソン2A2。例によって日本だとサ式二型。いい加減だなあやっぱり。



 無人航空魚雷「ケタリング・バグ」。陸上から台車を用いて発進して、誘導を受けつつ目標に突入する爆弾…誘導兵器の祖先です。当然というか、1910・20年代に実用できるものではなく。敗因は多分、ニュータイプ、もしくは強化人間の調達が間に合わなかったからでしょう。なお、展示品はレプリカ。



 J-1の骨組。



 フォッカー D.Z。またしても派手、しかも今度はピンクだ!(Rudolph Stark機仕様)



 デ・ハビランド DH-4。WW1戦後はメキシコ国境の盗賊警戒に使われたとか。



 燃料車。




 カプロニ Ca.36



 なぜかパネルにはカプロニさん特集があったりして何故? と思ったのですが、米軍も装備してたんですねこの機体。ってそうだった、WW1だとイタリアは(何故か)協商側だった…



 なにかのトロフィーのコーナーですが、それトロフィーのデザインとしてどうなのよ、的なものが若干混じっています。



 パンツじゃなくてもトロフィーとしてどうなのか、とか。なんか顔のつくりの甘い牛(翼つき)とか、ダンベルとか。

 それもそのはず、このトロフィーは着陸やらなんやらでヘマをしたパイロットに贈られる記念品のようで… これはもらったらむかつくなあ。自業自得でしょうけど大体は。



 PT-1 トラスティ



 航空地図作成機とか、ビーコンとか。



 フォード・モデルM。




 MB-2。機体下のでっかい爆弾はさておき、奥の小さいのは何なんでしょうか。なんか吊り下げられてるし。

追記:メールフォームでの教示によると、これは長波〜中波の無線機用アンテナ(電線がリールに巻いてあって、離陸後に機体から伸ばしてつり下げる)の錘で、安定するように爆弾型になっているそうです。kazzさん、ありがとうございます。




 戦艦爆撃実験に使われたからか、それ関連のパネルも。



 G-3 標的グライダー。



 P-6E ホーク。連綿と…というか延々と続くホークシリーズの一つ。



 P-12E。海軍ではF4Bとして使用。



 KELLETT K-2/3 オートジャイロ。エンジン回りといい翼端といい、なんかかわいいなあ。



 P-26A ピーシューター。中華民国に輸出されて日本軍機とバトルしたりもしてました。



 O-38F



 B-10。アルゼンチン政府からの寄贈品。




 A-17Aと爆弾。



 YPT-16



 O-52 オウル。足の処理でグラマンだと思ったらカーチスでした…



 無造作に置いてあるXB-19の車輪。



 PT-19




 O-47B。腹でかっ! …まあ、ボテ属性持ちとしてはこれはこれで…って違いますから、いろんな意味で。あとはつきだすステップとか日の丸もどきとか。



 事故ってるBT-14



 DH.82A タイガーモス。へたすりゃ今でも現役な名機。



 SE-5E




 既に長大極まりないことになってる前菜(いやマジで。というか、これから…満漢全席ですよ?)のトリを飾るのは、英国名産のパッとしない方、もといホーカー ハリケーンMk.Ua。まあ、なんといいますか… 太いよ、翼…

 これでやっと第2次大戦までが終了。でもって、ホールとホールの間の衣服の展示などを。



 連合国の捕虜が収容所で着させられていた囚人服。いかにも、な縞模様です。



 痛フライトジャケット。某島国の痛車等のブームも、こういったジャケットやこの国のノーズアートなんかを考えると、歴史上そこまで特異なことではないように思え… …ないですね、やっぱり。




 飛行服進化の歴史。

 さあ、ここからはメインディッシュラッシュ、まずは第2次大戦機です。

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